第38話 二重悪霊VS除霊師

「みんな、残念だけどこれで最後の曲なんだ。里奈もみんなと同じ気持ちだよ」


「「「「「「「「「「里奈ちゃーーーん! アンコール! アンコール!」」」」」」」」」」


「アンコール! 痛いって! 久美子、涼子さん」


「裕ちゃん、今まで興味なさそうな態度をしていて!」


「そうよ! ミーハーなクラスメイトたちと同類じゃないの!」


「同い年だからいいじゃん! アイドルだから期待していなかったけど、いい歌だし、歌上手いし」


「「それは認めるけど……」」





 念のため、葛山里奈の護衛も兼ねてのコンサート観覧であったが、思っていた以上に彼女の歌はノリもよく上手かった。

 クラスメイトたちが夢中になるのも理解できる。

 朝生康太が、生霊になってまでストーカーをする気持ちも理解できなくはないな。


 コンサートは大いに盛り上がったのだが、俺もせっかくなのでと楽しんでいたら、久美子と涼子さんに叱られてしまった。

 別に、歌を楽しむくらいいいじゃないか。

 どうやら、今日はもうなにも起こらない……。


「久美子! 涼子さん!」


「えっ? どうして?」


「殺気?」


 突然、コンサート会場の体感気温が一気に低下した。

 本当に気温が下がっているわけではないが、体は寒いと感じてしまう。

 この会場によくない霊が紛れ込んだ証拠であった。

 それも、かなり性質の悪い。


「なあ、寒くないか?」


「どうして急に? 冷房を強めたのか?」


「いや、エアコンの類はついていないようだぞ」


 会場の観客たちは突然の寒さに驚き、何事かと騒ぎ始めた。

 そして……。


「おいっ! あそこ!」


「なんだ? コンサートの演出……のわけないか」


「なんでパンツ一丁なんだよ!」


 ステージで歌う葛山里奈のちょうど数メートル真上。

 そこに、白いを通り越して青白い肌をしたパンツ一丁の朝生康太が浮いていた。

 どうやら、お札による封印を破ってここまで来たようだ。


「だが、変だ」


「そうね、変ね」


 俺が感じた違和感を、涼子さんも感じたようだ。

 あきらかに、あの朝生康太は昨晩お札を用いて動けなくした彼とは別人であった。

 元々彼にあのお札をどうこうできる霊力はなく、だが、今の彼の生霊はかなり厄介な悪霊と同じくらいの霊力を持っている。

 いや、あれはあきらかに生霊ではない……生霊の気配も残しつつ、悪霊の特性も持つという不可思議な状況にあった。


「ねえ、裕ちゃん」


「どうした? 久美子」


「あの生霊、よく見ると二重に見えるけど。もう一人、朝生康太とは別の霊が重なっているように」


「どれ?」


 久美子の指摘に対し、俺もそれを確認しようと彼の生霊をじっと見てみるが、確かにわずかながらであるが、二重に見えている。

 朝生康太と、もう一人別の霊……。

 なるほど。

 生霊となってあちこち出歩いていたので、定着していない悪霊に隙があると思われて乗っ取られてしまったわけか。


 生霊にはもう一つ、霊体を生きている体から離脱させて移動を行う関係で、悪霊に憑かれやすいという特徴もある。

 俺がパラディンをしていた世界でも、女王陛下をモノにしようと……当時、世の中には変わり者がいると、みんなで話したものだが……生霊となって彼女に近づこうとしたら、霊体を死霊に乗っ取られてしまった貴族のことを思い出していた。


「しまったな。動けなくした朝生康太の始末をコンサートのあとにしようとしたら、先を越されたわけか。でも、戸高市に自由に動けて、生霊に憑りつける悪霊なんていたかな?」


 俺たちが経験値稼ぎでほぼ駆逐してしまったので、以前からいた悪霊とは思えない。

 となると、新しく発生した悪霊であろうか?


