第55話 左膳寺左衛門
「どう? 葛城さん」
「大丈夫だと思うわ」
「お願いね、葛城さん」
「あんなボッタクリ除霊師なんて必要ないわね」
「でも、先輩。もしものことがあったら……」
「望月さんは心配性ね。大丈夫よ」
「先輩に任せればいいのよ」
翌日の放課後、除霊の準備を終えた私は、部室の倉庫から呪われた弓が入ったケースを持ち出し、練習場の真ん中に置いた。
あとはケースを開け、中から出てきた悪霊を除霊するだけだ。
除霊に使うお札は、いつものやつが何枚かあるので大丈夫。
これに成功すれば、私も嫌な除霊の訓練をしなくて済むようになる。
望月さんも購入した弓を使えるようになるし、まさにいいことずくめなのだ。
「では、行きます」
部員のみんなが遠巻きに見守るなか、私は弓の入ったケースを開けた。
中に入っている弓だが、那須与一の愛用品という割にはとても綺麗に見える。
とても数百年経った弓には見えなかった。
きっと、よくて数十年前に作られた偽物であろう。
「新しくない? その弓」
「そうよね」
「部長は大げさなんだから」
部長がいると止められそうなので、彼女が来る前に除霊を始めたのだけど、今のところケースを開けてもなんともないのが拍子抜けだ。
もしかすると、昨日広瀬裕が除霊してしまったとか?
「勿体ぶって、報酬を上げようって腹だったのよ」
「やっぱり除霊師って胡散臭いわよね」
「なにが性質の悪い悪霊よ。なにもないじゃない」
「本当、心配して損しちゃった。呪い殺せるものならやってみなさいよ」
悪霊が出てくるという話だったので緊張していた部員たちも、実際にケースを開けたらなんともなかったので拍子抜けしたようだ。
緊張の糸が切れたみんなは、悪霊なんて大したことはない。
除霊師なんてやっぱりインチキなのだと、笑いながらお喋りを続けていた。
「本当、拍子抜けしたわね。左膳寺左衛門の悪霊なんていないじゃない」
望月さんにこの弓を返せるからよかったわ。
広瀬裕も、こんな偽物の那須与一の弓に執着して、ちょっと笑えるわね。
「大体、大昔の弓がここまで綺麗なはず……「シラヌノカ? コノユミハ、ワレガコレマデノロイコロシタニンゲンノセイキニヨリ、アタラシサヲタモッテイルノダ」
「えっ?」
突然男性の声が聞こえたので、私は思わず辺りを見渡してしまった。
現在、弓道部には男子部員が一人も存在せず、顧問も女性教諭だったからだ。
では、この男性の声は?
「葛城先輩!」
望月さんの叫び声を聞き、彼女が見ている方向に視線を向けると、そこには一人の男が立っていた。
弓から数メートル離れた場所で、大昔の鎧兜姿に、額に穴が開いているにもかかわらず、血を一滴も流していないのがおかしかった。
よく見ると足の先が少し薄くなっており、つまり彼が左膳寺左衛門の悪霊ということなのであろう。
それにしても、私よりも望月さんの方が先に気がついてしまったのね。
「キノウハキエルカクゴヲシタガ……ヨワイジョレイシダナ。ハナシニナラン。イツデモコロセルザコバカリダ」
そう言うや否や、左膳寺左衛門の悪霊は全身から黒いオーラ、霊力の霧を周囲に拡散した。
これが霊力だとわかるくらいには、私も成長していたのだ。
「寒い……」
それを浴びてしまった私は一気に力が抜けてしまい、その場に尻もちをついてしまう。
もうすぐ初夏なのにあまりの寒さから全身の震えが止まらず、歯をガタガタと震わせていた。
他の部員たちに至っては、その場で腰を抜かしてしまったようだ。
中には気絶してしまった人もいた。
「コノテイドカ。キノウノジョレイシガイナクテコウウンデハナイカ。アトハ、ザコシカイナイ」
左膳寺左衛門の悪霊は、広瀬裕の不在を喜んでいた。
この悪霊は彼のみを警戒し、私など簡単に呪い殺せる雑魚除霊師だと思っているのだ。
実際にそのとおりで、彼の冷たく濁った目で見つめられると、もう私は体を動かせなかった。
「葛城さん、なんとかしてよ!」
「あなた、除霊師でしょう?」
辛うじて気絶はしていないが、悪霊の放った霊力にあてられて腰を抜かし、動けなくなった部員たちが私になんとかしろと言ってきた。
