第26話 幼馴染が僕の体育祭の一日をなかなか終わらせてくれない(改稿済)

「あっ、たっくんいけないんだー、図書室でハアゲン食べて。陽菜乃ちゃんに怒られるよー?」

 体育祭の閉会式が終わり、教室に戻ってから帰りのホームルームも終わった放課後。僕はホームルームで先生から貰ったハアゲンを持って図書室で日立さんのことを待っていた。


 一応、クラスで打ち上げ、みたいなこともするみたいで、僕もあの流れそのままに誘われたんだけど「用事があるから」ということで、こうしていつも通り図書室に来ていた。


 光右や主にリレーのメンバーからは惜しまれたけど、僕はこっちを優先したかった。

「……大丈夫、小木津さんには『いいよ』って言われてるから。どうせ今日の放課後にここに来るのは僕と日立さんだけだろうしって」


 僕に遅れること十分くらい。一年生の桜色のジャージから制服に着替えた日立さんが、僕のことを指さしてアイスを食べていることを咎めたから、やんわりと説明する。


 そこまで言うと、僕は三分の一くらい減ったハアゲンに紙製のスプーンを当てて、ひとくち食べる。……うん、やっぱりお高いアイスは美味しいね。

「あれ? 陽菜乃ちゃんは? 今日当番だよね? いないの?」


 ふわっと甘いデオドラントウォーターの香りを携えながら、日立さんは僕の隣の席に座る。

「小木津さんなら、先生に呼ばれてどこかに行ったよ?」

「へー、そうなんだー。じゃあ、たっくんのひとり占めだったんだね、図書室」


 へへー、と人懐っこい笑みを、隣から覗き込むように見せる日立さん。半袖のポロシャツから映る、透明に見違えてしまいそうな白い脇が一瞬目に入る。夏の風物詩と言えば風物詩なんだけど、いざ目にすると、ちょっと心臓が跳ねる。


「……ま、まあ、そうだね」

「でも、いいなーハアゲン。美味しそうだなー」

 日立さんのクラスは惜しくも学年一位を逃してしまい、ハアゲンを獲得することはできなかった。


 そんな彼女が、物欲しそうに僕が食べているバニラ味のハアゲンを見つめるものだから、カップとスプーンを掲げて「た、食べる?」と聞いてしまう。

 彼女にとっては魅力的な提案だったらしく、しばらくの間うーんと唸って悩みはしたものの、


「でも、そのハアゲンはたっくんが頑張って取ったのだから、さすがに悪いし、いいよ」

 と、瞳を優しく緩めて右手を横に振った。


「そ、そう……? なんか凄く欲しそうな表情してたから……」

 アイス、というか、美味しいものが好きな彼女らしからぬ返事だったので、もうひと押しすると、やはり未練はあるみたいだ。


「……ほ、欲しいは欲しいけど……。ど、どうしてもたっくんが分けてくれるって言うなら、私は、そうだなあ……あ、このフタの裏にちょっと残ったところでいいやっ」

 ひょいと日立さんは閲覧席のテーブルに置いてあったハアゲンのビニールの蓋を取っては、右手の指でなぞってパクっと舐めていた。


「んんー、ちょっとだけでも美味しいねー、ハアゲンって」

「……い、言ってくれればスプーン貸したのに」

「いいよいいよー、これくらいだったらー。ティッシュで拭いちゃえばへーきへーき」

「な、ならいいけど……」

 ……やはりマイペース。そういうところもらしい。


 気がつけば、カップのなかのハアゲンは、もう半分まで減っている。夏の暑さにもやられているみたいで、大分柔らかくもなっている。はやいところ食べきらないと、ジュースになってしまう。

 黙々とアイスを食べ進める僕を見て、ふと日立さんは口にした。


「けど、今日のたっくん、格好良かったよ? バシって飛んじゃったバトン掴んで、ズザザって踏ん張って、ビューってゴールまで走ってね?」

 擬音語が多すぎてちょっと理解に時間がかかりそうだけど、うん。言いたいことはわかったよ。


 よいしょ、よいしょと口にしつつポケットからティッシュを出して舐めた指を拭く日立さんは、そう言って使ったティッシュを丸めて手元に置く。一緒に両肘もテーブルにつけて、両手で頬を抱え込みながら柔らかい笑みを僕に向けた。


「……日立さんが『頑張れ』って叫んでるの、聞こえてたよ」

 ちょっと、悪戯心というか、その表情を慌てさせたくなった僕は、まあ事実ではあるんだけどリレーのときに日立さんの声が耳に入っていたことを伝える。


「えっ? き、聞こえてたの? あんなに周り大歓声だったのに?」

 目論見通り、彼女はすぐに立てていた肘を膝の上に落として、にこやかだった顔もきょろきょろと忙しなく目線が動くようになった。


「……うん。聞こえてた。でも、力になったよ。おかげで、ハアゲン取れた」

「そ、そっか。そう言ってくれると、う、嬉しいよ。うん。でも、た、たっくんもやっぱり単純なところがあるんだね」

「……え?」

「女の子に応援されて、力になるって、いかにもな台詞でしょ? たっくんが言うなんて、珍しいなあって」

 それは、そうかもしれないけど……。


「……それだけ、嬉しかったって、こと、なんじゃないかな……」

 僕が呟き、しばらく図書室に野球部の練習の音が鳴り響いてから、

「そうだっ、たっくん。これから何か食べに行こうよっ。体育祭お疲れ様会みたいな感じに」


 タンっと音を立てて日立さんが立ち上がった。気のせいか、ちょっとだけ顔が赤くなっているように見える。

「えっ、え? 今、僕アイス食べているし、そ、それに今日あれだけ動き回ってちょっとへとへとだし……汗もかいているし……」


 疲れているのは事実だし、できれば今日はもう家に帰ってお風呂に入ってさっぱりしたい。でも、日立さんは至近距離に近づいてクンクンと僕のシャツの匂いを嗅ぐ仕草をして、


「…………」

 瞬き二回分くらいの時間、間が空いてから、


「ぜ、全然汗臭くないし、大丈夫だよっ。ねっ? 制汗剤の香りもしているし。ところでたっくん、それ、何の香り?」

 ゴソゴソと帰り支度を始める。


「せ、せっけんだけど……それがどうかした? っていうか、その間、本当は臭いんじゃないかって心配になるんだけど……え、大丈夫だよね? 僕」

「ううん。何でも? そっか、せっけんかー。そっかそっかあ。大丈夫大丈夫。全然気にならないから大丈夫だよー。よしっ。そうと決まったら、早速駅前に出発だー」

「ちょ、まだ少しだけアイス残ってるから、ちょっと待ってっ」


 急いで残りのハアゲンをかきこんだ僕は、肩にカバンを引っ提げて廊下に駆け出した日立さんの後を追う。

 体育祭そのものは終わったけど、体育祭の一日は、長く、そしてなかなか終わってはくれそうになかった。

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