 そんなことを考えていると、やはり朝生康太の生霊は悪霊に乗っ取られてしまったようだ。

 その外見が、彼とはまったく違う容姿に切り替わってしまった。

 年齢は三十代半ばくらいであろうか。

 中肉中背で普通の男性に見え、とても悪霊化するような人物には見えなかった。


「裕! そいつは、武藤恭介だ!」


 突如、ステージの袖から菅木の爺さんの声が聞こえてきた。

 彼は霊の反応に敏感なので、この異常事態にもすぐに気がつき、さらに朝生康太の生霊を支配している悪霊の正体にも気がついたようだ。


「武藤恭介?」


「三日前に、少年少女連続殺害事件で死刑に処された人物だ」


 死刑囚か……。

 それにしても、死刑囚が悪霊化するなんて珍しいな。

 昔はよくあったのだが、今はそれを防ぐため、死刑執行の際には除霊師がつくことになっているからだ。

 勿論公には秘密である。

 悪霊化するから死刑は廃止しようという大義名分を、死刑反対論者たちに与えるわけにいかないからだそうだ。


 そのせいか、ここ数十年で悪霊化した死刑囚などはいない。

 武藤恭介は、久々の例外というやつであった。

 彼の処刑の時も除霊師がついていたはずだが、どうやら未熟な除霊師で悪霊に騙されたのであろう。

 近年、悪霊化した死刑囚はいなかったから、油断があったのかもしれない。


「おかしいわね……死刑囚が悪霊化しないための監視は、よく安倍一族が引き受ける依頼で……」


「うわぁ、なんとなくわかっちゃったな」


 久美子と同じく、俺もわかってしまった。

 やはり、涼子さんの父親が亡くなってしまった影響は大きかったようだ。

 本来なら失敗なんてしないはずの、死刑囚の悪霊化阻止の仕事を見事に失敗させてしまうのだから。


 安倍一族め!

 これも貸しだからな!


「除霊師か!」


「普通に話せるのか……厄介だな」


 涼子さんの父親である、安倍清明の悪霊の時と同じだ。

 かなり強い悪霊のようで、普通の人間と同じように話ができた。

 弱い悪霊特有の透明さがなく、空に浮いていなければ悪霊だと気がつかなかったかもしれない。


「なあ、あれって幽霊なんじゃ?」


「全員が見える霊か? そういう演出なのでは?」


「さて、どいつから殺してやるかな。おっと、除霊師を殺すのが先だった。あっ、でも。このアイドルを殺した方が世間も大騒ぎになるぞ。ゾクゾクするからこいつだ!」


「ヤバイ!」


 朝生康太のやつ。

 生霊のままで、ストーカーをし過ぎた罰を受けたみたいだな。

 生きている人間が、毎日長時間体から霊体を切り離して操作すればどうなるのか。

 体も生霊の方も抵抗力が落ちるので、呆気なく悪霊に支配されてしまうというわけだ。


 それにしても、恨みや執念が強い死刑囚の霊とはな。

 だから、極秘裏にでも除霊を配置しているというのに、安倍一族のバカどもが……起こってしまったことを愚痴っても仕方がないか。

 でも、死んで間もないのにここまで強力だとは……とにかく今は……。


「クソッ! 邪魔したな! 除霊師!」


「当たり前だ! 依頼者になにかあると困るからな! 悪霊!」


 朝生康太の生霊ではなく、武藤恭介の悪霊は真下にいる葛山里奈を標的にしようとしたので、俺は急ぎお札を投げてそれを阻止した。

 かなり質のいい札を用いたのだが、数秒足を止める程度の効果しかなかったか。

 お札は青白い炎を発しながら燃えてなくなったが、悪霊がダメージを受けたようには見えない。


 とはいえ時間は稼げたので、俺は宗晴をお守りから取り出し、一気にステージに駆け上がって葛山里奈を庇う態勢に入った。

 

