第40話 御神酒
「……あれ? どうして里奈がここに?」
「無事、戸高市限定歌手として再デビューに成功したから、私も正式に戸高市に引っ越してきたってわけ。それで、私の新しい住居はここ」
「ええと、誰の指示かな?」
「菅木議員よ。だって、相川さんも清水さんも一緒に住んでいるんでしょう? 私もいないと、裕が寂しいじゃない」
「……」
「もう、裕ったら照れちゃって。裕の恥ずかしがり屋さん」
里奈のコンサートが終わった翌日の日曜日。
俺たちが住んでいる、戸高ハイム最上階にあるエグゼクティブルームのインターホンが鳴った。
『こんな朝から誰だ?』と思いながらドアを開けると、そこには荷物を持った里奈の姿があった。
なんでも、菅木の爺さんの紹介で、彼女もここに住むことになったのだそうだ。
このマンションって竜神会の持ち物なのだが、どういうわけか、竜神会は菅木の爺さんの指示に逆らえないでいた。
お祖父さんの親友で、政治家だからであろうか?
最上階の部屋は一戸しかない特別ルームなので里奈の部屋も十分に確保できるが、このままなし崩し的に三人の女子高生と住んでしまっていいのかなと、思わなくもない。
涼子と一緒に住んでいる件が学校に知れたら、みんな大騒ぎしていたからな。
これにさらに、元アイドルと同棲とか……。
「うわぁ、ワンフロアー全部が一戸って凄いわね。いくらくらいするのかしら?」
「除霊の報酬なんだ。色々とあって」
「ふうん、除霊師って稼げるのね」
「実力があればな」
「それは、アイドルも歌手も同じでしょう。お邪魔しまぁーーーす」
この最上階の特別室、誰が購入する予定だったのか知らないが、これを建設した戸高不動産は倒産してしまい、俺たちが除霊して竜神会のものになった。
せっかく手に入れたのだから使わなければ損というわけで、俺、久美子、涼子の三人で住んでいるが、これに里奈も加わるのか。
「裕、私が朝食でも作ってあげようか?」
「えっ? 作れるのか?」
里奈は元トップアイドルで忙しかったから、料理なんてできないと思っていた。
「失礼ね。ちゃんと作れるわよ。任せて」
「残念。もう朝食なら作ってしまったわよ」
とそこに、エプロン姿の久美子が玄関に出てきて、俺に朝食の準備が終わったことを伝えにきた。
「出た! 裕の幼馴染!」
「相川久美子よ。裕ちゃんのご飯は、いつも私が作っているから」
そうなのだ。
俺も向こうの世界で努力してみたんだが、作る料理はどうもいまいちであり、以前から久美子によく飯を作ってもらっていたが、ここに引っ越してからは久美子と涼子が交代で食事を作るようになっていた。
ちなみに俺は、後片付け専門である。
俺の作る料理は、大雑把で味が濃いので女子には不評だった。
好きな食べ物がラーメンと牛丼の時点で、俺はグルメとは言えないからな。
「清水涼子。お嬢様だと聞いていたけど、料理なんて作れるのね」
「失礼ね! ちゃんと作れるわよ」
「最初は全然駄目だったし、今も私のお手伝いが精々だよね?」
「ううっ……徐々に腕前は上達しているからいいのよ!」
さらに奥からエプロン姿の涼子も姿を見せ、里奈の考えを即座に否定した。
とはいえ、涼子はかなりのお嬢様でこれまで料理などしたことがなく、今は久美子から教えてもらっている状態であった。
そういえば、向こうの世界で一緒に戦った別の世界の涼子も、現地で料理を覚えた口だったな。
お嬢様のため、味付けや盛り付けが上品な料理ばかり食べていたせいか、俺の大雑把な野外料理を『味が濃すぎる!』、『量を作りすぎ!』などとよく注意していたのを思い出した。
