五:今日は血の雨が降るのか

 城は四階建てで、地下が二階分ある。影武者の力を借りたおじいさんは、地下二階と、地下一階の地下牢を抜けていく。そもそも、桃太郎が殿だった頃は、地下牢は地下二階にしか無かった。それに、罪人もほとんどいなかった。もともと、地下一階は武士たちの演習室だったのだろう。檻の上には、飾りとして幾つか武器がかけてあった。


 その地下一階も上がっていくと、城の中の人間はまばらだった。まさか、もう儀式が始まってしまったのかと焦るおじいさん。柱に隠れながら、武士の会話を聞く。どうやら、小梅は最上階で化粧をされているらしい。武士の人数が少ないのは、外で儀式の設営をしているからなのだと言う。となれば、まだ、小梅は生きている。そうなれば、小梅を助け出さなければ。息を飲んでから、おじいさんは動き出す影に身を任せて武士の前に飛び出す。


「爺さん。せっかく和之助様に助けてもらった命を無駄にする気か。儀式が終わるまでは、地下に戻ってろ――」


 おじいさんは武士の一人の影を斬ると、武士は倒れ込んだ。


 他の武士から見れば、おじいさんは刀を素振りしただけなのに、武士が倒れてしまったのだ。目に見えない力が恐ろしく、数人ひるんだ。その無防備な姿に、おじいさんはまた一振り。一気に五人の武士が倒れ込んだ。


「……すごい」


 迫りくる武士を倒しながら、おじいさんは思わず呟く。この強い力があれば、殿をこの手で殺せる。悲鳴を上げる女中たちの影を斬って寝かせると、おじいさんは更に上の階へと駆け上がって行った。


 おじいさんが駆け上がって行った後、喜六は檻の上に飛び乗って地下一階に飾られていた上物じょうものの刀を一本取る。まだ痛みの強い右手を使いながら刀を抜いた後、左手に持ち替えて階段を駆け上がっていく。


 一階は、おじいさんによって全滅。女中まで転がっている。喜六の出る幕は無さそうだが、喜六の影をもってしても、危うい相手が二人いる。


 一人は殿の腹心の部下である、和之助だ。影と武器を捨てて戦ったので、負けても仕方が無いのだが、その風貌や太刀筋は、そこらの武士とはワケが違った。影がサポートするとは言え、おじいさんは戦いの素人だ。頭だってきれる和之助ならば、おじいさんは瞬殺されてしまうかもしれない。それを危惧して、喜六はやって来た。


 そしてもう一人は、おじいさんが憎んでいる殿だ。桃太郎の首を取ったくらいなのだから、戦闘力はそこそこあるとして。それ以上に恐れるべきなのは、殿の狂気じみた性格である。


 桃太郎を殺しただけでなく、民から必要以上の作物を絞り取り、力を持たない小梅の命まで奪おうとしているのだ。正常な人間の心を持っているとは思い難い。もしおじいさんが命を狙っていると知れば、なりふり構わず殺しにかかってくることだろう。まぁ、おじいさんが本気で殿の命を狙う程、憎しみに駆られていればの話であるが。一階の様子を見る辺り、割合は半々である。


 二階へと上がる。ここにも、転がった城の人間以外はいない。もちろん、転がっている人間の中に和之助はいない。となると、三階か四階に、彼等はいる。


 喜六が一番恐れるのは、四階で、殿と和之助が同じ部屋にいる場合だ。幾ら喜六の力が備わっているにしても、この二人が手を組んでいる状態で、おじいさんが一人で二人を倒せる確率など皆無。それに、四階には殿を守る為に大勢の武士が配置されているに違いない。武士を相手にしている間に、殿が空いた背中を狙う確率は大いにある。喜六は三階へと上がっていった。


