第53話 与一
「へえ、上手なんだな」
「実戦で、動く標的に矢を当てるのは難しいもの。葛城桜は弓道のインターハイ代表選手だからね」
「涼子、詳しいんだな」
「まあ、その辺は安倍一族の情報網からね」
「それで、どうして私たちが呼び出されているの? わかる? 裕ちゃん」
「わからない」
「里奈は?」
「私だけなら、部活の壮行会で歌ってくれとかだろうけど。なんでみんな呼び出されたんだろう?」
戸高第一高校に転入し、除霊師としての訓練を始めた葛城桜であったが、同じマンションの最上階で一緒に住んでいるにもかかわらず、俺たちとは顔を合わせる機会が少なかった。
その理由の一つに、彼女が部活動をやっているというものがあった。
最初弓を持って現れたのでわかりやすかったが、彼女は弓道を小さい頃からやっていたそうだ。
別の世界の桜さんも同じで、彼女が戦う時も弓を武器として使っていた。
この世界の葛城桜さんは、桜さんほど弓が上手ではなかったが。それはあくまでも実戦で使えるかというレベルの話だ。
部活動レベルなら、彼女は十分に一流の選手だった。
実際、一年生の頃から東京都代表でインターハイにも出ており、ベスト8に入る成績を収めたそうだ。
今も、次々と矢を的の中心部に命中させていた。
「実はね。生徒会長にお願いしたのだけど、ある弓を見てほしいのよ」
俺たちを呼び出したのは弓道部の部長で、彼女は生徒会長になった漆間先輩からアドバイスを受けたのだそうだ。
専門家でもない俺たちに見てほしい弓……霊関係なんだろうなと容易に想像がつく。
「漆間先輩も、結局私たちを除霊委員会にしたいのかしら?」
「ごめんなさい。除霊が大変なのはわかるけど、急ぎどんなものが見てもらわないと危険だって、葛城さんが……」
葛城桜は、まだ霊力に目覚めたばかり。
弓道部に心霊絡みのなにかが発生したのはわかるが、それがどの程度厄介なのか自分ではまだわからない。
だから俺たちに相談するよう、部長に言ったわけか。
本人は、俺たちを無視して練習しているけど。
「それで、どんな感じなのですか?」
「実は、うちの部員が変な弓を買ってしまって……」
「どこにありますか?」
「道具を仕舞う倉庫にあるわ。もう触らない方がいいと思ってそのままにしているけど。なんか、嫌な気配がするのよね」
「ちなみに、部長さんに霊感などは?」
「ないわ」
霊感がない人が嫌な気配を感じてしまう。
かなり厄介な悪霊が憑いた弓かもしれない。
「ここよ」
「うっ! 裕ちゃん」
「もうすぐにわかったわ」
「どんな悪霊なのかしら?」
部長さんの案内で道具を仕舞う倉庫の前に来たが、もうこの距離で嫌な気配を感じてしまった。
というか、その弓を手に入れた人。
よくここまで持って来れたな。
「普通に触っただけで霊障があるレベルなんだけど、どうやってここまで持ってきたの?」
「一年生の子がネットオークションで購入したのよ。ちょっと経済的に苦しい子で、中古の弓を探していたら見つけたみたい」
写真ではいい弓に見えたし、状態もよく見えたので購入したらしい。
「宅配の人大丈夫かしら?」
「それが、当然弓は専用のケースに入っているわけだけど、そのケースの裏側にお札がびっしり貼ってあって……」
あきらかに霊的にヤバイものだとわかっているのに販売するなんて、一体元の持ち主はなにを考えているのか。
素人さんだとない話でもないのか。
不用品を他人に押しつけたとも言える。
「とりあえず見てみるか」
「あの……危険なので無理をしなくてもいいですから」
俺が呪われた弓の現物を拝もうと倉庫に入ろうとしたら、それを止める子がいた。
高校生にしてはかなり小柄な子で、身長は百四十五センチくらいだと思う。
