第37話 暗転
「……特等席」
「いわゆるかぶりつきってやつだね」
「葛山里奈、どういう風の吹き回しかしら?」
翌日の葛山里奈のコンサートであったが、どういうわけか俺たちは最前列の一番いい席に招待されていた。
若干、周囲にいる『葛山里奈親衛隊』の方々からの視線が痛い上に、苦労してチケットを入手したクラスメイトたちより圧倒的にいい席で心苦しかったが、せっかくなので招待を受けることにした。
万が一にも、なにかあると困るからな。
「おい! 裕!」
「はい?」
席に座ってコンサートが始まるのを待っていたら、舞台上から菅木の爺さんに呼ばれたので、俺はすぐに舞台上へとあがった。
「どうしたんだ? 爺さん」
「生霊の身元が判明したぞ」
随分と早い気がするが、戸高市の人間だったのかな?
「アホ! ワシの力もあっての早さだ。生霊の主は、朝生康太(あそう こうた)二十六歳。無職だな。大学卒業以降、働いたことがないそうだ」
「見たまんまだな」
アレが普通の勤め人とはとても思えなかったので、俺の予想は当たっていたわけだ。
生霊としてあそこまで活発に活動しつつ、まともに働けたら、そいつはある意味人間じゃないというのもある。
そのくらい、生霊の状態で長時間活動すると消耗してしまうわけで、彼の葛山里奈への異常なまでの執着ぶりがわかるというものだ。
源氏物語の頃から、生霊とは厄介で怖いものとされていたのだから。
「実は、朝生康太の家はここからそんなに離れていなくてな。彼の両親も、私の支持者だったりする」
「じゃあ、説得を……「無駄だった」」
菅木の爺さんは、朝生康太の両親を説得しようとしたそうだ。
息子さんが生霊になってアイドルにストーカーしているので、それをやめてくれと。
家まで行って、直接家族にそう言ったそうだ。
「よく聞いてもらえたな」
「朝生一家は、霊を信じているからな。朝生康太も霊力は高い方だ。C級除霊師には届かないくらいだが、強く願ったら生霊を出せるくらいにはな」
「命に係わるし、普通は家族も耳を傾けるよな」
元々かもしれないが、朝生康太はかなり痩せている。
夜中に生霊となって、葛山里奈の睡眠を妨害するほど付き纏っているので、彼自身も体力をかなり消耗している可能性が高かった。
葛山里奈が全国どこにいても、必ず夜中に付き纏うのだ。
生活時間のすべてを葛山里奈にストーカーするために使っているので、まともな社会生活が送れるはずがないのだから。
生霊は、ずっとラジコンやドローンを動かしているようなもので、電力イコール霊力と思ってもらえれば、朝生康太がどれだけ無茶をしているか理解してもらえるはずだ。
「このままだと、予想以上に早く消耗するんだけどなぁ……」
下手をしたら、確実に五十前には消耗死するくらいには。
「そう説明したんだが、朝生康太の母親がなぁ……」
「マザコンなのか?」
「朝生康太を庇う庇う。あの母親の話を聞いていると、常識とかの基準点がズレてしまうのではないかと思ってしまうほどだ」
朝生康太の母親は、息子が働きもせずに一日中部屋で寝転がっていても、なにも言わずに食事などの世話をしているらしい。
朝生康太は生霊を動かすか、消耗した霊力と体力を回復させるため、昼間はずっと寝ているのに、母親はそれに危機感を抱かない。
ただ盲目的に息子を庇うだけなのだそうだ。
「他人に迷惑をかけているのにですか?」
「やっていることは実質ストーカーなので、葛山里奈のことも考えろと説得はした。だが……」
肝心の母親は『康太ちゃんがそこまで好きな子なら、その子は康太ちゃんのお嫁さんになるべきよ!』と言って話にならないそうだ。
「凄いな……」
なるほど。
そういう考え方もあるのか……とは感心できなかった。
ただの自分勝手な言い分にしか聞こえないし、母の愛は盲目ってやつなのであろう。
それがまったく息子のためになっていないのだが。
「あの母にして、あの子ありと言った感じだな。今は裕が朝生康太の生霊を拘束しているし、葛山里奈はペンダントのおかげで昨日はゆっくり眠れたと聞く。コンサートが終わってから、改めて対策を協議するとしよう」
「それがいいかな」
問題の先送りでしかないけど、すぐに解決できる方策はちょっと選ぶのに躊躇いがあるからな。
菅木の爺さんとそんな話をしていたら、そこに葛山里奈が姿を見せた。
昨日とは違って、酷い目の隈をメイクで隠す必要はないほど回復していた。
「昨日は来なかったでしょう?」
「おかげさまで。パンツ一丁のキモ男がずっと『結婚しよう、里奈タン!』で一晩中騒ぎまくることはなくなったわ」