「広瀬裕っ!」


「あんたになにかあると、依頼料どころか罰金ものなのでな」


 安倍一族が失敗した依頼なので、除霊に成功すればかなりの額の報酬が出る契約なんだが、逆に彼女になにかあると高額の罰金を支払わなければならない。

 俺じゃなくて竜神会が支払うものだが、それは竜神会の経営的にも避けたいところであった。


「邪魔をするか!」


「連続殺人鬼のお前を邪魔する。とてもいいことじゃないか」


「なっ! 俺は朝生康太だぞ!」


「そんな幼稚な言い訳、除霊師に通じると思うか? 死刑囚……元死刑囚か。武藤恭介」


「……」


「悪霊化したらバカになったか? 例えお前が、朝生康太の生霊でも武藤恭介の悪霊でも、人に害を成した時点で除霊対象だ。他人のフリをしたところで意味はない」


「ふふふっ……確かに除霊師、お前の言うとおりだ。俺は肉体からの呪縛を解かれ、これからは永遠に好き勝手に人を殺せるのだからな。まずは、お前たちと……一杯いるじゃないか」


 まるで見ているテレビが番組が切り替わるように、パンツ一丁姿の朝生康太は囚人服姿の武藤恭介に変化した。

 彼は一見普通の男性に見えるのだが、その目がギラついており、それを見たコンサートに来ていた観客たちは一斉に逃げ出した。


 本能でヤバイ奴だと即座に理解したのであろう。

 憑いている守護霊が逃げるように行動を後押しするってのもあるから、こういう時守護霊の強さで逃げる早さが全然違ったりするのだ。


「スマホで撮影する勇者とかはいないか」


 誰にでも目視できる悪霊なので、観客も人間という生物の本能で、『こいつはヤバイ』と一斉に逃げ出してしまったのであろう。

 コンサート会場には、俺、久美子、涼子さん、菅木の爺さん、葛山里奈、武藤恭介の悪霊だけが残った。

 あと朝生康太の生霊もいるが、奴はもうどうでもいいか。


「まあいい。今日は女が三人もいるからな。女は惨たらしく時間をかけて殺すと最高なんだ。あの悲鳴が堪らない」


「変態ね」


「そりゃあ死刑になるわよ」


 悪霊化した最悪の死刑囚だが、レベルアップのおかげで久美子と涼子さんに動揺はないようだ。

 武藤恭介からすればそれは期待外れで、見てわかるほどガッカリしていたが。

 きっと、恐怖のあまり悲鳴でもあげてくれないと、彼的には満足できないのであろう。


「やはりこのアイドルか。こいつを殺せば、さぞやいい声で泣くであろう」


「ひっ!」


 武藤恭介から標的とされてしまった葛山里奈であったが、短い悲鳴はあげたが思っていたよりも動揺していない。

 どうやら元々霊力が高いようで、悪霊からの殺意に耐性があるのであろう。

 だが、素人には辛いはずだ。

 俺は、彼女が首に下げているペンダントに霊力を送った。

 するとペンダントが青白く光り、それが彼女の全身を包み込む。


「これで大丈夫だ」


「広瀬裕……お礼は言ってあげるわ。ありがとう」


「どういたしまして」


 俺にお礼を言うなんて、初めて会った頃に比べたら格段の進歩じゃないか。


「バカめ! ならば標的を変えればいいのだ!」


「だが、それは悪手だ」


 武藤恭介は、今度は久美子と涼子さんを標的としたようだが、二人はレベルアップのおかげもあってかなり霊力が高まっていた。

 防御に徹すれば、悪霊の攻撃などまず通用しない。


「それにだ。俺がただぼーーーっと、お前が久美子と涼子さんに攻撃するのを見ていると思うか? こういう風に動く!」


 俺は武藤恭介の浮いている位置まで飛び上がり、利き手に持っていた宗晴でその身を真っ二つにしようする。

 ところが思っていたよりも素早かったようで、その右手を斬り落とすことしかできなかった。


「さすがは、元魔刀」


 今の宗晴は、霊器、聖剣の類になっているが、元々は魔刀である。

 例えその標的が悪霊に切り替わっても、なにかを斬り裂くのを好む性質に違いはなかった。

 まるで紙でも斬るかのように、武藤恭介の右腕を斬り落としている。

 霊体なので、斬り落とした彼の右腕はすぐに復活してしまったが。


「若干薄くなったかしら」


 斬り落とされた右腕の分霊力が減ったので、武藤恭介は多少薄くなったような気がした。

 