さっきまでは悪霊なんて大したことない、私が除霊すれば大丈夫だと強気の発言を繰り返していたのに、もう私の不甲斐なさを責め立てている。
私も彼女たちの無責任な発言に従った結果がこの様なので、同罪か……。
「えいっ!」
それでもなんとか、持参したお札を悪霊に投げつけてみたが、その目前でお札は青白い炎を出しながら燃え尽きてしまう。
私の霊力とお札の威力が完全に不足していて、悪霊にまったくダメージを与えていないようだ。
悪霊は余裕しゃくしゃくといった表情を浮かべていた。
「まだよ!」
出し惜しみはなしだと、続けて残りのお札をすべて使ってみるが、残念ながら悪霊にはまったく効果がなかった。
素人が、ちょっと怨体の浄化を立て続けに成功させ、気が大きくなってこの様か。
ろくに除霊師のことを知りもせず、生臭ジジイの胡散臭い仕事だからと舐めたツケがこれというわけか。
私と、私を煽った部員たちはともかく、望月さんは逃がさないと……。
「ねえ、そういえば望月さんは?」
「あれ? 今までいたわよね」
「いつの間に逃げ出したの?」
私のみならず、部員たちが気がつかないわずかな時間で消えてしまった?
逃げたにしても、ちょっと手際がいいのでは?
一体彼女は何者なのかと考えている時間はなかった。
私にもう打つ手がないことを知った悪霊が、顔をにやつかせながらこう言い放ったのだ。
「ワガユミハ、ニンゲンノセイキヲクライ、コノヨウニイツマデモキレイナママナノダ。オマエタチモ、ユミヲキレイナママニスルノニヒツヨウナイケニエナノダ」
「……」
私たちは、那須与一の弓が綺麗な状態を保つため、悪霊によって呪い殺される。
どうしてこの悪霊が誰にも除霊されず封印されてきたのか。
もっとよく考えるべきだったのだ。
広瀬裕は、ちゃんと根拠があって弓の除霊を後回しにしたのに、それを私たちが胡散臭いと言って勝手に除霊を始めてしまった。
私たちはこれからすぐ、自らの愚かな行為により自業自得で死ぬわけね。
なんとかしようと思っても、悪霊の絶望的なまでの強さのせいで、体が前に出ていかない。
完全に心が委縮してしまっているのだ。
「葛城さん! 私たちを助けなさいよ!」
「それでも除霊師なの!」
「無責任よ! あなたが一人での除霊を引き受けるから!」
部員たちもいよいよヤバイと思ったのであろう。
揃って後ろから、私を批判してきた。
最初、広瀬裕たちが胡散臭いと勝手に決めつけ、除霊の報酬として望月さんの弓が取られると知り、それを言った彼に反発した。
経済的な問題がある後輩がようやく手に入れた弓まで除霊費用として奪う除霊師に対して反発する。
私も同じ弓道部員だからと、その場の空気に同調した結果がこれだ。
弓道部の総意として決めたことなのに、それが間違いで悪霊に殺されそうになったら、私一人に責任を押し付ける。
人なんてこんなもの……そういう風には思いたくないけど、実際にそうなるのを見てしまうとなんとも言えない気持ちになる。
素人ほど、勝手な思い込みや判断で好き勝手に言う。
プロの除霊師は、そんな素人たちの意見に迎合なんてせず、ただ適切な方法で仕事をするのみ。
完全に実力本位で、失敗すれば自からの死でそれを償い、成功しても仕事の内容上大々的に賞賛されるわけでもない。
除霊師は大変な仕事なのに、私はただ嫌いな生臭ジジイがその仕事をしていて、ろくに本業である住職の仕事をしないから嫌っていただけ。
一人前の除霊師になるのには時間がかかるのに、ちょっと順調だからという理由でいい気になってしまった。
「カクゴハイイカ?」
「……」
悪霊は、私に最後の時間を与えるくらい余裕な態度を見せていた。
私は勿論、部員たちが自分になにもできないことを理解しての発言であろう。
「マサニ、ヘビニニラマレタカエルダナ。サテ、ダレカラコロスカナ」
悪霊はまずは私を見てから、次に後ろにいる部員たちを舐め回すように見始めた。
まだ意識がある部員たちは声こそ出さないが、彼女たちの視線が背中に刺さる感覚があった。
自分は一秒でも生きていたい。
