第41話 水商法

「こんにちは、広瀬君」


「どうも、受付のお姉さん」


「広瀬君、私の名前は『江藤愛実(えとう あいみ)』よ。ちゃんと覚えてね」


「はい、江藤さん」


「愛実でいいわよ」


「いや、あの……年上の女性を名前で、しかも呼び捨てで呼ぶのはどうかと思いまして……」


「全然問題ないのに」





 今日はちょっと久しぶりに日本除霊協会に顔を出したら、なぜか受付のお姉さんがとてもフランクな態度で接してきた。

 愛実と名前で呼んでくれと言われたのだが、俺は周囲の目を気にする典型的な日本人。

 他の除霊師たちの手前、それはお断りすることとなった。


「本当に愛実でいいのに。年上と言っても、私はまだ十九だから」


 三つ上か。

 高校を卒業してすぐ、この日本除霊師協会に就職したというわけだな。

 大企業の受付嬢もそうだが、基本的に綺麗な女性が担当する仕事であり、それは日本除霊師協会も例外ではなかった。

 なんでも江藤さんは、『ミス戸高市』にも選ばれたことがあるそうだ。


 まあぶっちゃけ、受付には綺麗な女性がいた方がいい、というのがこの世の男性たちの本音だよな。


「お札の件ですけど……どうです?」


 実は俺のお札だが、先日日本除霊師協会の認定を受けて正式に発売されていたのだ。

 お札を書ける除霊師というのはとにかく少なく、正直なところ一枚でも多くのお札が欲しいらしい。

 時を経るごとに除霊師の力は落ちているわけで、霊力を倍増させるお札がますます必要になるという事情があり、俺のお札は所定の性能試験や品質安定度検査を受け、晴れて日本除霊師協会で発売されることになったというわけだ。


 俺は今日、お札の売れ行き具合を確認しにきたわけだ。


「全然売れないわね」


「やはり……」


 別に、性能になんら問題はないと試験で評価が出ていたこともあり、俺がまず日本除霊師協会に納品したのは、お札の大きさに切ったスーパーのチラシの裏に、筆ペンで書いたものであった。

 それでも、従来の五千円・一万円のお札など目ではない効果が期待できるのに、見た目の問題でまったく売れていないと、江藤さんから言われてしまった。


「戸高赤竜神社と、戸高山青竜神社の御朱印も押してあるのに……」


 俺のパラディンとしての実力と、竜神様たちの加護も合わせ、さらにこの世界に戻ってからレベルアップした分も加わり、五千円のお札の五十倍近い性能があるにも関わらず、値段も一枚一万円に抑えたというのに、一枚も売れていないとは思わなかった。


「広瀬君のお札は、ちゃんと日本除霊師協会が正式な性能試験を行って、その品質は折り紙付きというのは伝えたんだけど……」


 なるほど。

 やはり、お札の材料がチラシの裏というのがよくなかったようだ。

 人はすぐ、見た目で判断してしまうからな。

 五千円のお札にしたってちゃんと和紙を使っているから、余計に俺のお札は疑わしく思えてしまうかもしれない。


「安倍一族が買ってくれないかな?」


「あそこはお札を書ける除霊師を抱え込んでいるから、お札が不足していなければ外部から購入しないわよ」


 そういえばそうだった。

 俺のお札は見た目が悪いから、周囲の目も気にする安倍一族には不向きかもしれないな。

 歴史が長い一族は、色々と気にしなくてはいけなくて大変だと思う。


「凄い性能なのにね。やっぱり見た目って大切なんだと思う」


「素材を和紙にしようかな?」


 そうすれば、もっとお札に信用感が出るかもしれない。

 でも、それをするとコストが上がる……お札の性能がいいから値段を倍にしてもいいのか?

 性能は同じ値段のお札の数十倍なのだから、初期投資をケチるのはよくないのかも。


「お札の字が読めないって苦情もあるわ」


「ここでまた、字の下手さを指摘されるとは……」


 字の上手い下手は、お札の品質に関係ないというのに……。

 それに、お札なんてただ霊力を篭めて投げればいいわけで、別に書かれた文言を読む必要などないのだから、文字が読めなくても問題ない。

 とはいえ、他のお札の字はみんな達筆なんだよな。

 お札を書く人は習字も習っている人も多く、兼業で書道家などをやっている人も多い。

 山のようにお札を書いているので、自然と字が上手になるというのもあるか。

 俺は……いくら書いても、お札の質は上がり続けるが、字は一向に上手にならなかった。

 字が上手にならない代わりに、お札の質が良くなる呪いにでもかかっているのであろうか?