「もう一度!」


 続けて、今度武藤恭介の左腕、右足と斬り落とした。

 相手は悪霊なのですぐに元通りになってしまうが、霊力を失ってその体は半透明になりつつあった。


「なぜ……俺はこうも一方的に……」


「それは、お前が弱いからだ」


 武藤恭介の悪霊は、この世界のA級除霊師ならかなり手古摺る強さを持っていた。

 だが、俺にかかれば。

 向こうの世界なら、武藤恭介の悪霊など普通よりも少し強い程度でしかないのだから。


「じゃあ、除霊されて地獄に落ちるか」


「待て!」


「うん?」


「俺を除霊してしまうと、俺が乗っ取っている朝生康太という奴の生霊も完全に消えてしまうことになるぞ!」


 実力では勝てないと悟ったので、今度は自分が憑いている朝生康太の生霊を人質にしたのか。

 確かに、今の朝生康太の生霊は、武藤恭介の悪霊と融合しているような状態なので、これを完全に除霊してしまうと、朝生康太も霊体を失ってしまうのだ。

 つまり、生きる屍と化してしまう。

 意識もなく、ただ生きているだけの状態になってしまうのだ。


「そのようなことはできまい! これぞ、俺とは違う普通の人間の限界だ! さあ、俺を除霊してみろ!」


 そう言うと、武藤恭介の悪霊は両手を広げて俺をからかい始めた。

 斬れるものなら斬ってみろというわけだな。


「どうだ? 斬れまい。俺はそれを見越して、こいつの生霊を乗っ取ったのだから」


 そう言うと、武藤恭介の悪霊はその外見を朝生康太に切り替えた。


「むーーーん! 里奈タンだぁーーー! ボクタンになにかあると、ママが許さないむーーーん!」


「よく言うわ。その母親なら、公園で首を折られて死んでおったぞ」


 話に割り込むようにして、菅木の爺さんが、今舞台袖で知った情報を俺たちに教えてくれた。

 どうやら、武藤恭介の悪霊がやったみたいだな。


「ママが? そんなどうして?」


「お前も半分加担したようなものだろうが!」

 