赤みがかった髪とポニーテールが特徴の、とても愛らしく保護欲を誘う容姿をした女の子であった。
「部長さん、この子は?」
「弓を購入した子よ。望月千代子さん。彼女は弓道をやりたくて入部したのだけど、母子家庭で高額の道具が揃えられないって」
それで安い中古品、それもネット通販で得体の知れない商品を購入してしまったのか。
霊を信じている人や、俺たちのように霊感がある人間は、人が使っていた品を購入する時には注意する。
なぜなら、その道具に思わぬ悪霊が憑いていたり、変な呪いがかかっていることがあるからだ。
呪いは基本的に生きた人間がかけるものだが、呪いをかけた人間が死んでも効力が消えないどころか、さらに効力が強くなってしまうケースも多い。
最悪なのは、その呪いに呪いをかけた当の本人が引き寄せられ、悪霊化するパターンであろう。
強い悪霊や呪いが憑いている道具で死ぬ人間は、世間の人たちが思っている以上に多い。
日本のみならず、世界中で同じ問題が発生しているからだ。
除霊師には『道具憑き専門』の人もいるので、素人が下手な中古品には手を出さないことだ。
それが古い品なら余計に。
「あの……私、弓道をやりたかったんですけど、お金がなくて、アルバイト代からなんとか中古の弓を購入したんです。でも、そんなに危険なものなら……」
母子家庭で苦しい生活のなか、どうにか工面したお金で購入した中古の弓が悪霊憑きだったのか……。
こういう時、『除霊師なら早く悪霊を祓いなさいよ!』とか、えらく上から目線の依頼者が一定数いたりするのだけど、望月さんは危険な弓なら諦めると、とても謙虚な態度なのは好感を持てた。
「実際に見てから決めるよ」
「裕ちゃん、私も一緒に」
「いや、悪いが一人の方がいい。倉庫は狭いからな」
どうも、倉庫にある古い弓に憑いている悪霊は相当厄介な感じなので、こういう時はかえって一人の方が安全というわけだ。
俺は一人で倉庫の中に入った。
すると、目的の弓はすぐにわかった。
なぜなら、その前に首と胴体の間に隙間が空き、額に銃弾が貫通したあとがある武者の悪霊が立っていたからだ。
この隙間は、討ち取られた武将の悪霊などに多い特徴だ。
一旦、首を斬り落とされているからな。
弓の隣には開けられたケースが無造作に放置されていたが、開いた口から内側に貼られた封印用のお札を見ると、かなり高額のお札が使われている。
予想どおり、この弓に憑いている悪霊は少なくとも戸高備後守以上の強さを持つ悪霊というわけだ。
「名は?」
「ワレハ、サゼンジサエモン! 『ヨイチ』ハ、ワレノモノダ!」
「これは予想以上の大物だな」
悪霊は、自らを『左膳寺左衛門』と名乗った。
彼は戦国時代後期、弓の名手として知られていた。
だが、時代は徐々に鉄砲へとシフトしおり、それでも弓に拘った左膳寺左衛門はとある戦で鉄砲玉を額に受けて討死したと伝えられる。
確かにその額には、鉄砲の仕業と思われる穴が開いていた。
「しかも与一だと……」
弓になど詳しくない俺にも、与一がどれほど凄い弓なのかは理解できる。
ケースが新しいものだったので気がつかなかったが、この弓は日本史にも出てくる弓の名人『那須与一』が愛用していたもののようだ。
それを生前の左膳寺左衛門が使っていて、その後彼を討ち取った鉄砲隊の隊長が手に入れたのだが、彼はすぐに原因不明の病で亡くなってしまい、一族も絶えてしまった。
そして、那須与一の弓も歴史の闇へと消えて行ったと聞くが、まさか今ここで見つかるとはな。
「(それにしても、これまで行方不明だった那須与一の弓がなぜネットオークションに?)」
持ち主は、どうにかして左膳寺左衛門の悪霊を祓おうとしたが無理だった?
所有していると一族が絶えてしまうほど強力な霊障がある弓なので、手に入れた者はすぐに手放すからか?
