第33話 妖狼
「裕ちゃん、まだ封印が解けていないよね?」
「そうだな」
「怨念小箱を破壊したのに?」
「封印は、あくまでも外部から人間の侵入を防ぎ、内部から悪霊たちが外に出ないようにするためのもの。解かれなければ、箱が破壊されてもそのままよ」
「そうなんだ。でも、異界化は解けているよね」
「異界化は、怨念小箱が発動していたからそうなっていたんだ。壊されれば元に戻るさ」
無事怨念小箱の破壊に成功した直後、すべての光景が紫色がかって見えることはなくなった。
怨念小箱が破壊されたので、異界化が解けてしまったからだ。
目の前に広がる光景は、ちょっと古めかしい山中神社の境内や社。
そして南側には、古きよき田園風景が広がっていた。
一見、怨念小箱が発動した幕末時期の農村そのものといった感じに見えるが、先ほど涼子さんが言ったとおり田畑の区画整理や正条植えがなされていた。
『悪霊が農作業を?』と思う人も多いと思うが、力の強い悪霊には可能である。
滅多にいないが、この村を異界化してしまった怨念小箱に影響された悪霊たちなら可能というわけだ。
「多分、土地開発のため視察に入って呪い殺された人たちの中に農業に関する知識がある人がいたんだと思う」
怨念小箱は、自らが呪い殺して悪霊とした農業知識がある者を利用し、ますます旧山中村を発展させたわけだ。
悪霊なので彼らは収穫した農作物を食べられるわけではないが、戸高家が税を取り立てに来ないこの生活に満足していた。
たとえ、その生活が百数十年間もループしていたとしてもだ。
悪霊に時間の概念はないので、ずっとノンビリと農作業をしながら生活しているという感覚だった。
だからこそ、その生活を邪魔する侵入者たちには容赦がなかったのであろう。
「裕ちゃん?」
「菅木の爺さんを呼ぶか……」
今は封印が生きているので、一定以上の霊力があるか、その人に連れて来てもらわなければ入れない場所であるが、これで戸高真北山及び、旧山中村がある戸高北盆地という広大な領域が悪霊から解放されてしまった。
これからここをどう管理していくのかは、菅木の爺さんの領分というわけだ。
俺たちは、急ぎ菅木の爺さんを呼びに行った。
「箱が発動する直前のまま……ではないか。そういえば、犠牲になった戸高市職員の中に、実家が農家の者が何人かいたな。殺されて悪霊にされても扱き使われたのか。戸高家の悪政といい勝負だな。旧山中村の連中の悪霊たちも」
さすがというか、菅木の爺さんのこの村の田畑の不自然さに気がついたようだ。
「それでどうするかなんだけど」
「まずは、剛の封印を強化してくれ。裕ならできるだろう?」
「できるけどね」
できるし、その気になればもっと別の強固な封印も張れるが、そうなると俺か、俺と同行している人しか封印された土地に入れなくなってしまう。
意味がないので、祖父さんが張った封印の強化に留めた。
向こうの世界では、拠点防衛用の封印をよく張っていたので、作業は数秒で終わってしまった。
「農地は荒れ果てるに任せるのか?」
「まさかな。人の手が入った里山ってのは、人が手入れしないと駄目になるのだから」
「これまでは悪霊たちが管理していたけど」
「どちらでも、自然からすれば結果は同じだろうがな。とりあえず封印を頼む。変な奴に入って来られると困るのでな」
悪霊たちが除霊されたので、封印が完全に解けてしまうと勝手に人が入り込んでしまう危険があるのか。
「あれ? でも、別に人が入ってもよくないか?」
不法侵入ではあるが、人が入り込んでも、悪霊たちに呪い殺されることもなくなったのだから。
