第36話 トップアイドルと生霊
「楽しみだな、葛山里奈ちゃんのコンサート」
「ああ、戸高市記念ホールでやるやつだろう? 俺、チケット買ったから」
「俺ももう買ったぜ。広瀬は?」
「えっ? なんのコンサート?」
「葛山里奈だよ。今、すげえ人気のトップアイドルなんだが……知らないのか?」
「知らないなぁ……」
「広瀬、お前は人生を損しているぞ」
「別に、アイドルくらい知らなくても生きていけるだろう」
今日も普通に登校したら、クラスメイトたちは、今度戸高市記念ホールでコンサートを行うアイドルの話で夢中であった。
ちなみに、戸高市記念ホールは市役所の近くにあるイベントホールで、戸高市で歌手のコンサートといえばここ、というくらい有名な場所である。
そこでコンサートを行う葛山里奈(くずやま りな)というアイドルは、今とても人気があるのだそうだ。
スマホで検索したら、確かに彼女に関する記事は多いようで、それだけ注目されているのであろう。
今の時代、戸高市記念ホールレベルの箱で単独コンサートを行えるアイドルというのは滅多にいないらしい。
と、クラスメイトたちに熱く説明されたのだが、俺はアイドルに興味がないから困ってしまう。
男子高校生だからといって、必ずしも女性アイドルに興味があるというわけではないからだ。
俺の場合、実際の年齢はもうすぐ二十歳……高校生と同じようなものか……。
でも、そんなに興味ないよな。
「裕ちゃんって、昔からアイドルとかに興味ないよね」
「そうなの? 相川さん」
「テレビとかもほとんど見ないし」
「それは久美子も同じだろう」
「裕ちゃんほどじゃないよ。だって、佐藤良哉は知っていたし」
「そうね、私でも知っていたくらいだもの。たまにドラマくらいは見るわ」
「漫画やゲームの方が面白いじゃん」
それに、除霊師ってのは子供の頃からそれなりに自己鍛錬が必要なので、空いている時間を漫画やゲームに費やせば、自然とテレビなんて見なくなる。
芸能人もよく知らないような人たちが一定の割合でいて、そういう部分も浮世離れしている風に思われる原因かもしれない。
ましてや俺の場合、別の世界で三年も戦っていたからな……あっ、この世界ではわずか一分間のことだから、ただ単に俺が芸能人に詳しくないだけか。
そんな俺なので、当然葛山里奈なんてアイドルもよく知らないわけだ。
というか、別に葛山里奈を知らなくて俺は人生を損したことなんてない。
好きな人たちだけで、コンサートを楽しめばいいと思う。
「くぅーーー、なんたる言い草」
「里奈ちゃんはこんなに可愛いのに!」
そう言うと、クラスメイトの一人がスマホに写った一人の少女の画像を見せてきた。
だから、それは見たっての。
「可愛いだろう? 広瀬」
「普通に可愛いな」
別に、俺の女性に対する審美眼が、普通の人たちと大差あるわけではない。
アイドルになれるくらなのだから、葛山里奈はかなりの美少女に見えるが、向こうの世界には彼女クラスの美少女が結構いたので、珍しいという感じがしないのだ。
タイプは違うが、久美子も涼子さんも、そう葛山里奈に劣る容姿はしていない……というか、レベルアップの影響で決して劣らない存在になっていた。
向こうの世界でレベルが高い人というのは、不思議と人に好かれたり、指導者ならカリスマがあると思われたりする。
貴族の中には、大金をかけて護衛を雇い、アンデッド狩りに勤しんでレベルアップを重ねる者もいたからな。