話に聞くだけで、朝生康太の迷惑ぶりがよくわかる話だ。
この問題の厄介な点は、朝生康太自らがストーカーしていれば警察も対処できるのだが、生霊で付き纏っているので警察も手が出せないというのがある。
警察など公的な機関は、霊を信じていない人たちへの配慮で対策が遅れるかできないので、だから除霊師の仕事となるわけだ。
「ペンダント」
「もっと今風のデザインの方がいいとか?」
「別に……よく見るとシンプルで悪くないし、考えてみたら私はアイドルで流行を作る方の人間だから、私がこれを着けているのを見て、同じようなデザインのペンダントを流行させるのが仕事だし……」
なるほど。
彼女はアイドルだから、そういうのも仕事なのか。
それにしても、ちゃんと寝れたからか、昨日よりも素直になったな。
「それよりも、ちゃんといい席を用意したんだから、有難く思いなさいよね!」
「クラスメイトたちは、みんな羨ましそうに俺を見ているよ」
興味ないと言っていた俺が最前列の席にいたので、クラスメイトたちにしっかり見つかってしまったのだが、俺は除霊師で、コンサートとかの人が集まる場所やイベントには霊的なアクシデントが発生する可能性があるので、念のために雇われているんだと説明したら、みんな『俺も除霊師になりたい!』って言っていたからな。
「とにかく! 途中で寝たりとか、退出なんて許さないんだからね!」
「大丈夫だよ。俺は葛山里奈を守らなきゃいけないんだから」
「そっ、それならいいのよ」
やはり、ちゃんと睡眠が取れた効果はあったようだな。
昨日よりも素直になったのはいいことだ。
さて、もうすぐコンサートが始まるが、なにもなければいいが……。
「くぅーーー、あの男は本当に変わっているというか、すかしているというか」
私葛山里奈は、二十年に一度と言われるほどのトップアイドルなのよ。
それなのに、あの若い除霊師。
この私を生で拝んでも、まったく表情も態度も変わらない。
普通の男性なら、ニコニコしながら私を褒め称えるか、熱心に応援するか、厭らしい視線を私の顔、胸、足に向け、『ファンです!』って嬉しそうな表情を浮かべたり。
それが、大人気アイドルに対する普通の男性ファンの接し方というものなのに、あの男は私をただの依頼人程度にしか思っていない。
私だってアイドルとして色々な人を見てきたからわかるけど、あの男は私に会えた嬉しさを隠しているようにも見えなかった。
そういうものは、どんなに隠してもそれとなく察せられるもの。
ところが、広瀬裕という除霊師にはその気配が微塵もないのだ。
今回の除霊依頼、うちの社長と懇意の国会議員経由で菅木議員に話が行き、彼に頼まれた仕事の一つにしか過ぎないという態度を広瀬裕は崩さない。
聞けば、私と同じ年だというのに、あの落ち着き払った態度はなんなの?
私は、今日本で一番有名なアイドルだというのに……。
彼と一緒にいる巫女さんぽい女性除霊師二人はかなりの美少女なので、私なんて眼中にないってこと?
本当にムカつくわね。
広瀬裕は。
でも、その素っ気ない彼が渡してくれたペンダントは効果てきめんだった。
これまでどんなお札やお守り、聖水、霊を寄せ付けないという謳い文句の道具を私の傍に置いても、あのパンツ一丁の生霊は、毎晩私の枕元でキモイ言葉を囁いたり、結婚しようとうるさかった。
有名な除霊師一族である安倍家の当主に除霊を依頼した時だって、その日の晩はよかったけど、次の日にはもう霊が復活してこれまでどおりになってしまったというのに……。
つまり、彼は本物の優秀な除霊師ってことね。
ちょっとぶっきらぼうですかしているけど、よく見るとちょっと格好いいし、今夜はペンダントのお礼に一番いい席に招待してあげたわ。
私の素晴らしい歌を聞いて、目にハートを浮かべて私に跪けばいいのよ。
私は色々なファンの男性たちを見てきたから、広瀬裕がちょっとくらい無礼でも気にならないわ。
私の明るさと合わせて二で割ると、ちょうどいいくらいよ。
同僚に可愛い子と綺麗な子がいるけど、その二人はあくまでも同僚ってことにしておきなさい。
ペンダント貰っちゃったし、私はこれがないと霊に襲われるかもしれないし、こういう物ってくれた人が最後まで責任を持つものなのよ。
だから、私と広瀬裕が一緒にいても、それは全然おかしくないというか。
私は、ペンダントの鎖で縛られちゃってるから仕方がないのよ。
というわけで、まずは私の素晴らしさを理解することね。
わかったかしら?