「そっ、そんなむーーーん! なら、ボクタンは里奈タンと必ず結婚して、ママの墓前に伝えないとむーーーん!」


 最期まで自分を庇ってくれた母親の死だったが、朝生康太のクズぶりの前には無力だった。

 母親の死を悼むことすらせず、葛山里奈に執着し続けているのだから。


「あんた、最低ね!」


「むーーーん! 里奈タァーーーン!」


「もう! 人の睡眠を妨げて! 挙句に死刑囚と共謀して自分の母親を殺した? どうしてあんたのようなクズと私が結婚しなきゃいけないのよ!」


「むーーーん! ボクタンは、誰よりも里奈タンを愛してるむーーーん!」


「知らないわよ! 第一、あんたは悪霊じゃないの!」


「むーーーん! ボクタンは生きているむーーーん!」


「あーーーっ、その話なんだが」


 俺は、葛山里奈と朝生康太の会話に割って入った。

 どうしても、伝えておかなければいけないことがあったからだ。


「なんだ、またお前か! ボクタンと里奈タンの愛のささやきタイムを邪魔するな! むーーーん!」


「どこが愛のささやき?」


「ただの苦情よね」


 相手が朝生康太だと、久美子も涼子さんも基本的に容赦なかった。

 褒めたり、庇いたくなるような部分がまるでない奴だからな。

 あと、俺もさっきの二人の会話が愛のささやきには聞こえなかった。


「とにかく! ボクタンと里奈タンの時間を邪魔するなむーーーん!」


「もう最期だからか?」


「どういう意味むーーーん! ボクタンは、家にいる体に戻れば問題ないむーーーん!」


「だから、それが無理なんだよ」


「どういうことむーーーん?」


 生霊単独なら除霊師が除霊すると元の体に戻ってしまうが、今回のケースのように生霊に悪霊が憑りついてしまった場合、もう二つを分離する方法がないのだ。

 そして除霊師が悪霊を除霊した場合、一緒に生霊も除霊されるが、生霊の霊体・魂は悪霊と共にあの世へと飛ばされてしまう。

 どうしてかというと、一緒に除霊された悪霊があの世に引きずり込んでしまうからだ。


「生霊が悪霊に乗っ取られたというのは、両者が融合したに等しいんだ。例えるなら、アップルジュースとオレンジジュースを混ぜてミックスジュースを作ったとする。そこからアップルジュースだけを取り出せるか?」


「無理よね。常識的に考えて」


 俺の問いに、朝生康太でなく葛山リナが答えた。


「つまり、お前の魂も浄化されるとあの世に飛ばされてしまうんだ」


「家の体は?」


「魂がない状態になるからな。生きる屍みたいな状態になるけど、よくて一週間も生きていないから」


 いくら肉体になんら異常がないにしても、魂がなければ動けない。

 コントローラーをなくしたラジコンみたいなものだな。


「そっ! そんなむーーーん!」


「だから、生霊として長時間活動するなって言ったんだ」


 生霊だけで活動している間はまだいいが、もし悪霊に目をつけられて憑りつかれた場合。

 そのあとには死しかないので、俺はわざわざ菅木の爺さんに朝生康太の身元の確認を頼み、一応釘を刺していたのだから。


「ボクタンと里奈タンの結婚は?」


「お前が生きていようと死んでいようと無理」


「そんなぁーーー!」


 嘘をついても仕方がないので事実のみを語ったが、朝生康太は自分がもうすぐ死ぬとわかって一人大騒ぎをしていた。


「元々、私とあんたが結婚なんて無理なのよ」


「そんなむーーーん! ボクタンは、絶対に里奈タンと結婚したいむーーーん!」


「私はあんたなんて死んでも嫌! それと私には今、彼氏がいるもの」


「そんなむーーーん!」

 

 日本のトップアイドルに恋人がねぇ……。

 朝生康太は泣きじゃくっている……パンツ一丁で泣きじゃくる男ってシュールだな……けど、もし葛山里奈がフリーだとしても、彼にチャンスはないと思う。


「誰? むーーーん! 憑りついて殺してやるむーーーん!」


 朝生康太の発言は、もう完全に悪霊寄りだよな。

 一方的に片思いしている女性の彼氏を、呪い殺すなんて言うのだから。


「誰? むーーーん!」


「その人はちょっとぶっきらぼうなんだけど、実は優しくて面倒見もいい人なの。優秀な除霊師で、このペンダントもプレゼントしてくれたし」


「お前か! むーーーん!」


「はあ? 俺?」


 いや、俺は別に葛山里奈となんてつき合っていないぞ。

 昨日出会ったばかりだというのに、どうしてそういう話になっているんだよ。


「私はこの人とつき合っているから、あんたとは結婚できないの。わかった?」


 この女……。

 ちょっとは態度がマシになったから少し見直したのに、朝生康太を激高させるために俺を利用しやがって。

 自分の恨みを、他人を利用して晴らすなよ!


「(いいじゃない。あんたに恨みが向いた方が対応しやすいでしょう? どうせあんたが除霊するんだから)」


「(否定はしないが……)」


 他の人を標的にされるよりも、俺に襲いかかってくれた方が楽なのは確かだ。

 確かだがこの女、外見はもの凄く可愛いのに、中身はかなりいい性格していやがる。

 なんて思っていたら、葛山里奈は俺に顔を近づけ小声で話しかけてきた。


「(あんたのおかげで昨日は安眠できたし、ちゃんと感謝はしているのよ。そのお礼をしてあげる)」


「(お礼?)」


 そう言った直後、突然彼女は俺の頬に軽くキスをした。

 ほっぺでも嬉しい……じゃなくて!