「ちょっと策を考えてみます」


「それがいいかもね」


 俺が竜神会のトップでも、いくらゼロ物件の除霊で美味しい不動産を手に入れようとも、普通の高校生並のお小遣いしか貰えない事実は辛い。

 もの凄い豪遊をしたり、高額の買い物を連発したりして無駄遣いをする予定はないというのに……せめてもう少しお小遣いが欲しいところであった。

 両親は『成人するまでは駄目!』という方針のようで、そこで俺は、日本除霊師協会にお札を納品することにしたのだ。

 これなら経費もさしてかからず、お札が高価なので利益率も高いわけで……儲かるはず……だったんだけどなぁ……。


「習字でも習いに行こうかな?」


 でも、字が上手になった結果、お札の威力が落ちてしまえば本末転倒なんだよな。

 お札を書く時に一番大切なバランス……説明は非常に難しいのだが、ただ単に字が上手だとか位置が整っているという話ではない……が崩れるかもしれないので、習字を習うのはやめた方がいいかもしれない。


「あーーーあ、このままだと帰りにラーメンも食べられない」


 放課後・除霊後に食べるラーメンの味は格別で、向こうの世界では三年間も食べられなかったから、余計に食べたくなってしまう。

 しかしながら、今のお小遣いではラーメン屋に行く回数も制限しなければいけなかった。

 牛丼も食べたいので、さらに回数には制限があるというわけだ。


「大変なのね。広瀬君は稼ぐのに」


 江藤さんは受付なので、この支部の除霊師の情報は大体入っている。

 俺のことも、会長あたりから聞いているようだ。

 守秘義務があるので、外部に漏らしたりはしないはずだが。


「成人しないと、というわけです」


 向こうの世界で三年活動したので、実はもうとっくに十八の成人を過ぎているのだが。

 悲しいかな、この世界の俺はまだ高校一年生であった。


「そうだ、私がラーメンを奢ってあげる」


「それは悪いですよ」


「気にしないで。ちょうどもうすぐ仕事上がりだし、私、行ってみたいラーメン屋があるのよね。でも、女子一人だと厳しいかなって」


「そういうのって、お店によりますよね」


 特に〇郎系などは、女性一人だと辛いものがあるかもしれない。

 となると、ここは俺が江藤さんにそのラーメン屋につき合ってあげて、そのお礼に奢ってもらうのはアリなのか?


「ねえ、いいでしょう?」


「そうですね、いまだに女性一人だと入りにくいラーメン屋ってありますからね。ここは俺が……「駄目に決まっているでしょうが!」」


 あれ? 

 急に駄目って……江藤さんはなにを……と思ったら、いつの間にか俺の後ろには里奈が立っていた。

 さらに彼女の後ろには、久美子と涼子も立っている。


「もう、裕は抜けてるわね。そんな誘い文句に引っかかるなんて」


「裕ちゃん、もうすぐ晩御飯だから帰りましょう」


「ということで、裕君は江藤さんと一緒にラーメン屋に行けません。悪しからず」


 そう言うと三人は、俺の腕を引っ張って日本除霊師協会のビルから急ぎ出ようとした。

 俺は、ラーメンを食べたいんだが……。


「あら、あまり束縛が強いと嫌われてしまうわよ。これはお姉さんからの忠告」


「それが獲物を狙う雌狐のセリフ?」


 なぜか里奈は、江藤さんにかなり毒のあるセリフを吐いていた。

 彼女が俺を狙っている?