広瀬裕。
「むーーーん! 動けないむーーーん!」
昨晩から、ボクタンは公園から動けない状態にあった。
努力して生霊と化し、自由自在に里奈タンの傍で愛のアプローチを続けているボクタンの額にお札を張り、里奈タンのコンサート観覧を邪魔するなんて。
あの除霊師、許せないむーーーん!
でも、ボクタンの里奈タンへの愛があれば、こんなお札なんて簡単に動けないむーーーん!
これは困った……と思ったら……。
「ママ!」
ママは、困ったボクタンにいつでも手を貸してくれたむーーーん!
働かないで父さんと兄さんに叱られた時でも、ママはいつでもボクタンの味方むーーーん!
ボクタンと里奈タンとの結婚にも、無条件で賛成してくれたむーーーん!
ママは、里奈タンはアイドルを辞めてもタレントして生きていけるので、ボクタンが家にいても大丈夫だと言ってくれたむーーーん。
そのママが、動けないでいる生霊状態のボクタンを見つけてくれたむーーーん!
さすがはママだむーーーん!
「ママ!」
「コウちゃん! そのお札があるから動けないのね?」
「ママ、助けてむーーーん!」
「菅木議員といい、無礼な若い除霊師といい、私とコウちゃんの夢の未来を邪魔するなんて! あのジジイには二度と投票しないわ」
ボクタンと里奈タンが結婚したら、ボクタンもママも幸せなのに、それを邪魔する政治家なんて害悪むーーーん!
あんな奴への投票はやめて、あいつを落選させてやるむーーーん!
あと、あの除霊師に目に物見せてやるむーーーん!
可愛い女の子を二人も連れているなんて、生意気だむぅーーーん!
「お札が外れたわ」
「ママ、ありがとうむーーーん!」
これで、コンサート中の里奈タンに堂々とプロポーズできるむーーーん!
ずっと動けない状態で少し消耗しているけど、コンサート会場にはあの除霊師たちがいるに決まっているむーーーん!
全力を出して、まずはあの除霊師たちを殺すむーーーん!
「そう、殺すむーーーん! 今のボクタンは生霊だから、人を殺しても無罪むーーーん!」
「そうね、コウちゃん。そんな除霊師、殺してしまいなさい」
「ママ、任せてむーーーん!」
今のボクタンなら、あんな除霊師を殺すのは簡単……そう、殺すむーーーん……殺す!
ああ、今すぐにでも人を殺したくなってきた。
まずは、あの除霊師たちを殺すとしよう。
女除霊師たちもいたな。
絹を裂くような悲鳴をあげるよう、惨たらしく殺してやろう。
だが、その前に……。
「ママ、お願いがあるむーーーん」
「コウちゃんのお願いなら、ママ、なんでも聞くわよ」
「ありがとうむーーーん、さすがはママ」
「いいのよ。親は、子供のためにいるのだから」
「そうか! じゃあ、まずは景気づけにお前を殺すかな?」
「えっ? コウちゃん? いいえ、あなたはコウちゃんでは……」
「だとしても、お前には関係ない! なぜなら、ここでお前は死ぬんだからな!」
「コウちゃん……あがっ……そんな……」
「死ね!」
呆気ない。
もう死んでしまったのか。
やっぱり、ババアを殺しても楽しくないな。
それにしても、俺は運がよかった。
つい数日前、少年・少女連続殺人事件の犯人として処刑された俺だが、こんなにも乗っ取りやすい生霊があったとは。
このまま朝生康太の生霊として活動していれば、いくら人を殺しても俺が元死刑囚の悪霊だとは気がつくまい。
このまま、今度は悪霊として大好きな殺人を楽しめる。
最高ではないか。
とはいえ、俺もそんなに悪人ではない。
朝生康太の意志である、憎っくき除霊師の殺害を引き受けようではないか。
俺はちゃんと恩を返す性格なのでな。
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