だからまずは、私を殺せばいい。
そういう風に思っているのであろう。
「ハハハッ! ニンゲントハソンナモノ! ジブンカッテデ、ヒキョウデ、ジブンノコトシカカンガエナイ! ソレデイテ、タニンニイイカッコウヲシタガル! ソレデフリエキガショウジルト、スグタニンノセイニスル! アゲクニミジメダナ!」
悪霊からの指摘に、私たちはなにも言えなかった。
それが事実であり、しかも私も含めて彼女たちが配慮したはずの望月さんは、さっさと逃げ出していたのだから。
こんな滑稽な話はないだろう。
「デハ、シヌカ? サッソク……ッ! ナンダコレハ? ソンナ、バカナ!」
もはや反撃する手段もなく、これで終わりだと諦めかけたその時、なぜか急に悪霊が動揺した風な態度を見せた。
すぐに顔を上げて悪霊を見ると、彼の体のあちこちに細いキラキラと光る糸が巻き付いていた。
悪霊は突如出現した数十本の細く光る糸で身動きが取れなくなり、突然のことに驚きを隠せないようだ。
「イツノマニ!」
「ばーーーか! これだから霊力自慢の悪霊は。そんなの、昨日からに決まっているだろうが」
「コノコエハ……」
「昨日、お前を消さなかった時点で少しは怪しいと思えよ。俺の霊力で作った糸は、その時からお前に絡まっていたんだ。ただ、さっきまで緩く細くしていたからお前が気がつかなかっただけ。弓の達人にしては、情けない話だな」
「レイリョクノイト!」
「基本的に、お前のように多くの霊力を蓄えた悪霊によくあるケースだ。己の霊力が強すぎるがゆえに、俺が仕掛けておいた霊糸に気がつかない。人間の武芸の達人からすれば、こんな間抜けな話はないけどな」
「キサマァーーー!」
もう駄目だと思っていたら、いきなり目の前で状況が激変してしまった。
明後日にならなければ部室に来ないはずの広瀬裕が姿を見せ、さらに昨日から悪霊に霊糸を絡ませ、その動きを監視していたばかりでなく、すぐにそれを用いてその動きを大幅に封じてしまったのだから。
一瞬で、今度は自分がすぐに消される側に転落した悪霊は、広瀬裕に対し憤怒の表情を浮かべていた。
そのあまりの怖さに、ほとんどの部員たちが意識を失ってしまう。
私もあまりの恐怖に、その場で叫び出したい気持ちであった。
「そう周囲に悪い霊力の公害を広げるなよ」
そう言いながら広瀬裕が右腕を軽く払う動作をすると、部室全体に清らかな涼風が舞い、それが収まった途端、私の心は正常な状態に戻った。
「除霊じゃない?」
「除霊術の一種だ。生物を癒す効果は、逆に言えば悪霊の力や負の霊力を抑える効果がある」
確かに彼の言うとおり、悪霊を見ても体が震えたりはしなくなった。
あの涼やかな風のせいで、悪霊自体の力が大幅に落ちてしまったようにも見える。
「カラダノチカラガヌケル……」
「ちょっと色々な都合があって除霊を明後日にしたんだが……やっぱりちょっと弱らせた程度で悪霊は改心しないか。消える間際は例外として。そんな悪霊見たことがないし、そういう奴は悪霊にはならないか」
「ナメクサッテ! ワレハ、サゼンジサエモン! ナスノヨイチノサイライナリ!」
「自意識過剰にも程があるな。たまたま那須与一の弓を手に入れ、辺り構わず人を射殺して喜んでいた連続殺人鬼が」
「殺人鬼?」
「左膳寺左衛門は小さな国の領主だったが、領民たちからは嫌われていた。弓の腕はそこそこだったようだが、那須与一の弓を手に入れた途端、自分は那須与一の再来だと勝手に名乗り、手あたり次第人を弓で射殺したんだ。当然領民たちも犠牲になっていて、ついには他の豪族や国人の領民や家臣・兵まで無差別に射殺すようになり、最後は周辺の豪族や国人たちによって殺された」
それって、完全に無差別殺人者じゃないの。
望月さんは、そんな人が使っていた弓を持ち込んだわけね。
「その死後も、悪霊化した左膳寺左衛門は、那須与一の弓で人を射殺し続けた。人を殺せば殺す程、悪霊も弓も厄介な存在になっていく。だから封印されたんだ。弓も最初は霊器だったんだが、左膳寺左衛門のせいで魔弓となってしまった」
そんな弓がどうして望月さんに?