 大人の江藤さんが、高校一年生のガキになんて興味あるわけがないじゃないか。


「里奈は大げさだな」


「はあ……裕は本当に、抜けているわね」


「そういうちょっと抜けたところのある男性って可愛いものよ。それに、恋愛って自由だと思わない?」


「もう今でも大変なのに……江藤さんは、協会の同僚の方々か、受付に来る若手除霊師たちとでも自由に恋愛してくださいね」


「そうですよ、高校生は高校生同士で仲良くやっておきますので。裕君、帰るわよ」


「えっ? ラーメンは?」


「明日の放課後にでも行きましょうね。それではごきげんよう」


「おおっ! いかにもお嬢様っぽい言い方」


「そういう学校に通っていたこともあるのよ」


 残念ながら、江藤さんお勧めのラーメン屋には行けなかったが、翌日、市内でも有名なラーメン屋に行けたのでよしとしよう。

 そういえば、門前町にもラーメン屋がほしいところだな。





「残念。でも、あの三人は男の子のことを知らなすぎなのよ。あんなに束縛したら、逆効果なのにね」


 今日は上手く行かなかったけど、チャンスは広瀬君の高校卒業まで残っている。

 ここは焦らず、ジックリと彼を攻略することにしよう。


 だって、あんな優良物件、滅多にいないのだから。





「裕ちゃん、なにを作っているの?」


「ろ過器だよ」


「ろ過器?」


「浄化や除霊の理論を用いた、水を綺麗にする装置さ」




 このところ比較的時間があったので、俺は向こうの世界の理論を用いたろ過装置の製造にとりかかっていた。

 このろ過装置は、向こうの世界で大いに役に立ったものだ。


 死霊王デスリンガーと彼が操る死霊軍団のせいで、世界は大きく荒廃してしまった。

 世界をすべて死で染め上げるという死霊王デスリンガーの策のため、彼らに占拠された土地からは多くの生物が消えてしまったからだ。

 さらに、死霊やアンデッドが出す瘴気のせいで水や土地が汚染され、生物がそういう水を飲むと体調を崩してしまうので、こういうろ過装置が必要だったわけだ。


「太鼓?」


「いや、ろ過装置だから!」


 確かに太鼓によく似ているが、仕組みはまず上部の膜が水を物理的にろ過する。

 次に太鼓でいう胴の中には、特殊な加工をした五芒星型の水晶が設置されており、これで霊的な汚染を除去するわけだ。

 水は綺麗なのに、死霊やアンデッドが出す瘴気に汚染された水が多く、飲むと体調を崩したり、最悪死ぬケースすらあった。

 これら霊的な汚染を除去するための、水晶を用いた五芒星というわけだ。


「最後に、下部の膜でもう一度物理的に除去します」


 これで水が、物理的にも霊的にもろ過されるわけだ。

 元々綺麗な水で、竜神様たちの加護もあってわずかだが疲労回復、怪我や病気の治療促進、精神を落ち着かせるなどの効果があるのだが、ろ過することで保存性も高まるというわけだ。