でも、それもおかしな話だ。
ケースの内側に貼られたお札のおかげで、ただケースに仕舞って保存している分には霊障はなかったはずで、ならばどうして望月さんがネットオークションで手に入れられたのか?
この弓に関しては、左膳寺左衛門の悪霊が憑いていたことなんて大した問題ではないように思える。
那須与一の弓に左膳寺左衛門の悪霊が憑いていることなど、ちょっと業界にいればC級除霊師でも知らないなんてことはないのだから。
「まあ今はとりあえず」
俺は、そのまま弓の傍に移動すると、開いているケースに弓を仕舞った。
「ワレヲムシスルナ! ムクイヲクレテヤル!」
「うるさいボケ!」
俺は治癒魔法を纏わせた右腕で、自分を無視したら呪い殺すぞと喚く左膳寺左衛門の悪霊をそのままぶん殴った。
「ソンナ……」
さらにレベルが上がったからか、戸高備後守よりも厄介なはずの悪霊が、俺のパンチ一発でかなり弱ってしまった。
弓をケースに仕舞うと、封印用のお札が発動して悪霊はケース内に閉じ込められてしまう。
「意外と簡単に除霊できそうだな」
今すぐ除霊してもいいんだが、ちょっと気になる点がある。
それを確認するため、俺は一旦倉庫から出るのであった。
「裕ちゃん、どう?」
「うーーーん、ちょっと特殊な悪霊でね。除霊の準備に三日ほどほしいな」
倉庫を出た俺は、状況を聞いてきた久美子にわざと嘘を教えた。
強さもそうだが、ちょっと特殊な悪霊なので除霊に準備がかかる。
三日ほど待ってほしいと、俺は部長さんと望月さんに説明した。
「除霊できるのね。ありがとう、広瀬君」
「あの……ところで報酬なんですけど……お話によると、あの弓は価値があるものなので現物でよろしいでしょうか?」
「それでいいよ」
さて、悪霊が憑いているものを除霊するにしても、ここで問題になるのは報酬のお話だ。
当然無料というわけにはいかない。
現場が校内ということもあり、俺たちは生徒会長と部長さんの顔を立てて確認はしたけど、これだって普通に除霊師に頼めば報酬が発生する事案だ。
これだけで俺たちは学校側に配慮しており、さらに言うと、元々は悪霊が憑いた品を校内に持ち込んでしまった望月さんの責任は大きい。
彼女の家庭が母子家庭であり、除霊の報酬を支払うのは厳しいので、無料で除霊するなんてことはないのだ。
とにかく除霊というのは命がけなのだから。
幸いというか、望月さんは常識的な人で、除霊の報酬は弓の現物を差し出すと言ってきた。
この弓は那須与一の弓で、古くから伝承に残るもの。
さらに、俺の見立てでは霊器であろう。
那須与一は、あの弓で悪霊の除霊もやっていたものと思われる。
これはどんな歴史の資料にも書かれていないことで、ある意味大発見かもしれない。
あの那須与一が除霊師でもあったというのだから。
「ちょっと! それはないんじゃないの?」
誰もが除霊の報酬について納得したというのに、なぜかここで強く口を出してきた人がいた。
これまで俺たちを無視して弓の練習をしていた葛城桜である。
「望月さんは、その弓がなくなったら練習できないじゃないの! 除霊した弓は返すか、他の品で補填するのが筋よ」
「「「「ええっーーー!」」」」
ここで、葛城桜が除霊師としては素人であることを俺たちは失念していたようだ。
ある程度怨体の浄化ができるようになったが、どうも除霊師としての常識に欠けているようだ。
「葛城さん、あのレベルの悪霊の除霊なら、霊器と交換でも安いくらいなのよ」
いくら貴重で高価な霊器でも、せいぜい数億円の価値が限界だが、左膳寺左衛門の悪霊の除霊なら報酬は軽く十億円はくだらないはずだ。
それだけ積んでも、今だと誰も引き受けないかもしれない。
一人で除霊できるのは俺くらいで、あとは安倍一族のように大勢の除霊師とお札などの道具を揃えて慎重に行うような仕事だからだ。