そうか。
タイミングよく逃げ出し、今この場にいない彼女は、この騒動の仕掛け人側というわけか。
そして、今回の騒動の仕掛け人は……。
「そういう種明かしはあとだ。まずは、諦めて除霊されろ! 左膳寺左衛門!」
「マダダ! ユミハマダウツクシクナル!」
「人殺しで美しくなる弓なんていらないだろう。常識的に考えて。それに、動かない方がいいぞ」
「ナッ!」
悪霊が自分に絡まった霊糸を振りほどこうとした途端、霊糸が太くなり、それがさらに締まって悪霊の体を拘束していく。
「霊はほぼ霊力のみで構成されている。お前が無理をすると、強化された霊糸に霊体を切り裂かれるぞ。消えはしないだろうがダメージも多い。いや、消えるか」
あらためて見ると、広瀬裕は決してインチキな除霊師ではなかった。
私たちの知らないところで……気がついていないだけか……昨日から用意周到に動いていて、もはや悪霊には生き残る方法がなかった。
私たちを追いつめて悦に入って油断したところで、一気に手を進めたわけだ。
もっと早く助けてくれれば……そんな考えは、今ほとんどが気絶している部員たちと同じだ。
たとえ相手が弱くても、広瀬裕は油断など一切しない。
とても私よりも一つ下とは思えないほど、練達の除霊師であった。
前に生臭ジジイから、広瀬裕は高校入学と同時に除霊師になったと聞いた。
まだ除霊師としては新人なのに、そのやり口はベテランの域にある。
彼は一体何者なの?
一度そう思ってしまった途端、広瀬裕という人物にとても興味が出てきたのは不思議だ。
昨日まではいけ好かない奴だと思っていたのに。
「コノママ、キエテタマルカ!」
「もう諦めろよ」
「アキラメテナルモノカァーーー!」
ここで、悪霊は予想外に行動に出た。
なんと、自分の体に纏わりつく霊糸を強引に断ち切って束縛状態から脱したのだ。
同時に、ケースから出され練習場の床に置かれた弓が浮かび上がり、そのまま高速で飛行して悪霊の下へと向かった。
弓を手にした悪霊は半透明の状態で弱っていたが、彼はこれで形勢逆転だと、再び余裕の笑みを浮かべていた。
「ワガユミヲクライ、シヌガイイ! シンダオマエガアクリョウカスレバ、オマエヲキュウシュウシテ、フタタビチカラヲトリモドセルノダカラ!」
「なるほど。そうくるか」
「ちょっと、大丈夫なの?」
まさかこんな手でくるなんて。
確かにこの悪霊は、弓の腕前に自信がある。
例え弱ったとしても、魔弓さえ手にすれば、容易に広瀬裕を射殺できるというわけだ。
「まさか、こんな手でくるなんて……」
「オマエラヲゼンインコロシ、コノユミヲ、エイエンニウツクシキスガタニスルノダ!」
「形あるものはいつか壊れるって言うけどな。そういう摂理に逆らうのはどうかなって思う」
「マケオシミトハナ! シネ!」
悪霊は、広瀬裕に対し矢を放った。
あの魔弓には矢がついていなかったけど、それは悪霊が自分の霊力で作り出すから問題ないようだ。
そして放たれた矢は、広瀬裕の頭部を一直線に目指していた。
さすがは弓の腕前に自信があるようね。
それにあのスピード。
回避は難しいので、このままだと広瀬裕が……。
再び不利な状況に追い込まれ、私の心が再び絶望で埋め尽くされるかと思ったその時、彼の額に直撃するはずだった矢が、真っ二つに切り裂かれて地面へと落ちていった。
矢は霊力でできているので、地面に落ちた瞬間消えてしまったけど。
「残念だったな。最後のあてが外れて」
「バカナ! ワタシノシンソクノヤガ!」
「この程度で神速とか抜かすな。お前ごときが放った時点で限界があるんだよ」
どこからか、まるで手品のように取り出された刀で、悪霊の放った矢は真っ二つに切り裂かれた。
しかも、縦に真っ二つなので、広瀬裕は完全に矢の軌道を把握していたのだ。
自分の会心の射撃をかわされるどころか、刀で切り裂かれてしまい、悪霊は信じられないという表情を浮かべていた。
「ナラバ!」
悪霊は、すぐに次の矢を霊力で作り出して弓に番えた。
その連射の腕前は弓道をしている私たちから見たら、あり得ない早さであった。
刀を持つ広瀬裕は近接戦闘しかできないが、悪霊は時間さえあればいくらでも矢を放てる。
しかも、両者の距離が近ければ近いほど回避は難しくなる。