 俺がすぐに気がついてしまった。

 俺にキスをした葛山里奈が、一瞬だけ『してやったり』という表情を浮かべたのを。


「むーーーん! ボクタンの里奈タンがぁーーー! 里奈タンの神聖な唇を汚した除霊師め! 確実に殺す、むぅーーーん!」


「いやあ、神聖な唇かどうかわからないぞ。もしかしたら、すでに俺じゃない本物の彼氏がいるかもしれないんだから」


「そんなのいないわよ。今のキスだって初めてで、裕も初めての彼氏なんだから。もう、裕のヤキモチ焼きさん」


 さらにそう言うと、彼女は俺と腕を組んできた。

 意外と胸がある……じゃない!

 今は除霊中で、油断している場合ではない。


「むぅーーーん! 殺すむぅーーーん!」


「(この女は……)」


 葛山里奈が俺の頬にキスをしたのを見てしまった朝生康太は完全に激高してしまい、そのまま俺に襲いかかってきた。

 どうやら、完全に理性の糸が切れてしまったようだ。

 あと、葛山里奈。

 いきなり腕を組んできたのは、他に彼氏がいるかもしれないという、俺の発言に対する復讐か?


「おいっ!「うるさいむーーーん!」」


 同時に俺は、葛山里奈のもう一つの意図に気がついた。

 朝生康太は激高のあまり、本来支配下に置かれていたはずの武藤恭也との立場が逆転してしまっているのに。

 考えなしに俺に襲いかかる朝生康太を、武藤恭也は止めようとするが、彼の怒りぶりはあまりにすさまじく、どうにもならずに声だけをあげるのみであった。


 朝生康太は、葛山里奈に異常なまでに執着している。

 彼女はそれを理解して、彼を挑発する策を実行したのだ。

 ただのアイドルかと思えば……葛山里奈、油断できない女だ。


「(私って、表裏が激しいとか、よく同業のアイドルたちに言われるんだけど)」


「(だろうな……)」


 俺は、宗晴を構え直しながらそう小声で答えた。

 コンサートで歌ったり、ファンに応対している時とはまるで別人なのだから。


「(そんなことはないんだけどなぁ……)ねえ、ダーリン」


「殺すむーーーん!」


「いや、火に油を注いでいるだろうが!」


 そう叫びながら、俺は血走った目で襲いかかってくる朝生康太の生霊を一刀両断に切り捨てた。

 続けて、左右真っ二つになった彼の霊体双方にお札を投げつける。

 お札は青白い火柱をあげ、それが消えると、もうそこに霊の反応は一切なかった。

 朝生康太の生霊、武藤恭也の悪霊は完全に除霊され、きっと地獄に落ちたはず。

 精々頑張って修行して、数百年後にまともな人間に生まれ変わればいいさ。


「終わったか……」


「これで無事、私の寝不足は解消されるのね」


「お前なぁ……」


 別に葛山里奈に罪はないが、今回の事件で朝生康太とその母親は死んでしまったというのに。

 朝生康太の方は、生ける屍としてあと数日生きているだろうが、もう実質死んだようなものだ。

 彼の自業自得ではあるのだが、人が二人死んでいるので、もうちょっと湿っぽくしても罰は当たらないと思うのだが……。


「アイドルの性よ。人前だと殊更明るく振る舞い、気まぐれで、強気にも見える。でも、私も普通の年相応の女の子なのよ」


「……」


 それもそうか。

 これまで霊に関わってこなかった少女が、あの二体の霊に被害を受け、振り回されたのだ。

 正常な精神でいられるはずがない。


「だから、私はあんたに感謝しているのよ。だから、そのお礼に……」


「っ!」


 そう言うやいなや、葛山里奈は俺の首に手を回し、今度は唇にキスをしてきた。

 彼女から漂ういい匂いと、その唇の柔らかさに、俺は一瞬意識が遠のきそうになってしまう。


「(ありがたく思いなさい。私のファーストキスなんだから)じゃあね、また会いましょう」


 キスが終わると、葛山里奈はいつものアイドルらしい笑顔を浮かべながら、俺に軽く手を振ってステージから舞台袖に戻って行った。

 今回のコンサートの件の後始末は、菅木の爺さんと彼女の所属する芸能プロダクションが担当するそうだが、彼女自身はスケジュールが埋まっているので、次の仕事先に向かわなくてはいけないからだ。


