第3話 幼馴染が慌てるあまり五百円を落としてしまう(改稿済)
始業式が終わると、そのまま在校生と新入生を入れ替えるような形で入学式が行われるみたいで、追い出されるように僕らは教室へととんぼ返りすることになった。
制服のポケットに忍ばせた使い捨てカイロに右手を当てて、やっぱり持ってきて正解だったことを実感する。
うん、普通に早朝の体育館は予想通り寒かった。怖いくらい寒かった。うん。
教室に戻ると、ひとまず休み時間に入ったみたいで、その間に転校初日定番の囲み取材が始まった。主に、中学が別だった人たちからだけど。「どこに住んでいるの」とか、「逆に東京の高校ってどんな感じだったの」とか「彼女いる」「お風呂入るときどこから洗う」「靴下は右から履く派? 左から? ウチのクラスは右が多数派」とかほんとに取り留めのないことまで根掘り葉掘り聞かれた。
……なんで靴下を履く順番に派閥ができているんだ? このクラスは。
そんな囲み取材から解放されたのは、担任の先生が教室に入ってきたときだった。
「はぁ……」
「お疲れー。やはり転校生は人気者だな、高浜君」
二時間目のホームルームが終わると授業は終わって、下校になったのだけど、それからも結構囲まれて、かれこれ十五分くらいは捕まっていたと思う。
ようやく終わったときに、近くで様子を眺めていた光右がわざとらしい声で僕のもとに歩いてくる。
「……高浜君なんて、出会ったばっかりのときの呼びかたじゃないか……。なんか気持ち悪いからやめてよ……」
ぐったりと机の上にだらりと体を倒れ込ませて、疲れた声で僕は言う。
「ま、そもそも道外から転校生が来ること自体稀だからさ。みんな珍しがっているだけだよ。じきに落ち着くから、それまでの我慢だな」
「……というか、みんな帰らないの? もう放課後だよね? それともまだ帰っちゃだめなの?」
僕は教室を見渡して、光右にそう尋ねる。まだ半分くらいの生徒が教室に残って、わいわいがやがやと話し込んでいる。
「ああ、今残っているのは部活の勧誘で残っているんだよ」
「……ってことは光右も?」
「そ。俺はサッカー部な。勧誘は今日の入学式が終わってから解禁されるから、そこから新入生の争奪戦よ。生徒数少ないから、うかうかしていると存続にも関わってくる」
なるほど、それでこんなに残っているのか。
「高校でもサッカー続けてたんだね」
「ったり前よ。こんな面白いスポーツ辞められるわけないだろ?」
さも当然、という顔で堂々と光右は言い放ち、空いている隣の机に腰をかける。
「部室の出入りは父母の順路確保のために禁止されているから、みんな自分の教室でそれぞれ待機しているってわけ」
「へぇ、そうなんだ」
「廻はどこか部活入ったりするのか? 文化部もまあまあ数あるぜ?」
部活か……。東京の高校ではもっぱら帰宅部だったし、こっちでも別にいいかな……特にやりたいこともないし……。
「僕はいいかな──」
なんて答えようとすると、何の前触れもなく閉められていた教室のドアが開けられて、ブレザーに胸花をつけた見覚えのある子がキョロキョロと誰かの姿を探していた。
彼女は僕のことを見つけるなり、
「あっ、たっくんみっけ、ねえねえ、たっくんまだ校内回ってないでしょっ、一緒に歩かない?」
小走りで近寄っては僕の手を取って廊下へと駆け出そうとしてきた。
「えっ、あっ、ちょっ」
いきなりのこと過ぎて頭が回らないなりに、なんとかカバンと椅子の裏にかけていたコートを掴んで、
「ごっ、ごめん僕もう行くね、じゃあね光右、また明日っ」
教室に残った友人に挨拶を告げ、引かれるがままに彼女についていき、廊下に飛び出す。
「え、あ、め、廻っ……」
光右は何か物言いたげな表情を僕に向けるけど、追ってくることはなかった。
「……ひ、日立さん、どうしたのいきなり……」
そして僕は視線をこの急展開の主である新入生の日立さんに移す。
「へへ、たっくんまだいるかなーって思って、二年生の教室探し回っちゃった。よかったーまだいて。ねえねえ、まだ校舎巡ってないでしょ? 案内してあげるっ」
「あ、案内してあげるって、日立さんも僕と同じで初日でしょ? なんで」
「登校時間待っている間に、用務員さんに声かけられちゃってね? 暇そうにしてたから案内してくれたの。だからもうばっちり」
「……そ、それはよかったね……ところで、僕らは一体どこに向かっているの?」
「へへっ、それはねっ、いいところだよっ、いいところっ」
い、いいところって……。用務員さん、いったいこの子に何を教えたんですか……?