霊糸を脱した悪霊が強気なのには確固たる理由があったのだ。
「ハハハッ! シネイ!」
悪霊は高笑いしながら、番えた矢から指を離した。
放たれた矢が弓から離れ、広瀬裕の額の真ん中に向かって放たれる。
さすがにこれは回避できないだろうと私は思わず目を瞑ってしまったが、次の瞬間耳に入ってきたのは悪霊の断末魔の声であった。
「ナゼダァーーー!」
「なぜもくそも、お前の矢を再び切り裂き、続けてお前も切り裂いただけだ」
私が目を瞑った間に、広瀬裕は一瞬で悪霊を刀で袈裟斬りにしていた。
致命傷を受けた悪霊は、どうして自分が一瞬で刀で切り裂かれたのか理解できなかったようだ。
信じられないといった表情を浮かべている。
矢は放たれたはずだが、再び広瀬裕が縦に真っ二つに切り裂いてしまったのであろう。
一撃目よりも両者の距離が狭いのに、同じ方法で矢を切り裂くなんて、除霊師である以前に彼の身体能力が信じられなかった。
悪霊も、私と同じことを考えたのであろう。
「クソォーーー! ワタシハホロビヌゾ! イツカマタウマレカワッテ!」
「はいはい。そういう臭い芝居はいいから」
悪霊に対しそう言うと、広瀬裕は彼から弓を奪い取った。
続けてなにか呪文のようなものを唱えると、両腕から発生した眩いばかりの青白い光を制御し、それで弓を包み込んでしまう。
「ナゼワカッタ?」
「なぜって、それは俺が除霊師だからな」
「どういうこと? 広瀬裕」
「簡単なことだ。左膳寺左衛門の悪霊の本体は、弓の中にいるのさ」
今まで私たちを追い込んでいた悪霊が、実は本体ではなかったというの?
まったく気がつかなかった。
広瀬裕は気がついていたというのに……。
「弓を綺麗に保つためだけに人を殺して悪霊化させ、その霊力を奪っていたわけではない。弓に籠っている悪霊本体を強化するためだったのさ。これに気がつかなくて死んだ除霊師は多かっただろうな」
なるほど。
弓の外に出ているのは、悪霊の怨体だったわけね。
でも、普通の怨体とは違って、下手な上位の悪霊よりも強い存在だった。
だから弓の外にいる怨体のみを倒し、安心していた除霊師が弓の中にいる悪霊本体に油断を突かれて殺されるケースが多かった。
実力のある除霊師の悪霊から霊力を奪えば、もっと悪霊は強くなる。
だからなかなか除霊されなかったわけだ。
「キガツクヤツハ、コレマデヒトリモ……」
「いい手だったが、俺には通用しなかったな。じゃあ、そろそろ逝くか?」
「イヤダァーーー!」
「いい年をして駄々を捏ねるなよ。弓の練習なら、あの世でやるんだな」
広瀬裕はさらに強い光を両手から出し、それで弓を包み込んでいく。
その青白い光は彼の強力な霊力だと思われ、お札がなくても悪霊を除霊できるのは凄いと思う。
生臭ジジイだって、そんなことはできないのだから。
「イヤダァーーー! モットヤヲハナッテエモノヲ!」
「そんな考えだから除霊されるんだよ。地獄に行け!」
「アアッ――――――!」
最後に悪霊が断末魔の声をあげたあと、ようやく弓を包んでいた青白い光が消えた。
広瀬裕は、無事弓に中にいた悪霊を除霊したと判断したのであろう。
「これは厄介な。元々は除霊に使っていたのに、悪霊が悪さをするに使うから『反転』して魔弓になっていやがる。直さないと、普通の人では触れないな」
そう言うと、広瀬裕は那須与一の弓をまるで手品のように消してしまった。
一体この技は……。
「あとは……」
続けて再び手を振りかざすと、練習場全体に青白い光が広がっていく。
これを浴びた私は、なぜか体が軽くなったような気がした。
「……私、気絶していた?」
「あの悪霊のせいで?」
「悪霊なんていないわよ。催眠術かなにかよ」
青白い光のおかげで気絶していた部員たちも目を覚まし、これで一件落着とはいかなかった。
悪霊は無事退治されたが、なぜか部員たちが広瀬裕を責め始めたからだ。
「おかしな催眠術で、私たちをこんな目に遭わせて!」
「生徒会に苦情を入れて、あなたを処罰してもらうから!」
「望月さんの弓はどうしたのよ?」
「ネコババ? だから除霊師なんて胡散臭いのよ」
自分たちが勝手に私一人に除霊させて危機に陥り、それを助けに来た広瀬裕に文句を言うなんて。
彼女たちはなにを考えているのかしら?
