第16話 二連聖五方陣

「水晶かな? これは?」


「ああ、マンション内にいる細かいのを一体ずつ潰していたらキリがない。まずはバルサンでも焚くさ」


「バルサン?」


「正確に言うと、『二連聖五方陣』という」


「『二連聖五方陣』っていかにもで格好いい技名だね」


「褒め方が幼稚すぎる……」


「いいじゃん! 貶されるより」


 『二連聖五方陣』とは、戸高ハイム全体を覆う五方陣を二つ作り、そこに強固な治癒魔法を流し込んで、強い悪霊が従えている低級悪霊や怨体を除霊・浄化してしまう魔法だ。

 二重の五方陣で治癒魔法の拡散を防ぎ、範囲内の悪霊や怨体を一気に消し去るわけだ。

 逃げ道を作らず低級悪霊や怨体を一斉に除霊するため、俺は通称『バルサン』と呼んでいた。


「戸高備後守と安倍清明の悪霊は残るだろうな。強いから」


 それでも、他の雑魚たちがいなくなれば大分楽になる。

 最初にやる価値はあるというわけだ。


「ええと……これでいいのかな?」


「大体でいいからこんなものさ」


 俺と久美子は別々に戸高ハイムの周囲を一周し、分担して合計十個の全高十センチほどのタワー型に加工した水晶柱を置いた。

 これが、五方陣の元というわけだ。

 水晶にはあらかじめ、俺が細工をしたり、魔法がかけてあって、当然ただの水晶ではない。


「さて、始めるぞ。半分ほど俺の霊力を使う。『二連聖五方陣』発動!」


 俺が魔法名を唱えると、戸高ハイムの周囲十カ所に配置された水晶柱を起点に、二重の五方陣が発動した。

 青白い五方陣の形をした光のカーテンが戸高ハイムを囲い、光のカーテンは天にまで届いている。

 二重に形成された五方陣の中にいる悪霊や怨体たちは、流し込まれた濃密な治癒魔法に耐え切れず、次々と消滅していく。


「アツイーーー!」


「カラダガキエテイクゥーーー!」


「イヤダ! ジゴクハイヤダァーーー!」


 戸高ハイムの外にまで悪霊や怨体の断末魔の声が次々と漏れ聞こえ、今まで封印を担当していた安倍一族の除霊師たちは、驚きの表情で俺を見ていた。

 これほど大規模に、一度に大量の浄化・除霊をしているところを見たことがないのであろう。


 向こうの世界では、このくらいできなければ死霊王デスリンガーとは戦えない。

 なぜなら、奴やその幹部たちが率いている死霊やアンデッド数はこの程度では済まなかったからだ。

 一体ずつ相手をしていたら消耗してしまうので、こうやってまずは弱いのを一掃するといった感じであった。


「大分持っていかれたな」


 予想どおり、半分ほど霊力を持っていかれたようだが、すぐに持っていた霊水を飲んで霊力を回復させる。

 これは、俺が向こうの世界で作ったものだ。

 向こうの世界では長期戦になることも多く、このようなアイテムで霊力を回復させながら戦うことはよくあった。


 霊水を飲むと、霊力はほぼ満タンの状態に戻る。

 そして、武器としての笏を手に持つと、俺たちはそのまま戸高ハイムに突入する。


「頑張れよ」


 菅木の爺さんの応援を背中に聞きながら、俺と久美子は戸高ハイムの正面玄関のドアに張られた封印用の札を剥がして破り捨ててから、その内部へと入って行くのであった。





「キサマラハ……」


「安倍清明と戸高備後守以外に、消えていない悪霊がいたのか。さすがは四百年以上のベテラン」


 正面玄関から一階のエントランスに入ると、まるでそこを守るかのように鎧姿の悪霊が待ち構えていた。

 多分、戸高備後守の家臣かなにかの悪霊であろう。

 刀を構えて俺たちを睨みつけているが、かなり全身が薄くなっている。


 さすがに、『二連聖五方陣』の中にいて無傷というわけにはいかないようだ。