アンデッドのせいで統治に努力しても領民たちの不満が大きく、彼らに反乱を起こされないよう、自身をレベルアップさせて支持を得るという手法を使う貴族が多かったのだ。
そこまでしても報われずに死んでアンデッドとなり、俺たちに挑んできた貴族もいたけど。
多分ステータスで、魅力とかの数値が隠しステータスになっているものと思われる。
あのちょっと普段の言動に問題がある女王陛下が、決して配下の者たちに見捨てられなかったのは、彼女は優秀な巫女であるのと同時に、俺たちの召喚を確実に成功させるためにレベルを上げていたからというのもあった。
久美子も涼子さんも、別にレベル1の頃から急に美人になったというわけではない。
雰囲気がよくなったとか、魅力という外見のみでは見分けがつかないものが出てきたというか。
俺でもその数字は見えないけど、ステータスの数字が上がったということだ。
俺も上がっているはずなんだが、今のところは幼馴染である久美子と、有名な除霊師一族の一員らしく計算高い部分もある涼子さん以外の女性はあまり近寄ってこなかった。
まあ別に、久美子がいれば無理に他所の女性にモテなくてもいいけど。
「普通って! そりゃあ、広瀬は相川と清水さんがいるからいいけどよ」
「そういえば、広瀬はリア充だったな。いいさ、俺たち陰キャラグループは里奈ちゃんのコンサートを楽しむからよ」
「お前は、悪霊と戯れてろ」
随分と酷い言われようだが、そういえば今夜もなにか依頼が入っていたんだよな。
それも、菅木の爺さんからの特別な依頼で、現場に行かなければ内容がよくわからないという。
「(あーーーあ、こりゃあ、葛山里奈のコンサートの方がよかったかも)」
そんなことを思いながら放課後までの時間を過ごし、その日の夜、俺たちは菅木の爺さんに呼び出されて仕事に出かけるのであった。
「えーーーっ、こんな若い人で大丈夫なんですか?」
「……」
「「あっ、葛山里奈だ!」」
俺たちが呼び出されたのは、戸高市の中心部にあるかなり高級なホテルの一室であった。
ホテルのロビーで出迎えてくれたたスーツ姿の中年男性の案内で室内に入ると、なんとそこには今朝噂をしていた葛山里奈本人がいて、いきなり俺を未熟者扱いしてきたのだ。
これには、俺も絶句してしまった。
久美子と涼子さんは、本物の芸能人に会えたので驚いているけど。
「安倍一族のボンクラ除霊師とは別物さ」
「菅木の爺さん、芸能界にも利権があるのか?」
「そんなものないわ。そういう知り合いの政治家に恩を売るため、ワシは今日出張っているのだから」
政界と芸能界か。
俺がこの依頼に成功すると、あとで枕接待とかあるのかね?
「どこぞのタブロイド紙に書かれている記事みたいな想像をしているようだが、ワシは依頼を仲介しただけだ。裕、その子、憑かれているんだがわかるか」
「そうだなぁ……」
俺もプロの除霊師。
すぐに葛山里奈を霊視してみると、どうやらよくないものに憑りつかれているというか、毎日定期的に付き纏われているようだ。
霊視しなくても、葛山里奈の目の下には隈があるのでかなり疲労困憊しているようだ。
夜間に、睡眠を妨害されてるみたいだな。
「どうして安倍一族の除霊師は失敗したんだ?」
「安倍聖冥(あべ せいめい)は、一旦は除霊を成功させたと言っていたと、ワシは他の政治家から聞いたが、現実はこの様だ」
「安倍聖冥? 安倍一族には名ばかりの奴が多いな」
初代安倍晴明の偽物みたいな感じがするな。
どいつもこいつも漢字違いの晴明(せいめい)を名乗るのもだから、そのうち漢字のネタが尽きそうな気がする。
安倍の姓だけだと不安なのであろうか?
