第14話 幼馴染がブレないのが眩しい(改稿済)
光右と別れて、僕は自分の家に帰った。玄関先で自転車を置いて、鍵をかけていると、どうやら隣の日立さんの家から人が出てきたようだ。
「あら、廻君。今帰り?」
「あ、はい。そうです」
声を掛けてきたのは日立さんのお母さんで、これから買い物にもでかけるのだろう、右腕に猫の刺繍が入ったマイバックを提げている。
「今日は茉優と一緒じゃないのねー。あの子、まだ帰って来てないんだけど、何か聞いてる?」
「え?」
……まだ帰ってない?
僕は慌ててスマホを手にして、日立さんとのトーク画面を確認する。
……既読がついてない……。ということは、日立さんはまだ僕が先に家に帰ったことに気づいていない……?
「いっ、いえ。僕は何もっ」
「そうー? まあ茉優のことだからどこかで道草でも食っているんだろうけど。ありがとねー」
のんびりとした口調で日立さんのお母さんはそう言い、ゆっくりとした歩調でお出かけされていった。
「……もしかして、まだ図書室にいるんじゃ」
それから僕は今さっき施錠したばかりの自転車の鍵を開けて、かごにカバンを放り投げてすぐに自転車を走らせ始めた。
いつもよりも速く流れていく景色のなか、僕はぐるぐると思考を巡らせた。
……僕と光右が学校を出たのは放課後すぐのこと。光右と一緒にいたのは一時間ちょっと。今日は六時間授業の日だったから、放課後は三時半からで完全下校は五時半。……現在時刻は、午後五時。
さすがに一時間半くらいも待たされたら帰らないか? というか、連絡を取ろうとすると思うんだけど……。でも、僕が送ったラインに既読はついてないし、日立さんからもラインは来ていない。ということは、恐らく電池が切れているとか、そこらへんのトラブルがあったんだと思う。
「にしたってさ……」
全力でペダルを回し続けているから、さすがに息が切れてきた……。
でも、本気になればあっという間に学校に着くことは実証できたみたいだ。陽が暮れ始めてオレンジ色に染まりかけている空の下、転がり込むように自転車置き場に自転車を止めて、手ぶらのまま走って校舎へと飛び込んだ。
もうこの時間になると学校にいるのは部活をしている生徒くらいで、人とすれ違うことはなかった。まあ、そのほうがむしろ好都合か。……こんな息ぜえぜえに切れている人を学校で見かけたら心配になる。しかもジャージ姿ではなく制服で。
生まれて初めて学校にエスカレーターかエレベーターがあればいいのにと思ったよ。……自転車全力漕ぎからの階段ダッシュは足に来る。
「はぁ……図書室……着いた……はぁ……」
息を整える暇も惜しんで、僕はドアノブに手をかけて図書室に入った。
ただでさえ人がいない下校時刻間際で、いつも人がいない図書室にもそうそう人がいるはずもなく、人影はほとんどなかった。
「……ひ、日立さん……」
図書委員の生徒を除いて、ただひとり、閲覧席にちょこんと座っている日立さんは例外として。
「あっ、たっくんやっと来たー。もう、待ちくたびれちゃったよー」
蔵書の絵本を読んでいた日立さんは、僕の声に気づくと同時にパタンと閉じて、目線を僕の顔に向けた。
「どっ、どうして……ここに……」
まだまともに声も出せないなか、簡単に訳を聞こうとした。
だってそうだろう? 休みの日に遊びに行く待ち合わせとかではなく、ただ一緒に下校するためだけの待ち合わせなんだ。仮に連絡がつかなかったとしても、一時間くらい来なかったらもう帰ってしまってもいいと思うんだ。
僕の問いに対して、きょとんと不思議そうな顔を浮かべた日立さんは、ポリポリと少し色づいた頬っぺたを掻いてみせては、
「……てへへ、たっくんだったら、何も言わずに来ないことないかなーって思ってたから」
柔らかい口調で、そう言ったんだ。
「ぇ……ぁ……な、なんで……」
「へ? なんでって……。たっくんは絶対来るって思ってたし、もし私が帰ってからたっくんがここに来たら、たっくんだってちょっと悲しくなるでしょ? そういうことだよ」
まるでなんでもないことのように彼女は続けて、よいしょと席を立って読んでいた絵本を書架に戻す。