「保存性?」


「水は意外と保たないんだよ」


 死霊王デスリンガー討伐の旅路において、必ず水が、それも飲んで安全な水が手に入る保証はなかった。

 奴が完全なる死の世界を目指し自然まで破壊してしまうので、水源が枯れた場所が多くあったからだ。


「そこで多少汚くても、水があるところで採取してろ過、これを『お守り』に保存して、必要に応じて使っていたわけだ」


 残念ながら、パラディン四人の中でそれができたのは俺だけで、『水担当』などというありがたい役職をいただいていたが、まさかこの世界に戻ってきてから役に立つとはな。


「水がないと、人は生きていけないからね」


 それゆえ、そこに神の介在する余地があるというわけだ。

 都合よく雨を降らせることなど人間にはできないので、人は雨乞いをする。

 貴重な水源に神を祭り、守護してもらうなどするわけだ。


「水は、神と親和性が高いものなのさ。これで完成だ。早速試してみよう」


 ろ過装置が完成したので、早速俺は飲用に適さない汚れた水を、ろ過装置に少しずつ流し始めた。

 暫くすると、ろ過装置の下の膜の下に設置されたタライにろ過された水が溜まり始める。


「では、試飲を……」


 作り慣れた装置なので失敗はないと思うが、万が一ということもある。

 とはいえ、元々そんなに汚れた水でもないので、まずお腹を壊さないはずだ。


「うーーーむ」


「裕ちゃん、どう?」


「成功だ」


 物理的にも霊的にも綺麗な水にろ過され、水はとても美味しくなっていた。

 霊的に汚染された水は、どんなに見た目が綺麗でも不味くなるからな。


「でも裕ちゃん、そのろ過装置ってなにに使うの?」


「水を量産するんだと」


 現在両神社では、参拝客たちに戸高山の地下から湧き出る水を販売していた。

 よく他の神社などでも販売しているが、うちもそれをやっているわけだ。

 五百ミリリットル百円(税込み)、二リットル二百円なので、そう市販の水と価格に大差はない。

 この水は実家である両神社と門前町でも使っていて、美味しいと評判なので、今度戸高市内のお店に卸すことにしたそうだ。


「俄かに商売のお話だね」


「売ってくれと問い合わせが多すぎて、本業に差し支えるんだって」


 美味しいだけではなく、微量ながら治癒効果もあるからな。

 怪我をした人が飲むと、完治が十パーセントくらい早まるのだ。

 たった十パーセントと思うかもしれないが、大怪我や大病をした人からすれば、十パーセントでも大きな違いだ。

 傷の治り方などにも、無視できないほどの差が出るからな。

 世間の人たちにその効果が正確に伝わっているわけではないが、他にも疲れが取れたり、肌の状態が少しよくなるそうで、口コミで情報を得て、ほしい人が増えているらしい。


「それでろ過装置なの? そのままでもいいような気がするな」


「市販するとなると、保存性が問題になるから」


 他にも、大腸菌などの混在が問題になるそうで、念のため霊的にろ過して品質と保存性を安定させるわけだ。

 実はこの水は、煮沸消毒してしまうと数日でその効果を失ってしまう。

 門前町の飲食店なら問題ないが、市販するとなるとここがネックになってしまうので、両親や菅木議員に頼まれてろ過装置を作成していた。


「それで、新しい工場も作っているんだ」


 汲んだ地下水をろ過し、ペットボトルに詰めるだけ工場なのだが、あまりに水の需要が増えたので急遽旧山中村の土地に建設中であった。

 生産量が増えたら、戸高市のみならず周辺地域のお店にも卸す予定らしい。


「水って売れるんだね」


「ミネラルウォーターみたいなものでしょう?」


 向こうの世界で治癒魔法や治癒薬を実際に使っていた俺からすれば、かなり効果が微妙な水なんだがな。

 それでも安いから、よく売れるというわけか。


「健康にもいいと思うよ」


「いいことは確かだけど……「裕君!」」


 とここで、涼子が俺たちに声をかけてきた。

 その手には水筒を持っていて、彼女は俺たちにある飲み物を淹れて出してくれた。


「紅茶かな? ちょっと酸っぱいかな?」


「紅茶だね……酸っぱいけど、古いの?」


「失礼ね、相川さん。これはとても健康にいいものなのよ」


 少し酸味がある紅茶なので、酸味が健康にいいのであろうか?

 不味くはないけど、もの凄く飲みたいとは思わないな。


「涼子、私にもちょうだい」


 続けて姿を見せた里奈も涼子から紅茶っぽい飲料を貰って飲んだが、一口で顔をゆがめてしまった。


「……別に無理して飲む必要ないと思うわ」


「葛山さん、これはとても健康にいいのよ」


「美味しくて健康にいいものなんて他にもいくらでもあるし。私はパス」


 それにしてもこの紅茶は、有名な産地の高級品だったりするのかな?