「ああ、柊聖冥(ひいらぎ せいめい)のことね」
「涼子さん、知っているのか?」
涼子さんは、安倍聖冥のことを知っているようだ。
親戚だから当たり前と言われればそれまでだけど。
「ええ。柊聖冥は、今の安倍家当主よ」
柊聖冥は安倍一族分家の当主で、年齢は六十を超えている。
元々涼子さんの父親である安倍清明との当主争いに敗れて長老会入りしていたが、涼子さんの父親の急死で急遽当主になった人物だそうだ。
「除霊師としての実力は、これまでの安倍一族で最低でしょうね。彼は若く優秀な一族の除霊師が出るまでの繋ぎというわけ」
それと今の安倍一族は、除霊のみならず、多くの経済活用や資産運用も行っている。
除霊以外の業務に関わる者も多く、当主はそういう人たちも統括しなければいけないわけで、そんな時に老練な安倍聖冥は役に立つというわけか。
そうして得た資産を用いて、安倍一族の総合的な力を落とさないようにしている。
今の竜神会も、俺の死後も強固に聖域が守られるよう、金稼ぎもやっているわけなのだから。
個人の実力のみならず、組織の力で悪霊に対抗していくわけだ。
「とはいえ、若い一族にも優秀な除霊師は出にくくなっているけど」
長年続く除霊師一族も色々と大変なようだな。
「それでも、安倍聖冥は除霊に成功したんだろう?」
「一度完全に除霊されたらしいが、翌日の夜にはまた出現したそうだ」
「除霊されたフリをして逃げたのかな?」
「裕君、いくら安倍聖冥の実力が劣るとはいっても、あくまでも歴代安倍一族当主の中ではって話よ。悪霊の、除霊されたフリに気がつかないほど間抜けではないわ」
腐っても、安倍一族の当主。
並の除霊師よりは、遥かに実力は上というわけか。
「となると……厄介だな。『生霊』かよ」
「裕、このお嬢さんに悪さをしているのは『生霊』だというのか?」
「話を聞く限りではそうかな」
怨念小箱みたいなものはそう存在しないし、そんな貴重で作るのに手間がかかる霊器をアイドルに憑りつかせるために使うわけがない。
一度完全な消滅を確認しているのであれば、それは悪霊ではなく生霊だったというわけだ。
「生霊か……」
「ああ、生きている人の……葛山里奈さんは有名なアイドルでファンも多いわけで、行き過ぎたファンが生霊になることもなくはないかなって」
よくも悪くも、昔から芸能系の人間は生霊に憑りつかれる確率が高かった。
それだけ、ファンである芸能人への思い入れが深いというわけだ。
中には自殺してしまい、悪霊になってファンであるはずの芸能人を呪い殺しにくる奴もいるくらいなのだから。
「広瀬さん、生霊は厄介だと聞きましたが……」
スーツ姿の中年男性は、葛山里奈のマネージャーであった。
これまでの彼女の被害をよく知っており、早く解決してほしいのに、俺から厄介な事案だと言われて困ってしまったようだ。
「生霊の場合、出現した生霊を払っても、本人が標的にちょっかいを出すことをやめなければ、何度でも生霊を飛ばしてくるわけで」
生霊は、怨体とよく似ている。
標的への執念と、自分の体にある霊力を材料に生霊を作って相手に飛ばし、悪さをするのだから。
そして一度この生霊を除霊しても、本体に相手を呪うことをやめる気がなければ、何度でも生霊は復活してしまう。
この世の中、実は生きている人間が一番怖かったりするのだ。
「そんなことをしていたら、生霊の主の体も危険なのでは?」
「危険ですね」
生霊が生み出せるレベルで相手を思い続け、さらに自分の霊力も消費してしまうのだ。
確実に寿命を削る行為であろう。
「ですが、どの程度その人の寿命や健康に影響があるのかは、その人次第ですから」
このまま生霊を飛ばし続けるとあと一週間で死ぬとか、そういうこともないので、続けようと思えばあと数年は大丈夫なはずだ。
「あと数年も……里奈の体が保ちませんよ。彼女はご覧の有様で、このところ夜にちゃんと寝れていないのですから」
夜中になると若い男性の生霊が現れ、葛山里奈に話しかけてくる。