 上位の悪霊は自分の体が除霊されそうになると、集まっている怨体と低位悪霊を吸収して回復しようとする。


 高位の悪霊が周辺の低位の悪霊や怨体を呼び寄せて霊団を形成するのは、自分がダメージを受けた時に、それらを吸収して回復させるからという理由もあった。

 パラディンが使う、治癒魔法や霊水の代わりというわけだ。

 弱肉強食とも言えるか。


 ただこの悪霊の場合、先に俺の『二連聖五方陣』で養分にできる悪霊や怨体を失っているので、そのダメージを回復できず、高位の悪霊にしては半透明で薄くなっていた。


 要するに、かなり弱っている状態なのだ。


「久美子、任せる。落ち着いてやれば大丈夫だ」


「わかった」


 久美子は、俺から渡されたお札を構えて悪霊と対峙した。

 あの悪霊がフルパワーの状態だったらまだ敵わないはずだが、この状態なら経験稼ぎには最適であろう。


「ナノレ! ワガナハ、キノシタヨゴロウトキハル!」


「名乗るの? 相川久美子十六歳!」


「いや、年齢はどうでもよくねぇ?」


 名前だけでいいような気がしなくもない。

 というか、別に名乗らなくても問題ないし。

 久美子は誕生日が四月七日で早生まれであり、俺よりも半年ほどお姉さんであった。

 あまりそうは見えないと言われることも多いけど。


 背が低めなのが、最大の原因なんだろうなとは思う。

 木下与五郎時春……漢字は当て字なので正確である保証はないけど……は刀を構え、久美子はお札をいつでも投げられるような態勢で対峙を続けていた。

 それが数十秒ほど続いたであろうか。

 先に動いたのは、木下与五郎時春の方であった。

 刀を構えながら、久美子に対し突進を始めたのだ。

 刀は現物ではなく、木下与五郎時春の悪霊が死ぬ直前の記憶を頼りに自分の霊力で作り出しているものであった。

 この刀で斬られても、人間の肉体が傷つくということはない。

 だが、その霊体や魂には大きなダメージがいくので、最悪死ぬか廃人になり、一生原因不明の体調不良や病に悩まされるようになる。


 いわゆる、『霊障(れいしょう)』というやつである。

 高位の悪霊が厄介なのは、そういうことができるからというわけだ。


 そのため、新人除霊師と悪霊を戦わせるタイミングというのは非常に難しかった。

 いくら怨体で経験を積んでいても、やはり悪霊は別格であり、ここで躓いて死んだり、霊障で除霊師を引退せざるを得ないという人も珍しくなかったからだ。


「久美子、落ちついて」


「わかった」


 かなり緊張しているのがわかったので、少し落ち着かせたのがよかったようだ。

 久美子が冷静に投げたお札は、見事木下与五郎時春の額に張りつき、彼はお札から発生した青白い炎の柱に包まれて消滅した。

 

「あれ? フラフラする」


「霊力をほぼ使い果たしたんだな」


 悪霊が、怨体とは比べものにならないほど強い証拠である。

 お札はその品質により、使用した除霊師の霊力の数倍から数十倍、ものによっては数百倍の威力を発揮する。

 俺が久美子に渡していたお札は、念のためいつものようにチラシの裏に筆ペンではなく、文房具屋で購入した半紙にちゃんと墨汁と筆で書き、戸高神社の朱印を押したものであった。

 推測値だが、使用した除霊師の霊力の二十倍以上の威力は出せるはずだが、それでも久美子の霊力でギリギリだったというわけだ。


 実際に、今の久美子のステータスを見てみると。


 


相川久美子(巫女)

レベル:78


HP:800

霊力:20

力:70

素早さ:85

体力:78

知力:102

運:226


その他:治癒魔法(中級)