ただ、自分は料理のレパートリーが少なすぎて『飽きる!』と言われていたけど。
「見てなさい! もう一品作ってあげるわ!」
そう言うやいなや、里奈は急ぎキッチンへと向かい、朝食の追加メニューを作り始めた。
どうやら三人に増えた同居人のおかげで、ますます騒がしい日々が続きそうであった。
「ふうん、賑わっているのね」
「日増しに人が増えているな」
朝食後、俺たちは門前町に出かけていた。
今日は特に仕事もなかったのと、これから除霊師仲間になる里奈を案内するためであった。
彼女の所属する新しい芸能プロダクションは竜神会傘下なので、親会社というか、上位組織である竜神会に所属する他の事業を見てもらうため。
という名目なのだが、実質遊びみたいなものであった。
「裕、はい。あーーーんして」
「いや……あの……」
門前町のお店は、客数の劇的な増加により増え続けていた。
竜神様たちの加護もあって客数は増え続け、『ここに店を出せば必ず儲かる』、『ここで店を出して黒字にならない奴は、商売の才能がないのでやめた方がいい』と噂になっていたので、今では出店権利を求めて競争になっていると聞いた。
変なお店が入らないよう、菅木の爺さんと竜神会で審査しているそうだが、俺は関わっていないのでよく知らない。
土産屋と飲食店が大半であったが、里奈は早速ソフトクリームを買って俺に食べさせようとした。
昨日の今日なので里奈は変装しており、さらに大手芸能プロダクションを退職して自由になったので、余計に大胆な行動をとっているようだ。
俺にソフトクリームを食べさせようとするので、とにかく恥ずかしいのだ。
「ううっ……裕ちゃんにそれをやるのは私の……」
「羨ましい性格をしているわ」
元大物アイドルだからというのもあるかもしれない。
里奈は、大胆というか、自分のやりたいように動くことが多いように見受けられる。
そして、その振る舞いがとても魅力的なのだ。
大物アイドルとして人気があったので当然というか、戸高市限定歌手になった今も、実はその人気は衰えていないからな。
収容人数が少ない戸高ホールでしか行われないコンサートのチケットは、今では幻のチケットと言われているくらいなのだから。
「美味しいよ。さあ、遠慮しないで自分を解放するのだ」
「そこまで大げさなことか?」
「じゃあ、いいじゃん」
「それもそうか」
俺は里奈からソフトクリームを食べさせてもらうが、地産の牛乳を使った品だそうで、とても濃厚な味で美味しかった。
菅木の爺さんは、地場の特産品を使った店舗や地元資本のお店に優先的に営業許可を出しているのだそうだ。
竜神様のご加護は聖地とその周辺に住む人たちに優先し、末永くこの地の繁栄に協力してもらうという事情からだそうだ。
逆に、全国的なチェーン店やコンビニなどは排除していた。
それでも、門前町のすぐ近くに出店してちゃんと稼いでいるところもあったが。
菅木の爺さんからしても、国会議員でいられるため、地元に配慮する必要があるというわけだ。
人は利がないと動かない。
向こうの世界でもそうだったので、別に俺は菅木の爺さんが悪徳政治家とは思わない。
まあ、たまに冗談でそう言うけど。
「裕君、お団子買ったから。はい、あーーーんして」
「葛山さんも清水さんも! 裕ちゃん、メンチカツだよ」
「おおっ! メンチカツ美味そう!」
さすがは久美子。
俺の食べ物の好みをよく知っている。
伊達に、長年俺の幼馴染をやっていないな。
「えっ? 裕君は甘い物が好きなんじゃぁ……」
「好きだけど、肉や揚げ物には劣る」
向こうの世界で戦っていた時はあまり甘い物が食べられなかったから、以前よりは好きになったのは確か。