大体、望月さんなんて、悪霊が出現したらとっとと逃げ出してしまったではないの。
責められるべきは広瀬裕ではなく、勝手に危険なことをした私たちのはずだ。
「みんな、ちゃんと明後日に除霊してもらえばこんなことにならなかったのだから、彼に謝った方がいいわ」
「はあ? どうして危険な目に遭った私たちが謝らなければいけないのよ」
「そうよ、私たちは被害者なんだから」
「除霊師なんて胡散臭いけど、プロなら私たちを危険な目に遭わせるなんておかしいわ。そんなのプロ失格よ」
「だから、それは明後日に除霊してもらえば済んだことで……」
「葛城さん、あなたは広瀬の味方をするの?」
「私たち、同じ弓道部ではなくて? これだから、二年生になってから入ってきた転入生は駄目なのよ」
「所詮、葛城さんも除霊師の仲間なのね」
こういうことになってしまったか……。
この高校の弓道部は、前に弓道をしていた高校の部活とはまるで違っていた。
部員が少ないからか、変な方向で仲間意識が強すぎるというのか……。
「望月さんだけど、彼女は怪しいわ。今回の件は、彼女もグルだった可能性があって……」
「そんなわけないじゃない」
「せっかくの新人部員を、葛城さんは苛めるの?」
「いやね、後輩苛めって」
「一年生からいる私たちでも、そんなことしないのに……」
「大会で成績を残しているから、いい気になっているのよ」
こうなってしまうのか……。
同じ弓道部員だという仲間意識から、私は先に除霊してしまおうという提案に乗ってしまったが、それは大きな間違いだった。
私の除霊に対する認識が間違っていたために、弓道部の全員が悪霊に殺されてしまうところだったのだ。
それを助けてくれた広瀬裕に対し、みんなは謝るどころか、その責任を追及し始めてしまった。
弓道部の仲間に悪い人なんていない。
つまり、悪いのは除霊師である広瀬裕。
そして、彼を庇う私も同類というわけか。
弓道の成績で私に負けているから嫉妬の感情も混じって、余計に複雑なのもあるのか。
「俺は生徒会長に頼まれて今回の除霊を行ったわけだが、その生徒会長にお願いした部長さんも同じ意見なのか?」
「部員たちを危険な目に遭わせたのは感心しません」
「勝手に除霊しようとしておいてよく言うな。そんなに部員たちに嫌われるのが嫌か?」
「……」
部長だって、今日のことは弓道部が悪いと理解している。
だけど、ここで正直に弓道部員たちの罪を責めたところで、彼女たちの反発しか受けないのもわかっていた。
今後のことを考えたら、これで縁がなくなる広瀬裕を責めた方が、今度の人間関係は良好なままだと判断したのであろう。
弓道部という小さな集団では、その判断もアリといえばアリだ。
「俺は生徒会長の依頼を受けたわけで、別にあんたらがどう思おうといいけどな」
「それよりも! 望月さんの弓を返しなさいよ!」
「そうよ、そうよ!」
「おめでたい連中だな。もうそろそろか……」
「裕ちゃん、捕まえたよ」
「意外と素早かったわね」
「ジャパニーズニンジャだからかな?」
相川さんたちが練習場に入ってきたが、その手には縛られた望月千代子の姿があった。
やはり、望月さんは逃げ出そうとしたわけね。
三人が除霊に参加していないので変だと思ったけど、逃げ出した望月さんを捕らえに行っていたわけか。
「望月さん?」
「当然、この望月さんは一年E組の望月さんじゃないけど」
「どういうこと?」
「間抜けな部長さんだな。一年E組の望月さんはまったくの別人だぞ。ついでに言うと、弓道に興味はないってさ」
まさか、この望月さんが堂々とこの学校の生徒になりすまし、新入部員のフリをして呪われた弓を持ち込んだ。
などとは思わないのが普通か。
「それで、望月一族の除霊師がどうして魔弓を持ち込んだ?」
「知らないわ。それよりも、私をこんな風に拘束して犯罪じゃないかしら?」
当然、望月さんは広瀬裕の質問には答えなかった。