 でも、普段そんなに紅茶なんて飲まないし、たまに飲んでも〇後の紅茶な俺には、その紅茶のよさがよくわからなかった。


「裕、水の工場で使うろ過装置の件だが……なにかの試飲か?」


 最後に、水工場の件で顔を出した菅木の爺さんも涼子の持ってきた飲み物に気がつき、興味深げにそれはなんなのだと聞いていた。


「健康にいいものですよ」


「世の中にはそういう謳い文句の食品が多いが、眉唾な話だな」


「本当に健康にいいんですよ、どうぞ」


「では味見だけ……」


 菅木の爺さんは、早速涼子から貰った紅茶風飲料を試飲していた。


「これは……」


「さすがは迎えの近い老人。この飲料が健康にいいことに気がついたようね」


「人をくたばり損ない扱いして失礼な……」


 元々菅木の爺さんは、そこまで安倍一族と懇意というわけではない。

 そんな一族である涼子と仲がいいというわけではなかった。

 それは涼子も同様で、それが二人の距離感に繋がっているわけだ。


「いや、この味は懐かしいなと思ってな」


「懐かしいの?」


「葛山の嬢ちゃん。その昔、紅茶キノコというものが流行してな。紅茶を菌類で発酵させた飲み物で、ワシの家内が若い頃にハマって作っていたのを今思い出したわけだ」


「えっ? 菅木議員の奥さんが若い頃に? 涼子、あんた実は安倍一族の秘法で若く見えるけど、実はもう還暦超えの年齢なの?」


 この微妙に酸っぱい飲み物は『紅茶キノコ』という、昔に流行した飲み物らしい。

 里奈は、そんな古いものを知っている涼子が、なにか特別な秘法で若く見えるが、実は婆さんなのではないかと疑っていた。


「そんな技、安倍一族にもないし、私はまだ十五よ!」


 人を婆さん扱いするなと、涼子は里奈に文句を言った。


「どうしてそんな古いものを?」


「古かろうがなんだろうが、健康によければいいじゃない。あと、カスピ海ヨーグルトとか」


「それも昔流行して、家内がよく食べていたな」


「健康健康って、涼子って精神が婆さん?」


「違うわよ! 除霊師ってのは体が基本! 健康に拘ってなにが悪いってのよ!」


 先日のノーパン健康法もそうだが、どうやらこの世界の涼子はかなりの健康ヲタクのようだ。

 そんなことする必要のない年齢……そんなことを言っても無駄なんだろうなと思う俺であった。





「聞いたか?」


「なにをですか?」


「これだから、経営者視線のないやつは」





 このところ、竜神会の連中が綺麗な湧水をペットボトルに詰めて販売し、大儲けしている事実を僕は掴んでいた。

 二つの神社の御利益が付与された水だそうで、それでも豊富な地下水が原料なのでそれほど高くもなく、さらにそのまま飲んでも美味しく、料理にも使えた。

 飲むと心が落ち着き、怪我や病気の治癒が早まったような気がするという噂もあったが、これは気のせいであろう。

 とにかく、竜神会の水はよく売れていた。

 そこで僕も、水の販売で竜神会を超えようと決意したわけだ。

 有能な経営者であるという実績を示しておけば、選挙戦を有利に戦えるからな。


「水の販売ですか? しかし、すでに市場は飽和状態ですが……」


「それなら問題ないさ」


 竜神会みたいに、安い水の販売で満足する貧乏人たちを相手にするのではなく、僕たちは利益率が高い高級路線で行くのだから。


「高級品ですか? ですが、この近辺にそんな高値の水なんてないですよ」


「お前はバカ正直だな。それっぽく見せればいいんだよ。水は、あの買収した酒蔵の地下から出るじゃないか」


 その水をペットボトルに詰め、それっぽいラベルをつけて『戸高家推奨』の文言を入れれば、戸高市の連中はひれ伏して水を購入するさ。

 なにしろ僕は、次のお殿様なのだから。


「一本五百円で売れば大儲けだな」


 いやあ、実にいいアイデアだ。

 僕はやっぱり天才だな。

 それほど価値のないものに、僕が自分で付加価値をつけて高値で売って儲ける。

 有能な僕にだからこそできる商売だ。


「早速水を詰めて売ろう」


「我ら戸高不動産は、水を詰める工場を持っていませんけど……」


「そんなの、どこかの工場に委託すればいいだろう。パパのコネで行けるって」


 この世の貧乏人たちはコネを否定するけど、それは自分がコネを利用できないから。

 要するに妬みだ。

 それに、コネがあっても僕みたいに能力がないと意味がないのだから。


「本当に水を売り始めるのですか?」


「決まっているだろうが。商売ってのは、決定のスピードが重要なんだ。早くやれ!」


 まったく、使えない奴だな。

 今度、パパに言って変えてもらおうかな。

 それよりも、早く水を売ることを考えよう。

 僕が高級な水を出せば、普通の市販品とそれほど変わらない水なんてすぐに売れなくなるさ。


 まったく、ガキのくせに生意気な。

 広瀬裕、売れない水の在庫を大量に抱えて困るがいいさ!