だが、買い食いするメンチカツの美味しさには敵うまい。
あとは、放課後や除霊後に食べるラーメンと牛丼な。
「いかにも、十代男子が好きそうな食べ物だね。はい、肉の串焼き」
「美味い」
門前町で肉料理を売っていいのかという疑問はあったが、帝釈天の近くには有名な川魚とウナギ料理の店があると聞いたし、竜神様たちも、お稲荷様も、妖狼も、別にそんなことは気にしていなかった。
そのため、門前町やその周辺には参拝客目当ての様々な飲食店が多数オープン、またはオープン予定であった。
「あれ? あの人って、うちの担任の先生だよね?」
買い食いしながら歩いていると、里奈が俺たちの担任である中村先生を見つけた。
彼は若い女性と話をしているが、その女性はカフェの店長である桜洋子さんであった。
「中村先生、わかりやすいわね」
「そうだね」
その手のことに疎い俺でもわかる。
これまでの情報によると、独身で現在彼女もいないという中村先生は、ちょっと実年齢よりも年上に見えるが、美人さんである洋子さんに一目惚れしたのであろう。
彼女に楽しそうに話しかけていた。
「営業妨害じゃねえ?」
「あっそうか。一応オフィシャルな理由があったんだ」
「そんなのあるのか? 久美子」
「ほら、この門前町やその周辺の飲食店って、基本的に人手不足だから」
特に客が増える土日。
アルバイトが不足しているので、飲食店は学生の時給を上げた。
確か、うちの高校の生徒たちも多数アルバイトをしているはずだ。
「その様子を見に来たと」
「もの凄くオフィシャルな理由ね」
きっと中村先生は、アルバイトをしている生徒たちよりも、洋子さんの方に興味があるのだろうけど。
ところが、彼の思いは成就しないことがすでに決まっていた。
なぜなら、カフェの隣で豆腐屋と豆腐料理屋を経営している仁さんと、洋子さんはとてもいい雰囲気だったからだ。
噂では、もう二人はつき合っていると。
「裕ちゃん、それ、中村先生に教えてあげる?」
「嫌です」
なにが悲しくて、そんな虎の尾を踏むような行為を。
そのくらい自分で気がついてほしい。
「それに、裕が言うと嫌味に聞こえるかも」
「どうしてだ?」
「裕も大概ね。私を含めて、美少女三人に囲まれて嬉しいでしょう?」
「悪くはない」
クラスの男子に見られたら、確実に嫉妬されるのは理解できる。
男子三人に囲まれるよりも圧倒的にいいな。
「とはいえ、最終的に裕は私を選ぶんだけど」
「そんなことはないわ。裕君は私を選ぶのよ」
「最後に幼馴染大勝利! これが真理ね」
まず成就しないであろう、洋子さんへのアタックに忙しい中村先生。
仕事仲間である三人の美少女たちに言い寄られる俺。
こうも立場に差があるとは……。
俺は中村先生に見つかり、嫉妬の感情で内申書と成績表が酷いことにならないよう、静かにその場から離れるのであった。
「怨念小箱を破壊した時に植わってた稲は、もう刈り取られたのね」
「異界で生育していたせいで、どうも稲の成長に時差があったみたい。すでに収穫を終えていて、これからは菅木の爺さんが入手した現代の品種の稲を植えるみたい」
完全に封印が解けた旧山中村に行くと、竜神会が立ち上げた農業法人の社員たちがトラクターを動かして田起こしをしていた。
田んぼに植わって成長していた稲は、もう刈り取られたと聞いている。
異界では、日本と季節の流れに大きな差があったようで、だからこの時期の収穫になったそうだ。
「それで、急ぎ今から今年の田植えをするそうだ」
「稲の手配は?」
「そこは、菅木の爺さん任せで」
政治家特権でどうにかするようだと、俺は涼子の問いに答えた。