 随分とレベルが上がっている。

 これには、最初に俺が使った『二連聖五方陣』によりほぼ全滅した悪霊と怨体の分の経験値も入っていた。

 戸高ハイムにいる霊団は、この世界基準で言えば封印するしかない厄介な連中なので、久美子からすればとんでもない経験値だったというわけだ。


 レベルアップ前の霊力が確か420だったので、木下与五郎時春の悪霊を倒すのに400が使われた。

 俺が渡したお札により20倍の威力があるので、木下与五郎時春を倒すのに8000の霊力が必要だったということになる。


 大分効率が悪いな。

 弱い怨体相手なら、自身の霊力だけでも10もあれば余裕で倒せる。

 チラシ裏のお札でも十倍の効力を発揮できるので、久美子は怨体ならよほど厄介な奴でなければ余裕で対処可能な実力を身に着けた。


 だが、やはり中級以上の悪霊は弱っていても一味違うな。

 多分1000もあれば倒せるはずだが、まだ未熟な除霊師が一度に大量の霊力を消費し、効果の高いお札を使うと霊力に大量の無駄が出てしまう。

 要するに、久美子はまだまだというわけだ。


「『霊力補充』をかける。まだまだ精進が必要だな」


 俺が『霊力補充』をかけると、久美子はすぐ元通りになった。


「悪霊と怨体って、全然強さが違うんだね」


「そりゃあな」


 悪霊の本体と、その分身体である怨体だからな。

 差があって当然だ。

 稀に特殊な理由で悪霊をも上回る怨体というのもあるそうだが、俺も見たことはなかった。

 実は、向こうの世界では怨体が存在しなかったからだ。

 分裂しない分、死霊と呼ばれた悪霊はすぐに強くなるし、様々な生物の死体が、死霊王デスリンガーのせいであっという間にアンデッドになってしまうのだ。

 その数もこの世界とは比べものにならず、俺も自分で何体の死霊とアンデッドを倒したか覚えていないほどだ。

 『お前はこれまで生きてきて、呼吸した回数を覚えているのか?』状態だったのだから。


「私もまだまだだね。頑張るよ」


「うんうん、頑張ってくれ。ところで、いつまで覗き見ているつもりだ?」


「えっ? 私たちの他に誰かいるの?」


 消耗していた久美子は気がついていなかったようだが、俺は大分前から気がついていた。

 久美子が木下与五郎時春の悪霊と戦っているところを、ずっと静かに見ている者の霊力をだ。

 その具体的な数値まではわからないが、この世界なら強い方の除霊師に入ると思う。

 とはいえ、木下与五郎時春の悪霊と戦う前の久美子より大分劣るものであったが。


 そして、久美子が木下与五郎時春の悪霊を倒すと、わかりやすいほど動揺していた。

 この世界の基準でいうと、木下与五郎時春の悪霊でも安倍一族で倒せるかどうかくらいの強さだろうから、驚くのも無理はない。


「盗み見とは下品だな。清水さん」


 普段ならわからなかったと思うが、こちらを覗き見しているのは清水さんだった。

 久美子の強さを見て、よほど動揺したらしい。

 彼女の霊力が大きく揺らいでいるので、簡単にその特徴を捉えられたのだ。

 

「広瀬君、相川さん。あなたたちは何者なの?」


「何者って、戸高神社と戸高山神社の跡取りで、新人C級除霊師さ。なあ、久美子」


「そうだね」


「あの霊団を一斉に消し去った技といい、前当主が生きていても倒せたかどうかわからない悪霊を倒す実力といい。こんなことはあり得ないわ!」


 どうやら、これまでの自分の常識が当てはまらない俺たちの存在に、清水さんはかなり動揺しているようだ。

 あり得ないと叫ぶように言ったが、じゃあ目の前の現実はなんなのだということになる。


 あえてそれを指摘するつもりもなかったが。


 この世界の清水さんはそれなりの除霊師で、才能も別の世界の彼女と同じで俺に匹敵するほどあるはずだが、この世界で活動している以上、経験値は入ってもレベルは上がらない。