それを無視すると、盛大にキレて、まるでポルターガイストのように室内を荒してしまうそうだ。
「このままですと、里奈の健康が……」
「生霊の主を探して、本人を説得するしかないんだよなぁ……」
もう一つ。
生霊を飛ばしている間、本人は消耗状態にあるので、まず普通の人間なら動けない。
自分の分身を遠隔操作しているようなものなので、体力も相当消費してしまうからだ。
ちなみに寝てしまうと生霊のコントロールができないので、ベッドに横たわっても寝てはいけない。
それだけ大変な生霊のコントロールを続けられるということは、標的に異常なまでの執着心がある証拠でもあった。
「普通に働いている人が夜中にそんなことをしたら、生霊を出す前に眠くなってしまうから、昼間に寝て夜に起きているような人……被害の状況を聞くと、まっとうに働いているようには思えないな」
いわゆる、無職やニートの類だと思う。
生活が、完全に昼夜逆転しているのだから。
「生霊が、里奈に纏わりつかないようにすることは可能ですか?」
「可能ではあるけど……」
他の除霊師は知らないが、俺ならできる。
要は、生霊が持つ霊力以上の防壁を張ればいいのだから。
ところが、これには一つだけリスクが存在した。
「リスクですか?」
「生霊の主の寿命がさらに縮む。最悪死ぬかも」
俺が作った防御用のアクセサリーを装備すれば大丈夫だが、生霊の主は突然、葛山里奈に近づけなくなってしまう。
多分生霊の主は、俺がそういうアクセサリーを葛山里奈に渡した事実に気がつかないであろう。
どうして葛山里奈に近づけなくなったのか理解できないまま、意地でも彼女に傍に行こうとするはずだ。
当然自分の霊力以上の防壁に邪魔されるので、それを突破しようと余計に霊力を使ってしまう。
消耗も激しく、最悪死ぬかもしれないというわけだ。
「死ぬのですか?」
「生霊なんて飛ばす奴だから、死んでもいいと思わなくもないけど、もし本当に死んだらリスクだと思うな」
生霊の主の遺族が霊を信じている、もしくは霊が見える者たちだとしたら。
さらに、それなり家の人間だとしたら。
当然、葛山里奈に報復してくるであろう。
完全な逆恨みだが、真夜中に生霊を飛ばすニートの家族なのだ。
一応警戒しておくに越したことはなかった。
「あなた。そんなこと言って、本当は除霊できないじゃないの?」
慎重論を唱えたら、依頼主である葛山里奈に俺の除霊師としての実力を疑われてしまった。
本当は、俺に実力がないからすぐに除霊を始めないのだと。
「あなたね! いくらアイドルだからって、そういう言い方は失礼じゃない! 裕ちゃんは優れた除霊師なんだから!」
「まあまあ」
俺は、憤る久美子を宥めた。
ここで俺たちが喧嘩をしても仕方がないからだ。
「生霊のせいで色々と大変で、イライラしているだけなんだから。寝不足になるのは困るよな」
「ええ、真夜中の間、ずっと里奈の枕元で騒いでいるので……」
おかげで、最近葛山里奈はろくに眠れていないのだと、マネージャーさんが彼女の状況を語った。
「じゃあ、これを」
俺は、以前向こうの世界で自作したペンダントを葛山里奈に渡した。
石は透明度の高い水晶を使っており、その中に俺が色々と細工をしたものだ。
「これをずっと首にかけておいてくれ」
「かけるとどうなるの?」
「生霊が近寄れなくなる」
「近寄れなくなるってどのくらいの距離なのかしら? 生霊が視界に入っていたら眠れないわ」
たとえ傍にいなくても、視界に入るのも不快というわけか。
生霊でもあるし、ストーカーでもあるからな。
顔も見たくないわけか。
「半径百メートル以内には近寄れないから。万が一最初の障壁を破れたとしても、十メートルごとにさらに強い障壁も張られているので、生霊が葛山さんに近づくのは無理だね」
無理をすれば、生霊の主の寿命も大幅に縮まってしまう。
その前に、障壁の突破自体が非常に困難だと思うけど。
どうも話を聞く限り、葛山里奈に付き纏っている生霊はそこまでの力は持っていないようだ。