「そういえば、江戸時代のお米ってどうなの?」
「言うほど悪くないみたい」
以前、呪い殺して仲間にした農業経験のある戸高市職員たちを使い、よく実った種もみを組み合わせるなどの品種改良を行っていたそうで、食べれば普通に美味しいお米だそうだ。
呪い殺された挙句、農作業に没頭させられていた戸高市職員たちは不幸であったが。
「神社でご奉納米にして販売したら、よく売れるみたい」
実は、戸高山の地下水と合わせて、とてもよく売れる商品というか、参拝客がよく買っていくそうで、これからは両神社の他、聖域内の神社で使うご奉納米はすべてここで作る予定だそうだ。
今年の収穫からは、門前町の飲食店に卸して店の売りにもすると聞いた。
「商売繁盛ね」
「そうだな」
俺はお飾りの代表なので、竜神会の収支とかはよく知らないけど。
「他にも、旧山中村は酒米の栽培が盛んで、酒米は江戸時代からの貴重な品種も多くて、これは栽培を継続するってさ」
旧山中村の酒米は、戸高家が自分たちで楽しむのと、江戸幕府や各大名へと贈答品、戸高藩は高品質のお酒の販売で儲けており、これも栽培したものは一粒残さず戸高藩内の酒蔵へと卸されていたそうだ。
その品質のよさは現代にも通用するそうで、異界で育っていた酒米は、早速菅木の爺さんの仲介で戸高市内の酒蔵に卸されたと聞いた。
酒も、神社ではお神酒として供えられる。
この酒米を利用して作った酒は竜神様たちに供えられ、神事に使われたり、販売もする予定だそうだ。
竜神様たちのことだから、自分でも飲むのだろうけど。
彼らが酒を飲まないなんてあり得ないからな。
この前、彼らは打ち上げと称してちゃんとビールとかも飲んでいたと母が言っていた。
「あとは野菜だね」
「要するに、この旧山中村では稲作と農業が続き、収穫物は有効に利用されるわけだ」
直接門前町の飲食店に卸したり、両神社で神事に利用したり、ご奉納米、お神酒にすれば、日本式農業でも十分に利益が出るというわけか。
農作業は、法人の社員たちが効率的に行って生産効率を上げる努力もしていた。
旧山中村には住民がいないので、法人が自由に農業をできるという利点もあった。
他の農村みたいに、農地の整理や新しい農地の開墾、生産効率向上のための新しいやり方に異議を唱える老人たちがないのだから。
「あの民家は工事中ね」
「農家レストランにするんだって」
この旧山中村で採れた農作物を材料にした料理を出すレストランも開店予定で、今懸命に古い民家の改装工事が進んでいた。
封印されていた旧山中村も、戸高真北山などの自然も極力残す。
戸高盆地でも綺麗な湧水が出るのだが、竜神様たちから汚すなと言われているので、竜神会で所有して農村と里山を維持するというわけだ。
「湧水かぁ」
「この湧水も、江戸時代は酒造りに利用されていたんだと」
「裕、詳しいね」
「竜神様たちから聞いただけだけど」
竜神様たちの本体が鎮座している、戸高山地下にある地底湖の水と同じ水源なのだそうだ。
異界化している間、悪霊化した村人たちはこの湧水を使ってせっせと田畑と里山の維持をしていたので、滑稽というか不思議な感じがするな。
「ここから湧水を運んでいたのね。戸高市内の酒造蔵が」
旧山中村で採れる高品質の酒米と、湧き出る湧水を用いて作られた酒は、とても美味で有名だったと菅木の爺さんが言っていた。
ところが、異界化によってこの地が封印されてしまった結果、戸高市の酒造は一気にマイナーな存在に転落してしまったと聞く。
そういえば、戸高市内で有名な酒なんて聞いたことがないな。
酒造蔵は残っているのであろうか?
