四:影を貸す

 夜更け過ぎ、おじいさんの家の戸を、誰かが叩いた。おじいさんは目を覚ますと、布団を持ち上げゆっくりと立ち上がる。


「なんだこの夜更けに」

「……おとうさん、もしかしてあの人じゃ」


 隣で眠っていた小梅も起きると、おじいさんの隣に移動して言う。あの人とは、喜六のことを指しているのだろう。おじいさんが小梅の方を見て頷く。


 とは言え、もしかしたら城の者たちかもしれない。おじいさんは、「そこで待っていなさい」と小梅を廊下で待たせると、一人戸の方へと歩き出す。


 戸を開ける。すると、そこには先程喜六に倒されたはずのガタイの良い武士が、たくさんの食料を持って立っていた。


「何だお前……」


 おじいさんの言葉には答えず、武士は勝手に中へと入ると、戸を閉める。おじいさんは慌てて小梅のもとへと移動した。そんなおじいさんを見ることもなく、武士は持っていたたくさんの食料を廊下の上に置いた。


「そんな食料いらん。小梅は絶対に渡さないからな!」


 おじいさんの言葉を相変わらず無視して、武士は草履のまま廊下を進むと、小梅に向かって手を伸ばした。その手の中には、小さくて白い花が、数本あった。


「なんだよ、ジャガイモの花じゃないか」

「おとうさん、もしかしてこれ、喜六に言われて持って来たんじゃ……」

「そうなのか?」


 武士は陰りのある顔を向けた。まるで、何かに憑りつかれたかのような武士の様子に、おじいさんと小梅は不気味さを覚える。武士は二人に背を向けると、そのまま母屋から去って行ってしまった。


 武士がいなくなった後、二人は置いてある食料とジャガイモの花を見る。


「やっぱり、喜六だわ。食べ物だけじゃなく、花まで持ってきてくれたんだもの」

「ジャガイモの花ならば畑で幾らでも取れるがな。まるでセンスが無い」

「だけど……何だか、勇気が湧いてくる」


 小梅はその場で目をつぶって、両手を握る。おじいさんはその様子をしばらく見つめた。小梅が目を開いて手を外すと、おじいさんの方を向いてニッコリ笑う。


「何だか、今なら雨が降ってきそうな気がする」


 小梅の心からの笑顔に安堵すると、おじいさんは微笑んで頷いた。


 … …


 喜六が目を覚ます。あのまま放置されていれば、普通であれば死んでいるだろう。あの場所で倒れたのだから、とどめだって容易に刺せるはずだ。そう思ったのだが、現在地はどうやら極楽浄土では無さそうだ。


 暗く、湿っぽい場所で、目の前には鉄製の檻があった。向かいの檻には、真っ赤な肌をし、額から角を生やした鬼がいる。


「やっと目ぇ覚ましたか」


 向かいの男が、喜六に向かって声をかける。そのほかにも、犬の遠吠えや、猿の鳴き声、バサバサと鳥が羽を動かす音が聞こえてきた。桃太郎が殿で無くなってから、彼らはどうしたのかと思っていたが、こんなところにいたのか。哀れな話だ。


「ここ数年入って来る奴なんていなかったのに。それも、そんな大怪我して。何やらかした?」


 喜六は右肩を見る。血が噴き出た右肩には、包帯がぐるぐる巻きにされていた。あの男、一体どんな心変わりをしたのだろう。喜六は考えたものの、今は目の前にいる鬼に意識を向けた。


「なぁに、白髪交じりで腕傷だらけのおじちゃんぶん殴っただけさ」

「ああ、アイツぶん殴ったのかい。おもしれー男だなぁアンタ」

「アンタ、桃太郎の敵なんだろ? なんでこんなとこいるんだよ。桃太郎にぶち込まれたのか?」

「まさか。確かに俺とアイツ等は敵だった。だが、アイツは本当に良い男だ。俺達に一緒に生きようと言ってくれて、城に一緒に住まわせてくれた。だが、今の殿になってから、鬼や動物達はこの通りさ」


 檻の中なので辺りを見渡すことは出来ないが、耳に入って来る耳障りな音で何となく分かる。ある意味、死ぬよりも酷なことになってしまったのかもしれない。


「しっかし、この鉄の檻、あんたなら壊せるんじゃないのか?」

「まぁな。けど、ここ上がって上に行ったところで、数に圧倒されて殺されちまうって分かるからよ。ましてや、上には、あんたがぶん殴ったって言う和之助(かずのすけ)がいる。アイツは強いよ」

「殿はどうなのさ」

「殿? アイツは気が狂ってるだけさ。強くは無い。しかし、気が狂った奴はなりふり構わず殺しにかかったりするからな。桃太郎の時みたいに。それが、ある意味一番怖いけどな」


 鬼が、「̪̪シッ」とわずかに声に出す。すると、石の階段を降りてくる靴音が強くなり、階段を降り終えると、そのまま喜六の方へと近づいて来た。


 鬼は用心してその人物を見たが、喜六は気にせず声をかける。


「噂をすれば、和之助」

「はて。私があなたをいとも簡単に倒してしまった話でも?」

「俺があんたをぶん殴ったって話をしてた」


 間違った情報ではないので、和之助は何も言わずにしゃがみこんで喜六を見た。


「あの怪我をしながら、もう起き上がるとは。体だけは丈夫なようですね」

「和之助。俺を生かしたのには理由があるんじゃないのか?」

「殿が影武者をお探しでね。あなたがその影武者なのでは無いかと思っている」


 喜六はあぐらをかきながら、和之助の目を見る。


「オイ待て。俺を殿に差し出す気か。あのいかれた殿の言うこと聞くだけで、お前は良いのかよ」

「おい、お前。それ以上は」


 和之助は殿の腹心の部下だ。殿に告げ口されれば、今度こそ喜六が殺されてしまう。鬼が喜六の言葉を止めようとした。


「殿のことを知らないで、何を言うか」

「殿のことは知らないが、あんたのことは知っている。その腕の傷、数多の修練と戦をしてきた証だ。しかし、今まで殿や農民たちを殺してこなかったのは、不要な殺生は避けたかったからなんじゃ?」