 多分一生、木下与五郎時春の悪霊には勝てないであろう。

 残念なことである。


「清水さんがどう思うと勝手だが、俺たちは急ぐんだ。邪魔しないでほしい」


「戸高ハイムは、安倍一族が責任をもって封印していたのよ。邪魔とは心外だわ」


「でも、清水さん以外は戸高ハイムの敷地には入っていないよね」


 封印は外からでもできるというのもあったが、一番の原因は戸高ハイムの所有権が、戸高不動産から戸高銀行、そして『竜神会』に移行したせいであろう。

 私有地への勝手な侵入は犯罪であり、政財界と関係が深く、もはや大企業と呼んでも差し障りがない安倍一族はそのリスクを避けたのであろう。


 勝手にうちの敷地に入っている清水さんは、正確に言うと不法侵入状態なのだから。


「俺たちは清水さんの不法侵入を咎めずにいるのに、清水さんは俺たちをインチキだって言うんだ」


 そういえば、向こうの世界で出会った涼子さんは、元の世界でも安倍晴明の子孫なのであろうか?

 きっとそうなんだろうが、別の世界の涼子さんのいた世界では、安倍晴明の子孫であることになんの意味もないのかもしれない。

 それでもこの世界の清水さんを見るに、除霊師としての才能はピカ一だから召喚されたんだろうなと、今腑に落ちてしまった。


「早くここを出た方がいい」


「私もついて行くわ」


「いや、駄目だ。連れてはいけない」


「どうしてかしら?」


 どうしてかと問われれば、残念ながら清水さんが完全に足手纏いだからだ。

 久美子を連れて行くかどうかで悩んだというのに、今の彼女よりも圧倒的に弱い清水さんを連れて行くなど、正直無謀でしかないからだ。


「私が、相川さんよりも弱いですって!」


「純然たる事実だ」


 レベルアップしないのだから、ステータスの数値では言うまでもない。

 では他の特技や経験はということになるが、残念ながらそれがあっても今の清水さんは久美子よりも弱いであろう。

 戸高備後守と安倍清明の悪霊になど、危なくて会わせられない。


「向こうもバカではないので、一番弱い清水さんを狙うかもしれない。今の久美子ならなんとかなるけど、清水さんでは一瞬で殺されてしまうと思う」


 というわけで、清水さんを連れて行くわけにいかないのだ。


「とにかく戻ってくれ、ここは竜神会の私有地なんだ」


 こんな言い方はしたくないが、俺は清水さんに不法侵入だから出て行けと言った。


「相川さんはどうなの?」


「久美子は、竜神会の役員でもある。俺が依頼している形になっているから、別に俺に同行してもおかしなことはないさ」


 祖父さんの死後は細々と運営していた『竜神会』であったが、元々俺と久美子は役員名簿に記載されていた……聞いたのはつい最近だけど……。

 零細宗教法人なので、これまで一円たりとも給料なんて貰ったことはないから、知らなくても問題はなかったわけだが。


「でも……「わからないかな? 今の清水さんは、久美子よりも霊力で大分劣っているのだけど」」


 久美子でも危険なのに、それに加えて清水さんの面倒まで見られない。

 向こうの世界で一緒に戦った涼子さんなら歓迎だったが、この世界の清水さんでは足手纏いなのだ。


「広瀬君、あなたなら勝てると言うの? 戸高備後守と前当主の悪霊に?」


「勿論。じゃなければ依頼を引き受けないよ。菅木議員は除霊師としてはC級に満たないが、彼は除霊師と悪霊の強さを大まかに判別できる。彼が保証しているんだ」

 

 なにより、二人の悪霊は死霊王デスリンガーよりも弱い。

 悪霊としては大分強いが、まだ神のステージには辿り着いていないからだ。

 だが、時を経れば低級の悪神・邪神レベルにまで成長してしまうかもしれない。

 そうなったら面倒なので、今のうちに倒した方が得策であろう。


「清水さん、封印は今はいいけど、悪霊の成長を促進する効果があるんだ」


 押さえつけられた分、反発で成長が早まるというわけだ。

 戸高備後守がこの口で、その成長度の推察を誤った安倍清明は殺された。

 もし強くなってから封印を破られると厄介なので、早めに倒した方がいいと、清水さんには説明した。


「さて、安倍清明の悪霊が強くなるスピードと、安倍一族のみんなが安倍清明に勝てるようになるまで成長するスピードと、どちらが早いと思う?」


「……残念ながら、悪霊の成長の方が早いと思う」


「だから安倍一族は、二体の悪霊の本格的な封印を目指している。だけど、これも将来破られたら危険だ。問題を先送りにしているだけだからな。さらに、ここに二体の悪霊が封印されたままだと、戸高市も徐々に寂れていくだろう」