「残っているが、ちょっと厄介な問題を抱えていてな。裕、ついて来い」
「爺さん、いつの間にいたんだよ……」
突然菅木の爺さんから声をかけられたのだが、彼が言うには戸高市にもまだ酒蔵が残っているそうだ。
ただ存続の危機にあり、これから酒蔵に様子を見に行くと言い始めた。
「俺たちに酒のことなんて聞かれても困るぞ」
まだ未成年で、酒なんて飲んだことがないのだから。
「裕はいてくれればいい。また戸高高志の案件なのでな」
「またあいつかよ……」
本当、あの男はあえてトラブルを起こしていくよな。
それでいて、変に悪運が強いのだから困ってしまう。
「とにかく、来ればわかる」
菅木の爺さんからそう言われ、俺たちは戸高市に残る唯一の酒蔵へと向かうのであった。
「この酒蔵で使っている地下水が汚れてしまう、半導体工場の建設なんて認められない!」
「お前らの事情なんて、僕は知らないね。工場ができれば雇用も増える。僕は戸高家の次期当主だから、木っ端酒蔵の自分勝手な言い分なんて聞いていられないんだよ」
「ここを出て行ったら、どこで酒を作ればいいんだ。土地からは立ち退かないぞ」
「その辺の水でも使えばいいだろう」
「酒は水が命なんだ! 水道水なんて使えるか!」
「ろ過して使えばいいだろう。僕って天才だな。最近のろ過装置は性能もいいから大丈夫。なんなら、パパの会社のろ過器でも買えばいいさ」
「ふざけるな!」
「いくら反抗しても、お前らがここから出て行く将来に違いはないけどな」
菅木の爺さんの案内で戸高市に唯一残った酒蔵へと到着した俺たちであったが、そこでは以前製紙工房でも見たような光景が展開されていた。
また戸高高志が現れ、酒蔵の主に立ち退きを要求していたのだ。
「またお前たちか! 戸高家次期当主としての仕事に忙しい僕の邪魔をするな!」
「別に、邪魔などしてはおらぬぞ」
「菅木のジジイか。今度の選挙が楽しみだね。お前は落選するんだからな」
「お前、ちゃんと父親から話を聞いたのか? お前は比例での単独出馬で、小選挙区からの出馬はない。どうやって小選挙区のみ出馬のワシを落選させるんだ? 戸高家の影響力が強いとはいえ、こんなのが我が党の地区ブロック名簿一位とは嘆かわしいの」
「ちょっと勘違いしただけだ! 次の次の選挙では、人気者になっている僕が小選挙区で出て、お前を落選させてやる!」
「同じ党の政治家同士で、そんな無駄な争いをするものか。内紛など、マスコミの格好の餌食になるだろうが。それに、そういうのは党の方で事前に調整するものだ。大体、戸高家の影響力を発揮したければ、地区ブロック比例の方が圧倒的に有利のはず。お前は、戸高市では人気がないからな。やれやれ、そんなこともわからないとは……」
「うぐぐっ……」
戸高高志は選挙に出るくせに、その仕組みをまったく理解していなかった。
自分の置かれた状況も理解していない。
こんなんでも、父親が大金持ちで多くの企業を経営しているから与党から出馬できるんだよな。
世の中って不思議だな。
「ところで半導体の工場? この戸高市でか? なぜだ?」
「僕は知っている! 今、半導体の工場が儲かるってことを」
「いや、お前の父親が経営している企業で、半導体を製造しているところなんてないが……新しくそういう会社や工場を立ち上げるのか?」
「僕は選挙の準備と戸高不動産の仕事で忙しいんだ! この土地をそういうメーカーに転売すれば儲かるからな。なんならパパに頼んで立ち上げてもらおうかな」
と、ドヤ顔で語る戸高高志。
こいつの無能は今に始まったことではないが、こんな中途半端な土地に工場なんて建つんだろうか?
最近の工場って、生産効率を上げるため広い土地に建てるものだとばかり思っていた。
「半導体は小さいから余裕だぜ」
「「「「……」」」」
俺たちは絶句してしまった。
完成した製品の大きさと、それを効率よく製造できる工場の大きさに関係はないと思うが……。
その前に、ちゃんと土地を購入してくれる企業のあてはあるのだろうか?