それどころか、自分を捕らえて縄で縛るのは犯罪だと言い放つ始末だ。
確かに、魔弓を持ち込んだ件で彼女の罪を問い質すのは難しい。
警察としても、半数が信じていない霊関係の事件で犯人を逮捕したがらないからだ。
有り体に言ってしまうと、彼女はただ古い弓を持ち込んだだけなのだから。
もし誰かが悪霊に殺されたとしても、望月さんの犯行ではないし、悪霊なんて存在せず、存在しないものに人が殺されても立件なんてできない、というのが警察の見解だったのだから。
ましてや、望月さんは未成年だ。
余計に罪を問うのが難しかった。
「私はネットオークションで購入した弓を持参しただけよ。あと、確かにこの学校の生徒じゃないけど、私は弓道に興味があっただけだもの」
「ふーーーん。あくまでもシラを切り通すんだな」
「シラもなにも。それが事実だから」
「まあ別にいいけど。一度だけ正直に喋るチャンスをやったんだがな」
「なによ! 私になにかしたら犯罪だからね!」
悪霊が憑いていた品を持ち込んだくらいで罪にはならない。
それがわかっている彼女は、捕まっても強気な態度を崩さなかった。
「野蛮ね、除霊師って」
「望月さんにイタズラでもするつもりなんじゃないの?」
不思議なことに、弓道部の部員たちまで望月さんを庇い始めた。
この一週間ほど、一年E組の望月さんに成り代わっていた偽物で、それに気がつかなかった弓道部ってかなり間抜けなので、あえて彼女を庇うことでプライドを満足させているのであろう。
もう今回の事件で、弓道部なんてどうでもよくなってしまった。
そして外野がうるさいからか、広瀬裕は望月さんを縛っていた縄を解いてしまう。
せっかく相川さんたちに命じて捕らえさせたのに。
「それでいいのよ。私を捕らえた三人は不満かもしれないけどね」
解放された望月さんは、自分を捕らえた相川さんたちに対し皮肉を口にした。
「別に、だってその気になればいつでも捕らえられるもの」
「なんですって!」
これまでの望月さんを見ていると、やはり広瀬裕の言うとおり忍の技を修めているのだと思う。
望月さんが偽名かどうかはわからないが、忍の一族には属しているはずだ。
そんな彼女が、除霊師である相川さんに捕らえられたのは屈辱以外のなにものでもなく、それを彼女に指摘された瞬間、望月さんは激高した。
この一週間の彼女の動きを見ていると、かなり忍の腕前には自信があるようだから当然か。
「ちょっと油断しただけよ!」
「そうかしら?」
「忍の割にはトロかったよね」
相川さんたちが除霊師としてどれだけの腕前を持っているのかは、これまで一緒に浄化をしていたにも関わらず、私にはわからなかった。
なぜなら三人は、私の後ろで浄化を見ていただけなのだから。
なにかあれば注意したり、危険なら助けに入る予定だったのだけど、そんなことは今まで一度もなかったからだ。
ただ、いくら除霊師として優れていても、身体能力で忍には勝てないはず。
ということは、広瀬裕も含めてかなりの身体能力の持ち主というわけか。
少なくとも、全力で逃走していた望月さんを簡単に捕らえてしまうほどには。
素早さでは専門外である除霊師に捕らえられ、望月さんはかなりショックを受けたのだと思う。
だから逆に、強気の態度を崩さないというのもあるのか。
「私は……クソッ! 覚えてなさいよ!」
俺たちになにか言おうとした望月さんであったが、もし彼女が本当に忍ならその正体を他人に話すわけにいかない。
口を噤んでから、素早くその場から消え去ってしまう。
「おおっ! 忍だな」
「裕君、いいの?」
「いいさ」
広瀬裕は、無事左膳寺左衛門の悪霊を除霊し、那須与一の弓も手に入れた。
いくら弓道部員たちに悪く言われても決して激高せず、冷静に除霊師としての仕事をやり遂げ、価値のある弓まで手に入れた。
「(広瀬裕、生臭ジジイなんて目じゃないわね)」
残念ながら、今回の事件のせいで私はもう弓道部にいられないであろう。
