第9話

 学校に着いた。


 本校舎の時計台を仰ぎ見ると、時刻は一時二十四分。大体授業の半分が終わっていた。


「いやー、結構まずいな」笹川は言う。


「何が?」


「僕、クラスの中でめっちゃトイレ長い奴になってる。きっと先生に疑われ、友達にも揶揄われて、楓のヤツにも色々言われるんだろうなあ」笹川は短く嘆息した。


 二人は上履きに履き替え、階段を上がる。


 学年ごとに教室は別れており、一年次は五階で二年次は四階である。その踊り場で、櫻子は切り出した。


 とりあえず、今日はここでお別れである。


「今日は迷惑をかけて本当にごめんね。でも、少し楽しかったかも。なんて」ポリポリと搔いたその頬には、少し朱が差していた。


 なに照れてんだ。


 笹川はそんな櫻子の様子を見て、「もういいって、気にしなくて。僕も少しだけ、少しだけ非日常が経験できてよかったよ」と落ち着き払ったように返した。


「じゃ、じゃあ、二年次は四階だから!またね!」櫻子は走り出した。


 その背中は今日一日とても見慣れたものだった。


「また冒険したい……」


 その呟きは、果たして彼女に聞こえたのだろうか。廊下の角を曲がる直前、彼女の口が悪戯っ子のように歪んでいたのが見えた。きっとまた会えるだろう。その漠然とした期待は、踊り場で立ち止まっていた笹川を上の階へ導く。


 笹川の心拍数は下がらない。


 五階へ着いても、教室に入っても、予想通り友達や楓に揶揄われても、笹川の心は先程から変わっていなかった。


「また冒険したい」笹川は小さく呟く。


 こうして日常に戻っても、また彼女は連れ出してくれるだろう。この手を引いて、悪戯っ子のような笑みを浮かべて、また連れていってくれるはずだ。僕のまだ見ぬ世界へ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笹と獺虎のコーヒーブレイク 仇 媒鳥 @Camli-cam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