「あとは企業秘密だ! 僕のアイデアを真似されると困るのでね。とにかく、この酒蔵のある土地は戸高不動産が必ず買収してやる! 帰るぞ!」
戸高高志は、一緒にいる社員たちを怒鳴りつけながらその場をあとにした。
「相変わらず、意味がわからないレベルのバカだね」
「そうね、アレでも戸高家の跡取りだからチヤホヤする人たちがいて、余計に勘違いしてしまうのよね」
「私、メジャーアイドルを辞めてよかったわ。あんなんでも、スポンサーだと気を使わないと駄目だから。心が保たないわよ」
相変わらずな戸高高志に対し、女性陣は辛辣な言葉で彼を批判した。
あんなのに関わっても碌なことがなさそうだから、早速本題に入るとしよう。
「戸高酒造さん、移転しませんか?」
「菅木議員、この少年は?」
「竜神会のトップでな。考えようによっては、戸高高志のような人物だな」
菅木の爺さん、ちょっと正直すぎるだろう。
でも、俺は奴みたいに無用な命令を出して下に迷惑をかけていないし、父親に尻拭いもさせていないぞ。
むしろ、除霊報酬で貢献しているくらいだ。
「竜神会……ああ、戸高赤竜神社と、戸高山青竜神社ですか。うちは毎年お酒を納めています」
神社において、御神酒は重要なもの。
戸高酒造の樽は両方の神社に置いてあるし、氏子さんから市販品のお酒を奉納されることもあった。
地元密着の神社なので、地元の酒蔵からお酒の奉納があるというわけだ。
「移転ですか。確かに、戸高家に目をつけられてしまいましたからねぇ……」
製紙工房もそうだが、どうやら戸高高志はいわゆる古い産業など無用だと思っているようだ。
稚拙な知識しかないのに起業家気取りなので、なんとなく新聞やネットで見た新しい産業に手を出す……口で言うだけなので、手を出したつもりになっているのであろう。
ところが、それに父親や彼が送り込んだ優秀なスタッフたちが対応してしまうので、彼には自分が失敗しているという自覚がない。
発生している損失は、優秀な父親が稼ぐ莫大な利益で穴埋めされるというわけだ。
戸高高志さえいなければ、父親は日本財界で天下を取れるはずなのに、なぜか彼は自分の足を引っ張るバカ息子を排除しないと噂になっているそうだ。
いくら優秀な経営者でも、我が子は可愛いのであろう。
そして、勘違いした戸高高志は余計に起業家を気取るというわけだ。
「そういう箔も選挙には必要なのでな」
つまり、戸高高志によるこれら一連の行動は、選挙における好印象材料の確保でしかないわけだ。
「地元で起業する。新しい商売に手を出している。そんなイメージが、奴の票に結びつく。一般の有権者には戸高高志の実情などわからないのでな。マスコミも、わざわざ大スポンサーである戸高家に喧嘩を売ってまで奴の無能を報道しないであろう」
戸高高志の場合、無能でもそこまで悪辣というわけでもないからな。
ウザイけど。
無理に批判する理由もないというわけか。
「国会議員になってしまいますけど」
「あのな、相川の嬢ちゃん。国会議員全員が選良であるという錯覚を捨てることだな。それに、あ奴が政治家として力量を発揮し、政権中枢へと行けるわけがない。父親もそこまで夢を見ていないだろう」
戸高高志の父親からすれば、無能だが、可愛い息子にそれなりの地位を与えたかった。
というのが真相であろうと、菅木の爺さんは予想していた。
「その土地を売って、こちらに引っ越せばいい。酒は水が命。戸高山付近から出る地下水は、この辺から湧き出る地下水よりも質は圧倒的にいいぞ」
竜神様の加護もあるからな。
実際に神社でも門前町でも手水舎や飲料水などで使われていて、とても好評なのだから。