「まるで嵐のような女だったな……」


 そういえば、意外な形で俺もファーストキスを迎えてしまったわけだが……えっ、向こうの世界ではって?

 アンデッドと死霊王退治に忙しかったんだよ!

 本当に忙しかったんだ!

 それに、パーティメンバーはあくまでも異性の友達同士という関係だった。

 女性三人なので、もしその中の一人とつき合うと、人間関係に色々と不都合が生じるかもしれず……はいはい、どうせ俺はモテもてませんよ。


「でも、悪くはないか」


 葛山里奈は、普段は少し誤解を受けそうな言動をするが、そんなに悪い奴でもないようだし。

 思った以上に知恵が回るから、油断はできないけど……ファーストキスの感触を思い出しながら一人余韻に浸っていると、次のトラブルは思っていた以上に早くやってきた。


「裕ちゃん! あの女と二回もキスしてどういうこと!」


「そうよ、羨ましい……じゃなくて、朝生康太の生霊を誘うにしても、もっと他に方法があるでしょうが!」


「裕ちゃん、幼馴染の私でも、裕ちゃんとキスなんてしたことないのに!」


「それは当たり前なんじゃないの? ただの幼馴染なんだから」


「ただの仕事仲間の清水さんも同じだよね?」


「わっ、私は安倍一族の命令で、裕君とそういう関係になっても全然構わないどころか大歓迎だし、私自身も全然構わないどころかいつでも大丈夫……って! なにを言わせるのよ! あの性悪アイドルのせいよ!」


「裕ちゃん、あの女のせいで唇が汚れただろうから、私が消毒するから! 裕ちゃん、んんーーーっ」


「相川さん、そういうことなら私がやるから!」


「なにを言っているのかな? これは裕ちゃんと幼馴染である私の役割だから!」


「だから、それは全然関係ないって言っているじゃないの! 裕君、私が消毒してあげるから」


「なんなんだよ! 二人とも!」


 いくら久美子と涼子さんでも、二人そろってタコの口で迫られると、逆に引くわ!

 その点、葛山里奈はキスするタイミングが絶妙というか……。

 アイドルだからか?

 やはり慣れているから?


「裕ちゃん、あの女とのキスを思い出していたでしょう! 私が消毒してあげる!」


「裕君! 私が!」


 こうなると雰囲気もクソもなく、今すぐにも逃げ出したくなってきた。

 その前に救いを求めて舞台袖にいる菅木の爺さんに視線を送るのだが、彼は首を横に振った。


「裕、若いのだから自分でなんとかせい」


「爺さん、人生経験豊富なところで助けてくれ」


「七十をすぎて、若い男と女の惚れた腫れたの話などどうでもいいわ。それに、朝生康太とその母親の件の始末もあるのでな。まさか、息子の生霊を乗っ取った悪霊が人間を殺したなんて事実。マスコミで報道できないのでな。警察とも協議が必要なのだ。じゃあな、あとは自分でなんとかしろ」


 そう言うと、菅木の爺さんは俺を見捨てて出て行ってしまった。


「爺さん! 冷たいぞ!」


「裕ちゃん、私が消毒するか! んんーーーっ!」


「裕君、私がやるから! んんーーー!」


「雰囲気もクソもねえ!」


 生霊に付き纏われたアイドルからの依頼は無事解決したが、俺はそれから二時間ほど、久美子と涼子さんから逃げ続ける羽目になってしまった。

 二人とも、せっかく綺麗に生まれたんだから、その残念な発想をなんとかしてくれ。

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