「ワシの予想が当たれば、そう簡単に部外者に入って来て欲しくないな。裕、この山中神社の狛犬を見てどう思う?」
「どうって……犬だねぇ」
狛犬だから、犬にしか見えないな。
ちょっと普通の狛犬に比べると、鼻先が長くて牙があるし、お腹にアバラ骨が浮いているな。
「栄養失調の狛犬だな」
「お前は神社の跡取りなのに、そんなことも知らないのか」
「俺は除霊師だから」
実は、そんなに神道に詳しくないんだよな。
必要になったら勉強すればいいやと思っていたので。
「神道には、ニホンオオカミを祭っているところがある。山岳信仰の神社では、ニホンオオカミは神の遣いにして山の神でもあるのだ。実は、封印される前の戸高真北山がそうで、この山中神社のご神体はニホンオオカミだ」
「えっ? でも、ニホンオオカミなんて滅んだだろう?」
普段全然勉強しない俺でも、日本のオオカミが滅んだのは知っているぞ。
「ちなみに、ニホンオオカミが滅んだのは明治時代になってからだ。それと、異界化された土地において、稲は育っているし、見れば虫も鳥も動物も普通に生息しているようだな。つまり……」
「ここが異界化されていたがゆえに、ニホンオオカミが生き残っていると?」
「そういうことになるな。封印が解けた結果、ニホンオオカミが外の世界に迷い込むのはよくない。早急に保護が必要だ。それに、戸高真北山と戸高盆地は聖地なのだ。下手に国に勘づかれると国有化されてしまうかもしれない」
なるほど。
ニホンオオカミの生息地なので国で管理しますと言われ、ここを国に奪われてしまうというわけか。
「この北の聖地を国に奪われると、竜神様たちの力が落ちるのでな。面倒だが、竜神会所有のまま保護できるようにしなければ」
その辺の難しい交渉が終わるまで、この地が解放された事実を世間に知らせるわけにいかないというわけだな」
「あのぁ……さすがに、安倍一族は気がつくと思いますけど……」
涼子さんの言うとおりで、もしここが解放されたことに気がつかないようなら、安倍一族も終わりだろうしな。
「だからだ。裕が再封印してしまえば、暫くは他人が入ってこれない。その間に、ワシがあれやこれややっておくさ」
あれやこれやか……。
さすがは、悪徳国会議員というわけだ。
「誰が悪徳だ!」
「口に出していないのに」
「お前の考えていることなど、簡単にわかるわ!」
鋭い爺さんだな。
そのくらいでないと、こちらとしても頼りにできないからいいのだけど。
四人でそんな話をしていると、予想していたとおり、とある存在の気配を感じた。
「けっ、ようやく辛気臭い箱が消えたな。うちの神社の境内に変な箱を置かないでくれよ。おかげで動けなかったじゃないか」
「山中神社のご神体か?」
「まあな。あんたらか? 箱を壊してくれたのは」
「そうだ」
いつの間にか、俺たちの前に一匹の全長三メートルほどの巨大なニホンオオカミが立っていた。
普通のニホンオオカミの三倍くらいあるので、すでに妖狼化しているのであろう。
山中神社は、この妖狼を祭っているというわけだ。
「若いのに強いんだな、あんた。俺は箱を発動された途端、動けなくなってしまってな」
村が異界化している間、妖狼はずっと動けなくなっていて封印されたような状態だったそうだ。
自分を祀っている神社の境内で、怨念小箱など発動されたらそうなって当然であろう。
「ようやく動けるようになったら、今度は村人が一人もいないときたもんだ」
「それはなんとかする」
「爺さんがか? まあ、期待しないで待ってるよ」
百五十年以上も封印されていた村に人を呼ぶ方法なんてあるのだろうか?