ただ単に水が綺麗なだけでない、竜神様の加護があるので、実は日本の名水百選などよりも人気があった。
「酒の品質が上がり、それを神社に奉納すればいい宣伝にもなろう。門前町でも販売できるからな」
「それはいいですね。わかりました、そちらに引っ越ししましょう」
戸高酒造の社長は即決し、門前町の近く、製紙工房の隣に引っ越すことになった。
酒蔵の引っ越しは色々と大変だそうだが、戸高高志には土地の売却をチラつかせ、少しでも早く移転できるよう、金も含めて援助を引き出すことに決めたらしい。
「バカな上に経験不足の若造だ。土地を売ると言えば、子供のように喜んで『僕の功績だ!』と自慢するだろうな。あいつはバカだから、土地をいくらで購入したとか、いくらでどこに売っていくら儲けたなどの視点が完全に欠如している。お坊ちゃまでもあるからな」
とはいえ、戸高高志とは悪運の強い男だ。
どんなに無能で、なにを失敗しても、父親がそれ以上の成果をあげて穴埋めしてしまう。
現に、当代の戸高家当主には政治家たちがペコペコするくらいの力があり、到底政治家には向いていない高志が選挙に出馬できるくらいなのだから。
「なんか憑いているのかな? あいつ」
さっきよく霊視してみたけど、おかしな悪霊やその他霊の存在は確認できなかった。
守護霊もいるが、あいつの守護霊は五代前の先祖で、自慢気に『僕の考えた、最高の事業計画』を語る奴の後ろで呆れ果てていたからな。
守護霊でも匙を投げているのに、奴はなにをしても不幸な結末にならず非常にツイている。
正直なところ、ちょっと不気味な奴ではあった。
「代々続く酒蔵を救えたのだ。よしとしよう」
「菅木先生、移転は急ぎますけど、引っ越し先に酒蔵を新築しなければならず、移転も菌の関係などで手間がかかります。数年はかかると思いますよ」
無理やり酒蔵を移転させると、そこに居ついた菌のこともあって大変だからな。
焦って変な菌を増殖させてしまうと、酒が不味くなって売り物にならなくなる。
戸高酒造の社長は、移転には時間がかかるという見解を述べた。
「裕、短縮する手段はないのか?」
「ないこともないですよ。ただ、ちょっと田舎に引っ越すことになるかなって……」
「田舎ですか?」
「ええ、旧山中村に封印されていた酒蔵があるので」
「それは非常に興味深いですね。是非、案内してください」
俺たちは、戸高酒造の社長も連れて旧山中村へと戻るのであった。
「これはいいですね。そういえば、昔に古い資料で見たことがありますよ。封印された旧山中村には、とてもいい酒を造る蔵があったと。なんでも、将軍家にも献上していたとか。ここがですか……」
戸高家による圧政に苦しんだ旧山中村には、栽培した酒米を用いて酒を造る蔵があった。
その造りは、なんでもこの酒蔵は献上品を取り扱う関係と、杜氏たちによる酒の横流し、抜き取り、飲酒を見張るため藩営だったそうで、あの封印に巻き込まれて杜氏たちや見張りの藩士たちはこの場で死んでいた。
今は完全に浄化されたので、この酒蔵は当時の状態のまま残っていた。
悪霊と化した杜氏たちが酒造りを進めていたので、木製の大樽には醸造中の酒が残っていたのだ。
長年異界化した酒蔵で収穫した酒米を材料に酒を造り続け、それが一杯になると捨てるという、無駄な動作を繰り返していた。
悪霊たちは死んでいるので、自分たちで作った酒を飲めなかったわけだ。
「こちらのものと、向こうから持ってきたものですぐに酒造りはできますね。建物も非常に頑丈な造りですし、あとは電気などが使えるように改装が必要ですか」
「それは、竜神会の方で手配する。では、早速引っ越しの準備を始めてくれ」