しつこくはあるのだけど。
「そういうわけなので、生霊に近寄られたくなければそのペンダントを外さないように」
「いいけど……誰が作ったのか知らないけど、デザインがダサいわね」
「……」
寝不足で機嫌が悪いのだと思ったが、葛山里奈は元々性格が悪いのかもしれないな。
まあ、アイドルなんて容姿だけでそんなものかもしれないけど。
葛山里奈にペンダントを渡した俺たちは、そのまま彼女が宿泊するホテルを出た。
「裕ちゃん、よく怒らなかったね」
「依頼者じゃない奴の無礼なんてどうでもいい」
「えっ? 葛山里奈が依頼者なんじゃないの?」
「それが違うぞ。久美子」
今回の除霊依頼の依頼者は、俺は菅木の爺さんか、葛山里奈の所属する芸能事務所だと思っている。
葛山里奈は、彼女が所属する芸能事務所の大切な商品にして稼ぎ頭であり、実際依頼料も葛山里奈本人が出しているとは思えない。
依頼者ではない彼女がどうこう騒いでも、俺は軽く聞き流せるというわけだ。
「裕ちゃん、大人」
「相川さん、除霊師ってのは客商売でもあるのよ。愚痴を零す依頼関係者なんて珍しくないわ。上手く対処するのも仕事の内よ」
涼子さんは、決して態度がいいとは思えなかった葛山里奈に対してまったく怒っていなかった。
これまでB級除霊師として全国を回っていたので、このくらいのことには慣れているのであろう。
「さて」
「裕君、準備できているわよ」
と言うと、涼子さんは懐からデジタルカメラを取り出して俺に見せた。
「裕ちゃん、なにに使うの?」
「夜中になればわかるさ」
俺たちがホテルを出たのは、帰るためでなく、生霊の顔を拝むためであった。
葛山里奈が俺の言いつけを守ってちゃんとペンダントをしてれば、生霊は彼女に近づけない。
だがそう簡単に生霊が葛山里奈を諦めるとは思わず、ペンダントで張られた障壁の外側に出現するはずなので、その顔を撮影して身元を確認しようというわけだ。
身元さえわかれば、あとは菅木の爺さんがなんとかしてくれるはずだ。
「生霊の顔って撮れるの?」
「撮れるわよ。除霊師なら」
除霊師でなくてもたまに写真に写ることもあるが、それを世間では心霊写真と言う。
一般人は心霊写真が撮れるか撮れないか運次第のところもあるが、除霊師なら確実に撮影できる。
できないような奴は、除霊師失格なわけだ。
「えっーーー、そうなの! 私、大丈夫かな?」
「大丈夫だろう」
特別なスキルなど必要なく、要は霊力が一定量以上あればいいのだから。
カメラの腕前にしても、今はデジカメだからなぁ……。
「暫くは待機ね」
それから数時間後、ホテルから少し離れた公園に霊力が蠢く反応が発生した。
急ぎ現場に向かうと、そこでは……。
「むぅーーーん! 里奈タンの寝顔ぉーーー!」
「「キモッ!」」
葛山里奈が寝ているホテルの部屋からちょうど百メートル。
夜中の公園の中心で、一人の若い男性の生霊が『バンバン』とペンダントが発生させた障壁を叩いていた。
髪はボサボサで、まるで骸骨のように痩せていて、その肌色は異常なまでに青白い。
でも死んでいるようには見えず、長期間外出していないせいでそうなった風に見えた。
そんな若い男の生霊が、パンツ一丁で障壁を破ろうと髪を振り乱しながら両腕で叩いているので、久美子と涼子さんは即座に『キモッ!』と叫んでいた。
気持ちはわからんでもない。
『里奈タン』って……実際にそういう風に言う人を俺は初めて見た。
「むぅーーーん! ボクタン、里奈タンの寝顔を見ないと眠れないむぅーーーん!」
「涼子さん」
「これデジカメだけど、メモリーの容量を惜しいと思ってしまうわね」
こいつを撮影して、あとでその顔を確認したり、身元を調べてもらうために撮影した写真を、プリントアウトするのも惜しいと思える狂態だな。
というか、どうしてパンツ一丁なんだ?
普通の生霊は、着ている服もちゃんと見えるはずなのに。
ということは、この生霊は今パンツ一丁ってことか?