「それにさ。……待つのは、もう慣れっこだから。一時間や二時間くらいだったら、全然。たっくん、優しいから。来てくれるって、ね?」
違う、僕は全然気にも留めてなかった。ラインだけ済ませたら、あとは忘れ去って、そのままにしようとしていた。日立さんのお母さんに言われなければ、恐らくここに戻ることだってなかったんだから。
「……? たっくん、どうしたの? さっきから、キツネに化かされたみたいに驚いた顔で固まって。私、何か変なことでも言ったかな? それに──」
日立さんは立ち止まっている僕に近づいて、制服のポケットからハンカチを取り出して僕に差し出した。
「汗、すっごくかいているよ? たっくん」
このとききっと、僕は日立茉優がどういう人なのかを、少しだけ理解できたのかもしれない。
基本的に無邪気で、空気が柔らかくて、小木津さんの言うところでは癒し系なんだけど。
その根幹には、こういう芯の強さというか、ブレない一面だとか。
そういうのがあるのかなって、なんとなくだけど思ったんだ。
「ええっ? たっくん連絡してくれてたのっ?」
窓ガラスの影が伸び切っている夕方の校舎を、僕と日立さんは並んで歩いていた。図書室を出て、二時間遅れで始めた一緒の下校。
階段を降りて昇降口へと向かうさなか、僕は日立さんにラインを送っていたことを説明していた。
「うん……。実は、今日も図書室行こうとしたんだけど、サッカー部今日練習休みになったみたいで、それで光右と一緒に帰ることになったんだ。それで、今日は無理なんだ、って連絡を入れていたんだけど……」
日立さんは跳ねるような動きでスマホを見ようとするけど、
「あ。……電源、切っていたの忘れちゃってたよ。あはは……」
乾いた笑みとともに、僕に白色の背景にリンゴを象ったロゴマークが浮かんだ、スマホの起動画面を見せてくれた。
やっぱり、そんなところだろうって思ったよ……。
「じゃあ、なんでたっくん学校に戻ってきたの? 一回家に帰ったってことだよね? てことは」
「いや……家戻ったら日立さんのお母さんとすれ違って、そしたらまだ帰ってないって聞いて……。ラインも既読ついてなかったし、もしかしてって思ったら……」
「……あ、あはは。ごめんねー、たっくん。私がちゃんとスマホ見ておけばよかったよー。おかしいなーとは思ったんだ。たっくんがここまで遅くなるの珍しいって」
「いや……僕のほうこそ、ごめんね、遅くなって……」
「ううん。連絡してくれたんだからたっくんは悪くないよ。それに、神立先輩に捕まっていたんだったらなおさらだよ。あの先輩に図書室のこと知られるわけにはいかないんだからっ」
困り笑いで僕に謝ってから、ふんすと鼻息を立てて真面目な顔になる。顔芸とまではいかないけど、ほんとに表情豊かだな……。
一階まで降りて、靴を履き替え自転車置き場へ。生徒の数も少ないので、まだらになった自転車置き場で倒れている僕の自転車を見つけるのはほとんど簡単だった。
「よっぽど急いでくれたんだね。たっくん。カバンまでそのまんまで」
日立さんは地面に落ちていたカバンを拾い上げては、起こした自転車のかごにそっと置く。
「ま、まあ……全速力で走ってたから……」
「んー、でも、たっくんのそういうところ、私はす……」
僕の自転車を回収した後は、日立さんの自転車のところに向かう。その途中、彼女はそう言いかけて、口を噤んだ。
「……どうかした?」
「なっ、なんでもないよっ、なんでもないっ。ほ、ほらっ、早く帰らないと、お母さんに怒られちゃうっ──ああっ、自転車の鍵落としちゃったっ」
何かあからさまに誤魔化された気がしたけど、急ぐべきなのは確かだろう。
「……じゃ、ちょっと巻きで帰ろうっか」
サドルに跨り、鍵を外している日立さんに言う。
「うんっ、そうだねっ。たっくん」
夕陽が沈みかけのなか、オレンジ色に照らされる彼女のはにかんだ笑顔を、一瞬だけ、僕には輝いて見えた。
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