「わかりました。ここなら綺麗な水も豊富で、いい酒が造れますよ。酒米もこの地で栽培しているのがいい。プレミア感もあって売れると思います」
早速、戸高酒造は古い酒蔵を買い取り、そこを改修しながら新たに酒造りを始めた。
今年の分はタンクを移動させ、古い酒蔵で悪霊たちが作っていた日本酒に手を入れるくらいだが、来年からは旧山中村で収穫した酒米を用いて本格的に酒造りを始めるそうだ。
「よいではないか。我らの名を冠した酒は」
「赤竜神の酒は甘口で、我の名を冠した酒は辛口か。うーーーん、美味い」
早速新しく造る酒のラベルが考案され、その中身は来年からの製造なので従来品であったが、戸高酒造製造の、甘口の日本酒『赤竜神』、辛口の日本酒『青竜神』が神社に奉納された。
他にも、濁り酒、炭酸入りなどの日本酒もあるそうだが、これも合わせて門前町の土産物屋で販売され、よく売れているそうだ。
来年以降は、人手を増やして酒の生産量を増やす予定だと、戸高酒造の社長は言っていた。
「やはり酒はいいの」
「昔はそう滅多に奉納されるものではなかったからな。今の世は酒が一杯あっていい」
自分たちに奉納されたからと言って、大喜びで酒を飲んでいる竜神様たちを見ると、神の威厳もあったものではなかった。
たださすがは神様というべきか、かなり大量に飲んでいるが前後不覚になるまで酔っ払うことはないみたいだ。
「神様も酒が好きなんだ」
「歌い手よ。神は酒が好きな奴が多いぞ」
「なにしろ、酒で失敗した神の例もあるほどだからな」
「そんなこと言って、失敗しないでね」
「安心せい。我らはそんな失敗はしないぞ」
「酒は適量と決めているのでな」
などと偉そうに里奈に言っていたのに、二人はよほど奉納された酒が気に入ったのであろう。
翌日は、ほとんど神社に顔を出さなかった。
二日酔いのため、地底湖で寝ていたものと思われる。
「そういえばさ、裕ちゃん。戸高酒造の跡地って、本当に半導体の工場になるの?」
「あいつの言っていることだから、まったくあてにならないよな」
「そうだよね」
などと久美子と話をしていたからなのか、戸高酒造が売却に応じた旧戸高酒造があった土地は古い酒蔵が壊されたあと、なぜか『マンション建設中』の立て札が立てられていた。
「またマンションかよ!」
バカの一つ覚えみたいにマンションばかり建設して、これが戸高高志の限界なのだなと思うことにする。
あいつに工場用地を売却すると言われても、企業側が信じなかったとか?
「マンション建設で間違っておらぬからな。戸高高志ではなく父親の方の意向というわけだ」
俺たちと一緒に建設工事中のマンションを見ながら、菅木の爺さんが詳しい事情を語った。
「竜神様たちの復活や、聖地の拡大も順調に進んでいる。ここはいい土地で、早速目敏い富裕層が不動産物件を購入しているからな。マンション建設で損はしないわけだ」
「なんか、竜神様たちの加護につけ入っているな」
「まあそんなセコイことを言うな。竜神様たちの加護に縋るということは、竜神様たちの機嫌を損ねてはいけないということで、竜神会に正面切って敵対するつもりはないということになる」
「正面切ってはなんだ」
「人間とは、一筋縄でいかない生き物だからな。それに、竜神様たちは奉納された御神酒に満足しておられる。戸高酒造の引っ越しは間違っていなかったというわけだ」
その後の戸高酒造であるが、戸高山の地下水に、旧山中村で栽培された酒米を用いて新しく酒を造り始めた結果、素晴らしく美味しいお酒だという評判を得ていくつもの賞を貰い、全国でも有数の酒蔵へと成長していくのであった。
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