俺なら余裕で黒字だが、他の除霊師集団や一族なら十億円でも黒字になるか怪しいところである。
だから相場でいえば、除霊した弓を貰っても黒字とはならないのが普通であった。
「ちゃんと話を聞いていたの? 望月さんは、代わりの弓を購入できるお金がないのよ。除霊の報酬で取り上げるなんて酷いじゃない」
「しかしそれは、怪しい弓を購入して部のみんなに迷惑をかけてしまった以上、通用しない理屈だな」
葛城桜は会長の孫であるし、父親も公務員で生活が安定しているため、大金持ちではないが生活に苦労したことなんてないはずだ。
だから、望月さんの家庭が貧しいからという理由だけで、正当な報酬を得ようとした俺たちを批判する。
この問題の厄介なところは、葛城桜以外の部員にも賛同する者たちが一定数出たことであろう。
「そうよね、ちょっと業突く張りだと思うわ」
「実際に見たこともない悪霊の除霊で報酬が数億円なんて話をされても、私には信じられないもの。望月さん、そんな怪しげな要求に屈してしまっては駄目よ」
「でも、私の弓のせいでみなさんに迷惑をかけてしまったから……」
「望月さんはそんなこと気にしないでいいわよ」
「購入した中古の弓が悪霊憑きだなんて、誰もわからないものね」
「それよりも、生徒会長の紹介だか知らないけど、除霊師って、こんな人たちばかりなの?」
普通に生きていて、除霊師と関わる人は意外と少ない。
だから浄化や除霊の報酬を聞くと、どうしても高いと思ってしまうのだ。
安く除霊すると言う人もいるが、そういう人はほぼ100パーセント詐欺であり、自分が報酬をケチって騙されたのに、除霊師を心の底から憎む人も一定数存在した。
そのための除霊師協会なんだが、その孫娘が除霊師に好意的ではないのは、きっとあの会長のイメージが悪いからであろう。
実の孫から、生臭坊主呼ばわりされているからな。
あの爺さん。
「裕ちゃん?」
「裕君?」
「裕」
「とにかく、除霊には三日ほど準備が必要になる。弓はケースに仕舞っているから、素人が手を出さないように。本当に死ぬからな」
「生意気な一年生ね!」
「望月さんには、私が予備の弓を貸すから問題ないわよ」
「望月さんの家は大変なのに、高額の除霊費用でウハウハなあんたたちは人の心がないのね」
「……」
「なに? 一人前に傷ついたの?」
「先輩たち、広瀬さんたちのおかげで弓は封印できたので、あまり悪く言っては……」
「望月さんは優しいわね。でも、こんな守銭奴たちに優しくする必要ないわよ。広瀬、なにか言いたそうね」
「除霊師のなんたるかも知らない、素人のあんたらになにを言われてもね。別に霊を信じないのもいいけど、実際に、この世の中には悪霊のせいで殺されている人たちが無視できないくらいいる。霊を信じていない人たち向けに、病死、自殺、事故で誤魔化すケースも多いけど……」
警察や医者、保険会社で霊を信じていない人もかなりいるからな。
悪霊のせいで死んだことにすると反発が大きいので、そんな理由で誤魔化すケースがかなり多い。
だから公的には、悪霊のせいで死んだ人間なんて一人もいないことになっていた。
保険会社も、悪霊のせいで死んだ人に保険金を払うと、余計な出費だと株主に訴えられるケースもあるそうだ。
株主全員が霊を信じているわけではないからだ。
だが、いくら隠しても悪霊に殺される人間は確実にいるのだ。
彼女たちには理解できなかったようだけど。
「ケースに手を触れなければいい。三日後に除霊するから」
そう不愉快な部員たちに忠告してから、俺たちは部室をあとにするのであった。
霊を信じていない人たちとのこの手のやり取りも、除霊師の仕事の一部だから仕方がないよな。
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