 市の中心部に、二体の厄介な悪霊を封じた誰も住まない高層マンションが墓石のように

立っているのだ。

 いい影響があるわけがない。

 だから、菅木の爺さんは俺に除霊を依頼してきたのだ。


 ついでにいうと、戸高ハイムの土地は聖域と戸高市の中心部の連結を断つ場所に建っている。

 ここを除霊しないと、あとで竜神様たちがうるさいかもしれない。

 竜神様たちの力の源は、人々の信仰心なのだから。


 まあ、これは清水さんには言えないけど。


「そういうわけなので、連れてはいけないかな」


「待って! 私を連れていく価値はあるわ!」


「価値?」


「安倍一族よ! 古より日本の政財界と繋がり、大きな影響力を持っているわ。そんな彼らが、もし悪霊退治で新人C級除霊師に後れを取ったなんて知れたら、長老たちが碌でもないことを企むかもしれない」


 手柄の横取り、当主は日本でナンバーワンの除霊師でなければ駄目だと、俺の暗殺を目論むとかか?

 

「私が証人としてついて行けば、そういう事態を防げるわ。私が証言するもの! 私は、これでも次の安倍家当主の候補者だから」


「それはどうかな?」


 例え清水さんが、二人の悪霊は俺たちが倒したと証言したとしても、安倍一族が巨大化した組織特有の理論に従い、彼女の証言を封殺するかもしれない。 

 大きな組織に所属する人間の保身とは、そういうものだ。

 そして、それに気がつかない清水さんではないだろう。


「なにかを隠しているようだけど、これから先は命のやり取りをしなければいけない。その心の内を話せずお互いに信用がないのなら、余計に連れて行けないな」


「……安倍清明は私の父なのよ……私は婚外子ってわけ」


「安倍清明のか?」


「勿論というのも変だけど、安倍清明にはちゃんと奥さんと子供がいる。大した霊力もないので、次期当主候補にもなっていないけど……」


 清水さんの説明によると、安倍清明と彼女のお母さんは通っていた大学で知り合ったそうだ。


「その頃は、当主になる前だから別の姓だったけど。二人は恋に落ち、大恋愛をして母は妊娠した。でも、二人の結婚は先代の当主に反対されてしまったの」


 清水さんのお母さんの実家は大金持ちで裕福であったが、霊能には縁がない家だった。

 安倍一族やその家臣筋の家は、霊力を保つために政略結婚しか認められない。

 それでも代を経る毎に霊力は落ちていき、安倍一族の巨大組織化は到底初代安倍晴明の足元にも及ばなくなった霊力と除霊能力を補うためなのだそうだ。


「皮肉よね。そうやって政略結婚で生まれた父の子供たちには大した霊力もなくて、私の方が才能があると言われたのだから」


「だから、次期当主後継者になれたと?」


「ええ、安倍一族は今も大きな力と財力を持っているけど、子孫の霊力の低下が問題になっているの」


 定期的に、外から霊力が高い除霊師を一族に迎え入れているそうだが、それでも霊力の低下は止まっていないそうだ。

 そういえば、別の世界の涼子さんもお嬢様だったけど、父親はいないって言っていたな。


「父に対して、恨みやわだかまりがあるわけではない。そう頻繁にでもないけど、私を可愛がってくれた。私はただ、そんな父が悪霊になってしまったのが不憫で……」


 偉大だった父がよりにもよって悪霊に殺されてしまい、さらに一瞬で自分を殺した悪霊すら従える性質の悪い悪霊になってしまった。

 いつか安倍家の当主となり、父の悪霊を除霊しよう。

 そう決意して戸高市に来てみたら、俺たちが割り込んだ形になってしまったわけか。


「正直なところ、今の私が何十年努力しても父の悪霊を除霊できるとは思えない。でも、私は前に進むしかない。もし広瀬君が父の悪霊を除霊できるのだとすれば、父の娘としてそれを見届けたいの」