振り回されるまま、僕はまだよくわかっていない校内を彼女と一緒に駆け巡っていた。
「……そ、それで……ここは……?」
連れて来られたのは、校舎一階の隅、本当の本当に隅っこにあって誰も来ないような場所。
「用務員さんが言うにはね、ここはあまり生徒も来ない穴場なんだって。それに、ほらっ」
窓から差し込む早春の柔らかな陽射しを微かに背に浴びながら、僕は日立さんが指さした先のものに目を向ける。
「……じ、自販機……? な、なんでこんなところに……」
隅だからかあまり暖房は強くないみたいで、しかし窓からの日光が強いせいか、それほど寒さは感じない。やっぱり体育館の寒さは異常ってことだ。
「んー、昔はここに自販機とか購買があったみたいなんだけど、耐震工事で内装も色々変わるついでに位置が変わったみたい。でも、この自販機だけはなぜか移動されることなく取り残されたままで、おかげでいつ来ても買いたいものが買えるっていう悲しい自販機になったんだって」
……色々がばがば過ぎやしませんか。ランニングコスト絶対上回っているでしょこんなの。そのうち撤去されるんじゃ……。ん? でも、僕がいた頃に高校が耐震工事するなんて聞いてない……?
「ちなみに、その耐震工事っていつ頃あったの?」
「十五年くらい前だって」
もう諦めているのか忘れているかの二択ですね。それだけ放置するってことは。
「……で、こんな人気がまったくないところに僕を連れて何をしようってわけ?」
「え? ひ、……た、たっくんと一緒にのんびり飲み物でも飲みたいなーって思って、それで」
無意識だろうか、僅かに開いた口から彼女の呼吸音と、トントンと床を叩く足の音が聞こえる。
「……のんびりって割には結構駆け足でここまで来たけど」
「そっ、それは……だって、在校生は先に放課後になって下校しているって聞いたから、慌ててて」
ブレザーのポケットから財布をそわそわとまさぐって取り出しては、彼女は自販機の前に立ち止まる。
「ど、どれにしようかなー、って、あっ」
ふと、彼女は財布から出した五百円玉を落としてコロコロと転がしてしまう。
「わっ、私の五百円っ、ま、待ってっ」
大抵そういうのって得てして行って欲しくない方向に転がってしまうもので、つまるところ、無情にも五百円玉は自販機の下の隙間へと入り込んでしまった。
「……私の全財産なのに……今月のお小遣いが……」
へなへなと力なくその場に座り込んだ日立さんは、四つん這いになって腕を伸ばし逝ってしまった五百円を回収しようと試みる。
「う、うう、届かないよお……」
華奢な身体を必死に目一杯使ってこの状況を解決しようとしているけど、出てくるのは埃とため息だけだ。
それに、当然日立さんはスカートを履いて四つん這いになっているわけで……。小さいお尻が目の前でちょっとずつ動いている様は二度と見られないかもしれない。
これ、僕も同じ目線にしゃがんだら見えたらいけないものが見えそう……。
さすがにそれをするわけにはいかないので、彼女の後ろ側から隣に移動して、
「ちょっとよけて」
代わりに五百円を拾おうとする。まあ、十円とかなら諦めもつくかもしれないけど、高校生にとって五百円は大金だ。このままでは可哀そうだし、なんとかしてあげよう。
「その間に手洗ってきなよ。埃まみれで汚いでしょ?」
なるほど、手をワイパーの要領で左右に動かすけど、全然当たらない。相当奥まで入り込んでしまったみたいだ。
「う、うん。ありがとう」
日立さんはそう言うと、近くのお手洗いへととてとて小走りで移動し始めた。
「さて……」
単純に腕を伸ばして届かないのであれば、何かを使って距離を稼がないといけないわけで……。
一旦撤退し、後ろの柱に置いたカバンから筆箱を出す。
何か使えるもの使えるもの……まあ、とりあえずボールペンでいいか。
今度はどうにかなるかな……。
ボールペンを右手に持ち、再び腕を振って五百円玉を探す。十センチくらい伸びた捜索範囲の力は偉大で、少しするとコツンという硬い感触をボールペン越しに感じ取ることができた。
よし、多分これだ……。
「……ど、どう? 取れそう? たっくん」
日立さんも戻ってきて、僕の隣にしゃがんで様子を窺う。朝起こされたときもだったけど、かぐわしい柑橘系のシャンプーの香りがふわりと広がっている。
「……うん、取れそうだよ、あと少しで……」
ボールペンの先端で五百円玉を引き寄せ、そして、
「……よし、取れた」
真っ暗な自販機の影から、日向に当たっている白色の床に、まんまるの少し汚れてしまった探し物が顔を出した。
「わ、ありがとう……! たっくん! これで今月も生活できそうだよ……!」
目を輝かせて僕の両手を取って上下にブルンブルン振る日立さん。……あの、僕の手も今埃まみれなので、触ると手を洗った意味が……。
ま、まあ別にいいか。……そ、それはよかったです……。
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