「本当に品切れだ。よく売れているんだな」


「工場を拡張し終わるまでは、入荷してもすぐに売り切れ状態が続くって」


「それ引き換え、なにこの水。無駄に高いわね」


「なにより、一本も売れていないじゃない」






 とある日の放課後、俺たちは買い物がてら戸高ハイム近くのスーパーマーケットに来ていた。

 飲料コーナーに行くと、うちで販売している『戸高山の水』はすべて売り切れており、お詫びの張り紙が貼られていた。


 一方、『戸高の超神水』といういかにも胡散臭い商品名の水も売られているのだが、値段が一本五百円というとんでもない値段になっており、あまりというか一本も売れていないようだ。

 一本手に取ってみると、ラベルには『戸高不動産製造』と書かれていた。


「これ、戸高高志のところの水なんだ。いい水源でもあるのかな?」


「あの酒蔵の地下水じゃないかな」


「つまり、普通の地下水を『超神水』とか言って売っているのか」


 某人気漫画で、飲むと限界まで戦闘力が上がる水の話があったが、それと似たような名前だな。

 勿論、この水を飲んでも戦闘力が限界まで上がらないと思うが。

 ただの地下水を、いかにもご利益や効能がありそうな雰囲気に見せて販売する。

 一種のブランド商法だが、それを考えたのがあの戸高高志という時点で、最初から失敗することは目に見えていたというわけだ。


「一本五百円って、暴利にもほどがあるわね」


「ただの水なのにね」


「こらぁ! 小娘たち! 僕の水をバカにするな! 風評被害だぞ!」


 突然、涼子と里奈に怒鳴りつける奴が現れたが、その正体は戸高高志であった。

 自分が販売している商品の売れ行きを見に来たのであろう。


「急に怒鳴らないでよ!」


「落ちぶれアイドルのくせに生意気な!」


「親の七光りには言われたくないわよ」


 さすがはトップアイドルをしていたとでも言うべきか、里奈は戸高高志に対し堂々と言い返していた。

 奴は横幅が異常にあるので一見怖く感じる部分もあるし、父親は大金持ちだ。

 本人がいかにアホでも、その後ろにいる父親の力を考えると、なかなか言い返せるものではない。

 里奈は肝が据わっているのであろう。


「僕が親の七光りだと!」


「事実じゃないの。このインチキ水だって売れていないじゃない。竜神会の水は作っても作っても間に合わないくらい売れているのに」


 五百ミリリットル百円なのに竜神様の加護がある水と、五百ミリリットル五百円なのにただの地下水。

 別にうちの水は効能など謳っていなかったが。お客さんは正直だ。

 うちの水はよく売れて、戸高高志が販売した水は一本も売れていないのだから。


「うぐぐっ……戸高山の水なんて名の、安易なネーミングの水に負けるなんて!」


「人のことが言えるの? 大体その水、旧戸高酒造の敷地の地下から出る水でしょう? 戸高山の地下水はそのまま飲用しても大丈夫って、国のお墨付きまであるんだから」


 涼子も、基本的に戸高高志に対して容赦がなかった。

 安倍一族は、戸高家のせいで前当主を失っている。

 彼女からすれば、戸高高志は仇とまではいなくいても、友好的な態度で接する価値がない人間なのであろう。


「菅木のジジイが裏で手を回したんだ!」


「そんなわけあるか」


 菅木の爺さんに調査を急いではもらったが、調査した技官からは『とてもいい水ですね』って褒められたくらいなんだが。


「なにを言われても、水の売れ行きは一目瞭然だものね」


「ちょっと消費者への認知に時間がかかっているだけだ! 広瀬裕! ビジネスの場で女子高生を三人も連れてイチャコラしやがって! 今に見てろ! おいっ!」


「若様、どうかしましたか?」


「この水はとてもいいものだが、やはりいきなり高額だと味を見てもくれないのだな。最初なので一本百円にしよう」


「わかりました」


「ふふんだ! こうすれば、僕の水の方が売れるようになるね」


「はあ……」


 戸高高志は、俺たちに対抗すべく水の値段を下げた。

 そのおかげか、最初は『戸高山の水』と比べてみようと水を購入する人が増えていたが、すぐに普通の水と判明。

 それなら大手企業のミネラルウォーターの方がいいと、すぐに買われなくなり、戸高高志は大量の水の在庫を抱える羽目になってしまうのであった。


 戸高高志の水の販売事業は、多額の赤字を出して終わったが、その損害はすぐに父親が補填してしまったので、戸高不動産はなんらダメージを受けなかったのであった。


 戸高高志は、とにかく悪運が強いなと感じた一日であった。

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