「そうか……わかった」


 俺は、異次元倉庫からお札の束を取り出して、清水さんに渡した。


「広瀬君、今のは?」


「気にするな。それよりも、もし清水さんが戸高備後守と安倍清明から攻撃された場合、そのお札にほんの少し霊力を篭めてくれ」


 そのお札も、俺が書いたものだ。

 いい和紙と墨を使っていて、攻撃には使えないが、短時間だけ強固な防御陣を張ることができる。

 俺としても、常に清水さんの防御に目が行き届く保証もないので、自分の身くらいは自分で守ってくれということだ。


「発動のタイミングが間に合わなかったら、それは清水さんの不注意だ。諦めて殺されてくれ」


「広瀬君って、結構キツイことを言うのね」


「除霊中だからな」


 命を賭けているので、相手が女性でも甘いことは言えない。

 例え嫌われようとも、ついて来ない方が命を落とさずに済むケースも多いからだ。

 悪霊はある意味とても平等だ。

 老若男女、関係なく近づいた者を殺すのだから。


「でも、お札をくれたわね」


「死ななければ、それに越したことはないさ。安倍一族がうるさそうだからな」


「除霊中はそっけないのね。教室にいる時とまったく違う」


「ガッカリしたか?」


「いいえ。亡くなった父も、そういえば仕事中は素っ気なかったわ。似ているのね」


 清水さんはそう言うと、俺にだけ見えるように一瞬軽く微笑んだ。

 それを見て、ちょっとドキっとしたのは秘密だ。


「ううっーーー、裕ちゃん、早く行こうよ!」


「わかったよ」

 

 久美子のやつ、待たせたから怒ったのか?

 とにかく清水さんもついて来ることが決まったので、早く先に進むとしよう。


「安倍一族も役に立たないわけじゃないわ。情報収集能力には長けているもの」


 清水さんによると、戸高備後守の悪霊は上の階にいるらしい。

 実際、除霊で戸高ハイムに入ったからこその情報か。


「最上階は、ワンフロアで一室の超VIPルームだそうよ。戸高備後守は、このVIPルームを拠点にしていると聞いたわ」


「お殿様だから、超VIPルームなのかな? 裕ちゃん?」


「単純に高いところが好きなのかも」


 大名だから、下々に命令を下す立場だからな。

 俺は、久美子に対しそう答えた。


 封鎖物件なので鍵はかかっていないため、最上階の超VIPルームのドアを開けて中に入ると、三十畳ほどのリビングに一人の鎧武者が立っていた。

 低位の悪霊のように透明感はなく、まるで生きている人間のようだ。

 だがよく見ると、彼の首にはわずかに切れ目と隙間があって頭部が浮いた状態だ。

 彼こそが、首を落とされて死んだ戸高備後守の悪霊で間違いないはず。 


「ヨクキタナ。ワガムネハルノエジキトナレ」


 戸高備後守の悪霊は、そう言いながら持っていた日本刀を構えた。

 彼が構える日本刀の刀身の綺麗さに、俺と久美子は思わず吸い込まれそうな気持ちになってしまった。

 