 … …


 おじいさんが三階へ来ると、喜六の影の動きに身を任せて、行く手を阻む者たちの影を切り崩していった。


「おや、こんなところまで来るとは」


 声のした方に顔をやる。おじいさんはこの声をよく知っている。


「どうやら、本気で死にたいと思っているのですね」

「……和之助、ワシを殺しに来たか」


 和之助は薄っすらと笑みを浮かべて、おじいさんの陰りのある顔つきを見る。そして、おじいさんの足元のうねる影と、倒れる人々の切り崩された影も。


「あの男、こんな力を隠し持っていたのか。どおりで、見張りが誰も死んでいなかったはずだ」

「退けろ、ワシは小梅を助けに行く」

「そうですか。では」


 和之助は短く答えると、廊下の端に寄り、片手を廊下の奥へ向けて上げた。


「……良いのか?」


 随分と物分かりの良い和之助に、おじいさんが尋ねる。


「まぁ、殿の命令はあくまでも、小梅の死ですからね。逆に、あなたは生かすように命令されました」

「……何だって?」

「殿は見たいそうですよ。小梅が死に、あなたの気が狂う様を。だから、生かしたいと言っておりました。ですから、私はあなたを小梅から離したのです」


 全身に巡る血が、煮えたぎるような感覚を覚えた。あまりの怒りに、髪が逆立ちしそうだ。唇を噛み、眉間にシワを寄せ、手に持つ刀をギュッと握りしめる。和之助のことを睨みつけた後、おじいさんは無言で廊下を駆け抜けていった。


「何で、あんなこと言いやがった」


 和之助は、おじいさんが向かった方向とは逆の方向の階段を見る。ゆっくりと、喜六が階段を上りながら、和之助へと尋ねたのだ。


「少しでも優しさを残せば、太刀筋がブレるでしょう。素人ならば、確実にな。……さて、如何用でここまで来た?」

「小梅と爺さんを返してもらいに来た。だから俺も通らせてくれねぇか。返答次第じゃ……」


 喜六は肩に乗せていた刀を下すと、和之助へと向けた。


「あんたをぶっ潰す」


 それに対し、和之助は大声で笑った。


 … …


 四階までたどり着いたおじいさん。近づいて来た武士たちの影を斬り、ある程度片付けた上で、金粉を塗られた扉を開ける。艶やかな着物を着た女が数人いた。殿の遊び相手だろう。随分と奔放に生きているのだな。おじいさんは女たちの影を斬って眠らせて部屋を出る。女のいる部屋には、小梅はいなかった。小梅はどこで化粧をしているのだ? おじいさんは他の部屋も開けてみたが、全てハズレだった。小梅はどこにもいない。となると、残す部屋は一つしかない。


 おじいさんが、一番大きな扉を見る。恐らく殿がいる部屋だろう。だとすれば、今、小梅は殿と一緒にいると言うことになる。寒気がする。おじいさんは、急いで扉を開けた。


「……小梅!!」


 おじいさんの視界に移ったのは、小梅の着物を脱がそうとする殿の姿だった。殿は急いで小梅を突き放すと、その隙に小梅はおじいさんの後ろへと隠れた。


「どうしてお前がここにいる……見張りは」


 そこまで口にして、殿は気付く。おじいさんの後ろの廊下には、数人の武士が倒れていた。


「まさか、お前が……!?」


 その言葉に、小梅も思わず振り返って倒れる者たちを見た。


「おとうさん……」

「お前だけは許さない」


 おじいさんは刀を握り直し、殿に向けた。

 倒れている武士たちと、おじいさんの殺気に、殿は思わずひるんで後ずさる。


「わ、分かった。そいつは返す、食料が欲しかったらくれてやる」

「そんなことをして、桃太郎のことを帳消しに出来るわけ無いだろう!!」


 おじいさんは殿に向かって駆け出した。殿は近くに置いてあった刀を持ち、抜刀すると、おじいさんの刃を打ち返す。やはり、ただ者ではない。


 影を斬って倒してから首を斬れば簡単に殺せるのだが、桃太郎を殺し、小梅までも手にかけようとし、体まで狙おうとした。この男を安らかに殺したくは無かった。攻め入る隙を作らせぬよう、素早く刀を振り回す。


「うっ」


 ぶつかった刀の力に負け、殿の持っていた刀が吹っ飛ぶと同時、殿が壁にぶつかって座り込む。おじいさんはすぐさま刀を振り上げた。


「やめてぇ!!」


 小梅の声が部屋中に響いた。

 おじいさんが小梅の方を見る。


「……おとうさん、やめて下さい。人を殺すおとうさんを見たら、きっと桃太郎が泣きます。私情で人を殺したりなんかしたら、おとうさんが、その人と一緒になってしまうわ……」