いても仕方がないとも言える。
でも、ちょっと別のものが気になりだしたので、そちらに集中しようと思う。
そのためには除霊師としての鍛錬も必要で、弓は別に部活に所属していなくても練習はできるからいいか。
この高校、弓道部は部員も少ないし、レベルも低いから、無理に所属しなくてもいい。
これからは、広瀬裕という男を追いかけてみようと思う私であった。
「そういえばさ、本当にあの子を逃がして大丈夫なの? 呪われた那須与一の弓を所有していたところと、あの子におかしなことをさせた黒幕もわからなくなるじゃない」
「ああ、それなら心配ないさ」
仕事も終わったし、どうも今回の事件で俺は弓道部の連中に嫌われてしまったようだ。
一方的に悪意をぶつけられたような気もしたが、人間なんてそんな奴は珍しくもないので気にしない方がいいだろう。
すぐに弓を持って練習場を出ると、すぐさま里奈が望月千代子を逃がして大丈夫なのかと聞いてきた。
黒幕がわからなくなってしまうと思ったのであろう。
「それに関しては……」
同じく弓道部の連中との間に溝を作ってしまった葛城桜も、なぜか俺たちについて練習場を出て来てしまった。
俺たちを庇って仲間から集中砲火を浴びたので、もうあそこにはいたくなくなったのであろう。
今、同じ部屋に住んでいるというのもあるのか。
「この世界は、忍も甘いな。彼女は若いからかな?」
そういうと、俺は極小さく半紙を切って作った人型を久美子たちに見せた。
「依り代?」
「これが、望月千代子の体のどこかに張り付いているのさ。彼女は忍なので気がつくと思ったんだけどな……」
どうもあの子は、忍びとしてはともかく、除霊師としての才能はないみたいだ。
忍の一族である望月家から仕事で寄越されたと考えると、自然と黒幕もわかってくるというものだ。
「那須与一の弓なんて代物。そう簡単に手に入るものか」
価値はあるが、普通の人間は触っただけで死ぬので、そもそも売買なんてしておらず、間違いなく除霊師、それも力のある除霊師の一族なり組織が保管していたはず。
となれば、あの弓を望月千代子に渡した人間の特定は容易というわけだ。
「私の祖父なんでしょう? 弓の所有者は」
「そう考えるのが自然かな」
葛城桜の問いに対し、俺は正直に答えた。
どうも彼女は実の祖父である会長が嫌いなようで、彼女に教えても告げ口はしないと判断したからだ。
「その目的は、私と広瀬裕、あなたを結びつけるため」
「それしかない」
いわゆるつり橋効果を狙ってというやつか。
那須与一の弓は、除霊さえされれば失っても惜しくないのであろう。
あんな厄介な弓だ。
きっと犠牲者多数で、葛城桜の祖父である会長が纏めている無間宗の寺に無料で預けられていたのであろうから。
「あの生臭ジジイ! あいつのせいで、私は弓道部にいられなくなったじゃないの!」
そして会長の思惑どおり、葛城桜は完全に除霊師側の人間となり、同時に俺たちと行動を共にしている。
校内の除霊師とは縁がない連中も、そういう風に受け取るはずだ。
「結局、あの生臭ジジイの思惑どおりなのがムカつくわ!」
「これまではそうかな」
望月千代女が久美子たちに捕らえられたのは予想外かもしれないが、それは雇われた彼女のミスでしかなく、その目的はほぼ達成したからな。
那須与一の弓。
どうもあれは、保管のコストが相当キツかったらしい。
会長は、手放せて清々しているものと思われる。
孫娘も上手く除霊師側に引き寄せられ、俺たちとの関係もマシになった。
さすがは日本除霊師協会の会長にまでなった男。
上手くやったと見るべきか。
「そうは問屋が卸さないけど」
このままやられっ放しというのもな。
あの会長に、あくまでも除霊師流に仕返ししてやろうではないか。
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