 和之助は無言で喜六を見つめる。


「して、殿のことを知っているあんたから見て、殿はどうなのさ」

「ふん、ふざけたことを聞く。そんなもの、決まっているだろう」


 和之助は膝に手をやってゆっくりと立ち上がると、喜六を見下して答えた。


「さっさと死んでほしいよあんな奴。同じ人間だと思いたくもない」


 和之助はそれだけ言い残すと、階段を上っていった。


 … …


 食料と花が届いて以降、喜六が来る気配は無かった。だが、小梅は毎日目をつぶり、両手を握って雨が降ることを祈っていた。その努力もむなしく、日は流れ。儀式が行われるまで残り一日となってしまった。


 さすがに、墓にジャガイモの花を供えるわけにもいかなかった。小梅は居間のちゃぶ台の上に花を置き、その花を見ては、雨が降ることと、喜六の無事を祈って眠りについた。


 そして、とうとう七日目。天気は太陽がさんさんとした快晴だった。


「駄目だったわね」


 小梅がニッコリ笑った。おじいさんはかける言葉がない。


 戸が勝手に開かれると、和之助と武士たちが母屋へと入って来ていた。


「行きましょう、小梅」

「……はい」


 小梅は抵抗せず、和之助のもとへ歩み寄る。それを見たおじいさんが、和之助の腕にしがみついた。


「おじいさん、一度決めた約束は守ってもらわないと」

「……ああ。だから、もし死ぬって言うなら、俺も一緒に殺してくれ」


 和之助は目を細めておじいさんを見た。少しして視線を前に向けると、「勝手にして下さい」と、母屋を出て行った。


 城へ着くと、和之助等と同行していたおじいさんは、和之助によって小梅と引きはがされた。和之助に捕まれながら、おじいさんは泣き喚いた。


 連れて来られた場所を見渡して、おじいさんは驚いた。檻の中にいたのは、殿から他の國へ行ったと聞かされていた動物や、鬼たちだったからだ。その中に、いびきをかいて寝ている喜六も見つけた。


「喜六、生きていたのか……」


 おじいさんの声に喜六は目を覚ます。目の前におじいさんがいると言うことは。そうか、もうそんな日か。喜六は隣にいる和之助の方を見る。


「小梅はどうした」

「儀式の準備中でございます。では、私はこれで」


 和之助はおじいさんを置いて去って行った。檻に入れなくとも、よもや抵抗する力は残っていないだろう。おじいさんはその場に力無く座り込んだ。


「爺さん、見ないうちにだいぶやつれたな」

「ああ。いっそこのまま餓死したいよ。……しかし、お前に武士を従わせるほどの力があるとは驚いたよ。お前がこの檻の中にいなけりゃあ殿の暗殺を本気で頼んでいただろう」

「何言ってんだ。大切にしていた息子を殺され、今度は娘代わりの少女を殺さようとして。誰より憎んでるのはあんただろ? 自分のことは、自分でカタをつけな。自分に納得出来るように」

「そりゃあ。出来ることなら自分の手で殺したいよ。けどな、こんな老いぼれに何が出来る……」

「力を貸す。あんたたちには世話になったからな」


 おじいさんは顔を上げると、希望の眼差しを喜六へと向けた。


「力を貸すったって、手負いのあんたが、しかもその鉄製の檻の中で、どうするってんだ」


 鬼が喜六に尋ねると、喜六は不敵に笑った。


「そう。今の俺は手負いでまるで使い物にならない。だが、コイツは無傷だ」


 そう言って、喜六は左手で足元の影を指さした。その影が形を変形させると、おじいさんの足元の影まで伸びていき、影伝いにおじいさんの体へと侵食していった。


 全身に伝うと、おじいさんの日に照らされた肌が少し影を帯び、目の色は黒から白のグラデーションを作っていた。


 おじいさんの後姿しか見えない鬼にはよく分からなかったが、おじいさんにはよく分かる。この、溢れんばかりの力と、羽をまとったかのように軽い体と、ハッカを口に含んだかのような冴えた頭。これは、おじいさんのものではない。喜六のものだ。


 喜六から刀を渡される。おじいさんが受け取ると、喜六は忠告する。


「言わなくとも影が動くだろうが、一応言っておく。刀で切るのは胴でも首でもない。相手の足元、影を斬れ。そうすればしばらく動かなくなる。無駄な殺生は避けることだ」

「どうしてだ」


 おじいさんの問いに、喜六は目をつぶる。


「殺生したら、分かるだろうよ。まぁ、俺はあんたのそんな姿見たく無いけどね」

「分かった。なるべく気を払う。……喜六、感謝するよ」


 おじいさんは軽く頭を下げると、急いで階段を駆け上がっていった。


 足音が消え去ると、喜六は左手で檻を掴み、立ち上がって鬼の方を見る。


「なぁ鬼さんよぉ、この檻ちょいと壊してくんねぇか」

「おい、まさかお前、武器も持たないでその体で……」

「まさか、爺さん一人に戦わせるわけにはいかないだろ?」


 そこまで言われると、鬼も断ることが出来なかった。自分の檻を曲げた後、喜六の檻を曲げる。喜六は、「サンキューな!」と階段を弾飛ばしで上がって行った。

 

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