 小梅の目からポロポロと涙があふれ出る。小梅の涙は、とても綺麗だった。おじいさんが殿を睨む。殿は壁にぶつけた腰をさすってこちらを見ていない。刀をしまうと、殿の着物の首元を掴んで、殿を強引に立たせた。


「牢に連れて行こう」

「……ええ!」


 小梅は涙を袖で拭いながら言った。


「そうはさせるか」


 畳に赤い液体がボタボタと落ちた。おじいさんの細い脇腹に、小刀が刺さっている。


「お……おとうさん!!」


 殿を掴んでいた手を離すと、それを刺された腹に当ててよろける。無慈悲にもその小刀を抜き取ると、小刀を今度はおじいさんの首元めがけて振り回した。


「おとうさぁん!!」


 叫び声を上げる小梅の隣を、何かが走り抜けた。


「何……!?」


 小刀を振り回した手首を掴まれた。相手はおじいさんではない。


「……喜六!!」


 小梅が叫んだ。


 殿の手首を掴んだのは、右手を負傷している喜六だったのだ。喜六は殿に向けて皮肉めいた笑みを浮かべる。


「お殿様、小梅のあの熱い言葉を聞いた後でそりゃあないぜ。おすすめの品聞かれて別の品選ぶなんざ、お笑い以外でやっちゃ駄目だろ?」

「……誰もいないのか? 誰か、誰か!」

「たわけが。そこで何をしている」


 殿の助けに応えるように、小梅の背後から一人の男がゆっくりと歩いて喜六に近づいていく。殿は父親を見つけた子供のような明るい顔つきで、その男の名を呼んだ。


「和之助!」


 和之助は殿の方を見ると、軽く頭を下げ、その頭を上げると今度は喜六の方を見た。


「殿を返してもらおう。悪いが、ここにいるのは殿と、手負いのあなたとおじいさん、そして小梅だけだ。どちらが優位かはよく分かるよな?」

「そ、そうだぞ! 和之助はとても強い。確か、お前は和之助と戦って手を斬られたのだろ? だったら強さは分かっているはずだ。もしこれを断れば、ここでその娘と爺さんの命も無いぞ」

「雨乞いの儀式で使うはずの小梅をここで殺すたぁ、本末転倒な話だぜ。ほらよ」


 殿の手首を引っ張り、強引に殿を動かして、和之助のもとへとやる。その代わり、喜六は今にも倒れそうなおじいさんの体を支え、和之助は、殿の手首を掴んで抱き寄せた。


「……和之助、こいつら全員ころ」


 殿が和之助へ命令しようとした刹那、和之助は持っていた刀を殿の首元に当てた。


「な、何をしている」

「この状況を分かっておいでですか殿? 城の者は、あの眼鏡の男によって全員倒されたのですよ? まるで、一夜にして滅んだあの國のように」


 殿は、以前の和之助との会話を思い出す。一夜にして滅ぼされた國と言えば、影の國だ。つまり、あのごぼうのような体をしたあの男が。


「……か、影武者……!?」

「殿。手負いでも、伝説の影武者相手ではこの城も終わりだ。せめて、この國に雨が必要だと言うのならば、殿であるあなたの首を雲に差し出して、美しく終わりましょう」


 和之助がゆっくりと刀を動かす。殿の首から少量の血が流れた。


「し、死にたくない、死にたくない……もう誰も殺さない。だから許してくれ和之助」

「今まで平気で人を殺してきた男が、何を今更。潔く散れ」

「ひぃ!」


 刀に力を込める和之助。殿は自身の招いた愚かな最期に、子供のように泣き喚いた。


「待って!!」


 小梅が叫んだ。小梅の方へと全員の視線が向く。小梅は廊下の小窓を振り返って言った。


「……雨よ!」


 この部屋からでは窓の向こうの景色は曇り空であることしか分からなかったが、やがて、ポツポツと城の壁を殴るかのような強い雨音が聞こえてくる。喜六はにっこりと笑った。


「雨天中止だな!!」


 喜六の笑顔に返すように、小梅も笑顔になる。おじいさんも薄っすらと笑みを浮かべた。言葉の意味を察した和之助は、呆れ交じりにため息をつきながら、刀をしまった。

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