「まあいいや。今日はもう早く終わらせて帰ろう」
「そうね」
「嫌なものを見たわね」
そうだな。
真夜中に野郎のパンツ一丁姿を見ても……いつ見ても不快でしかないけど。
「おいっ!」
「なんだ? むーーーん!」
懸命に障壁を叩いている生霊に除霊師である俺が声をかけると、生霊はそれに気がついてこちらに顔を向けた。
同時に、涼子さんがデジカメで生霊の顔を撮影した。
「むーーーん! ボクタンがイケメンだから、写真を撮りたかったむーーーん! でも、ボクタンは里奈タン一筋だから」
「……あんたみたいなキモ男、誰が」
すかさず、涼子さんは生霊に反論していた。
そういう風に誤解されるのも不快なようだ。
「む―――ん! いきなり失礼な女だむーーーん! ボクタンは、里奈タンのところに行くのに忙しいむーーーん!」
そう言うと、生霊はすぐに障壁を叩き壊す作業に戻ってしまった。
だが、障壁は一向に砕ける気配がない。
この生霊レベルの霊力だと、ペンダントの障壁を破るのは不可能だろう。
「固いだろう?」
「固いむーーーん!」
「そりゃあ、俺が作った霊器から出ている障壁だからな」
「むーーーん?」
俺がこの障壁を発生させている原因だと教えてやったら、途端に生霊の表情が変わった。
今すぐにでも、俺を殺したそうな視線を向けてきたのだ。
「お前のせいかむーーーん?」
「そうだ。葛山里奈は、毎日夜中にお前に付き纏われて迷惑だとよ。寝不足で仕事にも支障が出ているし、明日にはこの戸高市でコンサートが行われるからな」
「そんなことはないむーーーん! ボクタンと里奈タンは、永遠の愛で結ばれているむーーーん!」
「「そんなわけないじゃん……」」
後ろから、久美子と涼子さんの声が聞こえてきたが、確かに俺もその意見に賛成だ。
トップアイドルである葛山里奈が、ほぼ間違いなくニートっぽいこの生霊の主になんて惚れるわけがないんだから。
第一、葛山里奈がこの生霊の主など知るはずがないのだから。
ストーカーによる、一方的な片思いと同じだな。
「あなたねぇ! そういうことは、まず鏡でその顔を見てから言いなさいよ!」
「せめて働け! 服くらい着ろ!」
「このアマたちがぁーーー!」
涼子さんと久美子からの、至極まっとうな指摘に対し、図星を突かれたのであろう。
生霊の表情は、さらに険しさを増した。
それと、やはりこの生霊の主は無職なのか……。
「お前らは、この冴えない男とボクタンをバカにしに来たのか? こんな平凡な奴と!」
大きなお世話だ!
少なくとも、お前には言われたくない!
「ふっ、なにを言うのかと思えば……男は顔じゃないし、そもそもあんたに比べたら、裕君はいい男だもの」
「そうよ! あんたなんてガリガリで、ちゃんと除霊師として働いている裕ちゃんに比べると無職だし、服も着ていないし! 変態なんじゃないの?」
生霊に対し、女性陣二人は容赦なかった。
内容はほほ事実なので、生霊もただのたうちまわるだけで、なにも言い返せないようであったが。
「むーーーん! ボクタンは、里奈タンと結婚するむーーーん!」
『どうやって?』と聞きたくなるが、とにかく間違ってはいてもその意志の強さが、生霊を出せるようになった原因なのは理解できた。
よくも悪くも、人の強い意志というのは、時に凄いことをしてしまうのだ。
それが正しいかどうかまでは、俺も責任が持てないけど。
「無理に決まっているだろうが! この変態パンツ野郎!」
「お前! 許せないむーーーん!」
生霊が俺に襲いかかってきたが、そんなことは十分に予想できた。
俺は一枚のお札を取り出すと、それを生霊に向かって投げつける。
お札は生霊の額に張りつき、その場で動けなくなってしまった。
「とりあえずは、これで終わり」
「このままでいいの? 裕ちゃん」
「いいわけないけど、普通に除霊すると、もっと面倒になるかもしれないから」
除霊して消してしまうと、今度はどう行動するか予測がつかないのが危ない。
ここは、菅木の爺さんに生霊の主の身元を探してもらうと共に、明日の葛山里奈のコンサートが無事終わるまで動けなくしておいた方がいいだろう。
「二~三日は動けないはずだ。葛山里奈も、あのペンダントをしている限りは大丈夫。じゃあ、今日はこれで終わり」
無事、葛山里奈に付き纏っていた生霊の動きを封じることに成功したので、俺たちは帰りに菅木の爺さんにデジカメのデータを渡してから帰宅したのであった。
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