菅木の爺さんには、なにか策があるようだけど。
「して、ニホンオオカミだが、何頭いる?」
「そうだなぁ……二百頭くらいだと思う」
戸高盆地と戸高真北山がある領域は広かったが、ニホンオオカミは肉食で食物連鎖の頂点にいる。
そのくらいの数が生息限界数というわけか。
異界化した領域でも、そこに住む動植物たちはこれまでどおりの生活を続けており、普通に繁殖と成長はしていた。
ただ領域という箱庭で生息していた影響で、異界化前よりも増えていないはずだ。
「いや、爺さんの認識は間違ってるな。これでもニホンオオカミは倍以上に増えているんだぜ」
「そうなのか?」
「ああ、悪霊たちのせいさ。ついて来な」
妖狼は俺たちを神社の隣にある蔵へと案内したが、農民たちの家と違って漆喰を使った豪華な作りのものが数棟建っていた。
「ここに、翌年の稲作に使う種モミ以外の米や麦が入っているのさ」
「それとオオカミの生息数になんの因果があるの?」
「まあ、慌てるなって。大きい方のお嬢ちゃん」
妖狼は、涼子さんに一旦釘を刺してから話を続ける。
「彼らは、自分たちが呪い殺した者の知識を用いてまで米の収量を増やした。悲しい話さ」
生きている間、彼らは自分で作った米を食べられなかった。
だからこそ、悪霊になっても執念で米を作り続けたというわけだ。
こういう話を聞くと、戸高家の連中の評判が悪くても当たり前のような気がする。
「とはいえ、悪霊たちは収穫した米を食べられない。だから、ここに収蔵する」
「えっ! 怨念小箱が発動してから収穫された米がすべて?」
「それは無理だな。小さい方のお嬢ちゃん」
妖狼は、久美子の考えを即座に否定した。
それにしても、涼子さんが大きなお嬢ちゃんで、久美子が小さなお嬢ちゃんか。
そのままだな。
「当然倉庫に入らなくなるから、古い米は取り出して捨てるのさ。たい肥置き場にな」
さすがの悪霊たちでも、近代農業に必要な化学肥料や農薬までは手に入らなかったようで、肥料は山や森から得た落ち葉や草などを発酵させてたい肥を作っていた。
そこに古い米や、彼らは畑もやっているので、収穫後に腐った野菜なども捨てていた。
「たい肥置き場に案内しよう」
続けて、妖狼によって、村外れにあるたい肥置き場に案内される。
すると、捨てた米や野菜を目当てに猪の親子が来ていた。
「捨てた野菜や米、他にも悪霊たちは食べられもしないのに、戸高真北山や麓の森や林を手入れして山菜や栗、キノコなどを手に入れていた」
豊かな生活のため、食べられもしない農作物を作り、山野を手入れして収穫物を得ていたわけか。
「これを餌に猪やニホン鹿が増えると、当然それらを狩るニホンオオカミも増えるわけだ。だが、二百頭で限界だろうな」
この地のニホンオオカミが増えたのは、皮肉にも悪霊たちが真面目に働いていたからというわけか。
「だから俺は、悪霊たちに複雑な感情があるんだよ」
悪霊たちのせいで百五十年以上も動けなかったが、本来妖狼が守るべきニホンオオカミたちは繁栄していたというわけか。
妖狼からすれば、悪霊たちを恨みきれないわけだ。
「悪霊たちのことは、もう終わったことだ。俺は妖狼で、動けなかったのは百五十年くらいなのでどうってこともない。今は、増えてしまったオオカミたちをどこに移住させるかが重要だ。他の場所のオオカミたちの都合もあるからなぁ……」
「外のニホンオオカミなら、もうとっくに絶滅したけど」
「はぁーーー? 山の神の遣いであるオオカミがか? 滅んだだって?」
妖狼に、ここ以外のニホンオオカミはすでに絶滅している事実を伝えたら、彼は……喋り方からして彼だと思うが……驚きの声をあげた。
「というわけで、そうおいそれと移住などできない状況なのでな。暫く待ってくれ」
「そうか……なるべく急いでくれ。戸高真北山と戸高盆地だけだと、今の数は限界に近いからな」
悪霊専用の永久機関『怨念小箱』の破壊に成功し、五芒星の北側の解放に成功したのはいいが、この地が異界化していた影響で、絶滅したはずのニホンオオカミが生きていたなんて。
さすがに、これはちょっと予想外であった。
とはいえ俺には手に余る問題なので、菅木の爺さんになんとかしてもらうしかないな。
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