第25話 僕の目の前にピンチとチャンスが転がりこんでくる(改稿済)
「……ごめん、今からでも順番替わらない? 光右」
一年生のリレーが終わり、続いて二年生のリレーの番になった。各クラス十名の選手は白線で描かれたトラックの内側に並んで、スタートのときを待つんだけど、
「……こんなに注目浴びることってある? 転校してきたときより凄いと思うんだけど」
向けられる目線の数の母数が違うとか、そういう話ではない。多分、みんなハアゲンがかかっているから熱のこもった視線を僕らリレーメンバーに向けているんだ。
あと、光右の話通り、僕の横にいる他クラスの生徒、つまりアンカーはがっちりとした体つきで、僕みたいにひょろひょろな人なんていない。
……さながら、僕は狩られる草食動物で、彼らは肉食動物かな。
「それは無理な話だよ。もう順番のエントリー済ませてるから、今からの変更はできないぜ。もう覚悟決めろって。ここで一位で逃げ切ったらヒーローだぜ? 廻」
「……そ、それはそうだけどさ……」
僕の前に並んでいる光右は、スタート地点をじっと見つめながらそう話す。
各クラス、男子五名女子五名のルールさえ守れば、出走順はどう組み合わせても自由だ。だから、第一走者からそれぞれのクラスの戦略が垣間見え……たりする。運動部に詳しい人なら、だけど。僕はよくわからない。
「さ、そろそろリレー始まるぜ? 始まったら、ほんとに歓声でまともに会話なんてできなくなるから、何か言いたいことがあったら今のうちに済ませたほうがいいけど」
「……骨は拾ってよ」
「撃沈する前提かよっ。……安心しろって、セーフティーリードで繋いでやるからさ」
……だと助かります。
光右が言った瞬間、スターターの銃声が鳴り響き、一斉に第一走者が走り始めるとともに、観覧席から割れんばかりの歓声が飛び交った。確かに、これでは普通に会話なんてできやしない。
歓声が飛ぶのは何も観覧席からとは限らない。スタートした瞬間、第二走者以降のメンバーからも大きな声が飛び始めて、グラウンドの雰囲気は一気に沸騰する。
先頭から二番目の選手にバトンが渡された段階で、僕らのクラスは一位と僅差の二位。まずまずのスタートだ。
……で、でもこれだと僕に思い切りプレッシャーがかかるので、できればもう少しだけ上にいてもらえると……ありがたいです……。
リレーはどんどん進んでいき、あっという間に光右の前の第八走者に到達した。一位から四位まで三秒以内にひしめき合う大混戦で、僕の緊張はどんどん膨れ上がっていく。
こ、こんないい勝負で僕が勝負を壊したら……想像するだけで寒気がする。こんな空気は温まっているのを通り越して燃えているのに。
そして、第八走者から光右にバトンが渡される。その瞬間、光右の順位は二位。全部のリレーが終わって、僕や他のクラスのアンカーは続々とトラックに出る。
うっ……改めて横に立つと雰囲気から何まで全然違う。さっき、僕は草食動物って自分を例えたけど、そんなレベルじゃないよ。多分、植物プランクトンとか、そこらへんだよ、僕。勝てる気が、しない。
半分下を向いて、ネガティブな方向に考えを向けていると、ふと、周りの歓声が一段と、元から大きいのにまた一段と大きくなり、僕は第九走者の姿を視界に捉える。そこには、
「……あ」
僕との約束通り、順位をひとつあげて、さらに二位との差を広げている光右の全力疾走があった。
「神立―!」「いけー!」
走り終えたクラスメイトたちも、立ち上がって光右の応援をしている。
僕から見える光右の姿がどんどんどんどん大きくなるにつれて、後続との差を開けていった。その差、目算でほぼ、三秒。
「……マジで持っているんだな、光右って」
さらに余裕を持たせようと、必死の形相でバトンを僕に運んでくる光右。昼に軽く行った練習の要領で、僕は光右とのバトンリレーを敢行しようとした、瞬間。
恐らく、バトンを渡す前の、最後の一歩だと思う。
午前見た佐和君と似たような光景が、僕のすぐ目前で広がった。「やばっ」という光右の口の動きまで、はっきりと見ることができた。
バランスを崩した光右の右手から、ふわりと黄色のバトンが浮かび上がった。
……まずい、このままだと、バトンを落として、差を広げてもらうどころか、一気に逆転されてしまう。
僕は、動き始めていた体から目一杯後ろ手に右手を伸ばして、宙に飛んでしまったバトンを掴もうとする。
懸命に残した右手に、辛うじてバトンは収まって、僕は握りなおしてからなんとか前を向いてゴールを目指す。けど。
無理やり体をできるだけ光右側に残してバトンを受け取ったので、その反動で僕もバランスを崩して転びかける。
この瞬間、周りから切り取られたみたいに、みんなが息を呑む音が聞こえたと思う。
転べば負け、ハアゲンは無し。踏ん張れば、リードを持って最終走者の僕に繋がる。
そんななか、
「──ひっ……、た、たっくん、頑張ってええ!」
倒れかかった方向に、たまたま一年生の観覧席があって、さらに偶然、日立さんのクラスがそこに座っていた。ラストラップに訪れた事故に、誰もが僕に注目をしていて、それは。
僕を唯一、たっくんと呼ぶ彼女も同じだった。両手にメガホンを作って、精一杯叫んでいるのが目に入る。
っていうか、こんな悲鳴と歓声でうるさいのに、日立さんの叫び声はばっちり聞き取れるって、僕、どうかしているんじゃないかな。
……大丈夫、まだ転びきってない。ちょっと足に力を入れて踏ん張れば立て直せる。
あと……。日立さんが頑張れって言ってくれるなら、不思議と、頑張れる気がする。彼女には、そんな力がある気がするんだ。
右足に力を入れて、ちょっとグラウンドの砂を抉るように踏ん張る。すると、不思議と地面に傾いてた重心は立て直って、ようやく正常に両腕を振って走ることができるようになった。
そうなったら、あとの仕事はただひとつ。
後ろから追いかけてくるハアゲンを求めるライオンの群れからひたすら逃げるのみ。
なんか、思いのほか追走の足音がめちゃくちゃ大きくなっているように感じるけど、振り返る暇すら惜しいので、ひたすら逃げ続ける。
一心不乱にコーナーをみっつ曲がって、迎えたホームストレート。多分、僕の後ろ足と二位の前足はほぼ重なっている差で、ちょうど体ひとつぶんの差しか残っていないと思う。
トラックの内側で、光右に限らず、リレーメンバー全員が僕の名前を呼んでいた。
……アンカーだと、こういうことが起きるんだね。
これは、なんか、きっかけになりそうな気がするよ。
回し過ぎてちぎれそうな足を、最後になんとか前に運んで、僕はゴールテープを切った。
その後のことは、よく覚えてないです。正直。
すぐに、ペットボトルの水とか色々かけられて、揉みくちゃになったから。印象に残っているのは、砂で汚れた学校指定の体育Tシャツを着ている光右が、泣きそうな顔で「まじでありがとう、最後の最後にやらかしたって思った」と僕に言い続けたことくらいだろうか。
そんなふうにして、それこそ下駄を履く直前にサプライズが起きた体育祭は、ひとまず終わりを迎えた。
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