「裕ちゃん、あの刀」


「本物か?」


 悪霊が霊力で再現したものではなく、本物の日本刀に見えてしまう。

 稀に本物の武器を持っている悪霊も存在するが、彼もそうなのであろう。


「広瀬君、あれは魔刀宗晴よ」


「マトウムネハル?」


「戸高備後守が、常に腰に差していた刀。名工七代目宗晴の傑作。でも……」


 戸高備後守は高城家との戦で破れ、その首と愛用の刀宗晴を奪われてしまった。 

 名刀宗晴の評判は、その持ち主である戸高備後守の首を討ち取った高城典膳も知っており、彼は奪い取った名刀宗晴を愛用の刀とした。


「そこからが、高城家の不幸の始まり」


 それ以来、高城家は嫡男の早世、生まれてくる子供の死産、妻たちの相次ぐ病死と不幸に見舞われた。

 そして江戸時代初期、ついに高城典膳自身が狂乱状態に陥り、多数の家臣や一族を手打ちにしてしまう。

 その結果、江戸幕府により高城家は改易されてしまったのだと、清水さんは教えてくれた。


「刀のせいか?」


「名刀が魔刀になっていたのよ。それで、この地に戻ってきた戸高家が、首塚に魔刀と化した宗晴も封印したわけ」


 名刀が魔刀になるくらい、戸高備後守の恨みは強かったというわけか。


「つまり、あの刀は本物ってわけか」


「ええ、斬られれば血が出るところじゃ済まないわ」


「そうか」


 じゃあ仕方がない。

 あれで対抗するしかないか。


 俺は、『お守り』から神刀『ヤクモ』を取り出して構えた。

 この刀は生物を斬れないが、日本刀からの防御には使える。

 戸高備後守の霊体を斬れば、簡単に成仏させられるであろう。


「というわけだ、悪霊」


「フッ、ヨワキモノノクセニ」


 俺と戸高備後守の悪霊は、それぞれに刀を構えて切り結び始めた。

 戸高備後守の鋭い一撃をヤクモで防ぎ、逆にヤクモの一撃を戸高備後守は簡単にかわしてしまう。

 彼の持つ刀は本物なので、とにかく霊体を斬らなければダメージを与えられないはず。

 ところが、戸高備後守の強さはなかなかものであった。


 刀術、実戦に慣れているように感じる。

 ステータスの数値では圧倒的に上なんだが、マンションのVIPルームとはいえそれほど激しく動けないから、スピードなどはかえって邪魔かもしれないな。


「戸高備後守は、豪傑として有名だったわ。刀も、複数の流派を修めている名人だそうよ」


 清水さん、教えてくれてありがとうだが、確かに俺は向こうの世界で三年ほど鍛錬を積んできたが、刀術に関しては素人に近い。

 いくらヤクモが優れていても、命中しない攻撃には意味がないわけか。


「おっと!」


 逆に、戸高備後守による宗晴の一撃が、俺の頬を掠った。

 軽く頬が切れてしまい、そこから血が流れ出る。


「やるな」


「キガツクノガオソイ。シネ」


 すかさず、戸高備後守は連続して俺に斬りつけてきた。

 その華麗な動きはとても悪霊とは思えないほどで、俺は彼の攻撃をかわすために防戦一方となった。

 時おり、常装の袖などに刀が掠っていくが、さすがは神が織った死霊王デスリンガーとの戦いでも活躍した装備だ。

 傷一つついていなかった。

 

「広瀬君、大丈夫?」


「なんとか」


「でも、戸高備後守は刀術の名人よ。このままでは……」


 どうやら清水さんは、このままでは俺は戸高備後守に負けると思っているようだ。


「ミジュクナリ!」


 さらに戸高備後守による攻撃は続き、まるで踊るように魔刀宗晴による斬撃を繰り返した。

 スピード、技術、パワー。

 ステータスでは圧倒的に上のはずなんだが、向こうは悪霊化しているからリミッターが外れているし、戦に明け暮れていた人物だから、豊富な実戦経験から得た効率的な身のこなしを用いているので、俺が劣っているように見えてしまう。

 さらに刀術に関しては、向こうの世界で神刀ヤクモを使っていた俺でもまったく歯が立たなかった。

 やはり三年程度の修練では、刀術を極めるのは難しいか。

 それほど刀術に長けていなくても、俺の場合、霊力でなんとかしてしまうという事情もあったのだが。

 霊力では圧倒的に有利だが、刀術では負けていて一方的に斬り込まれている状態だ。


「マトウムネハルノ、イケニエトナレ!」


「広瀬君!」


「裕ちゃん!」


 戸高備後守は、俺の剥き出しの首を狙ってきた。

 もし回避できなければ、首を刎ねられるか、頸動脈を斬られて失血死してしまう。


 久美子と清水さんが悲鳴をあげたが、ここまでは計算どおりだ。

 一気に俺に詰め寄った戸高備後守であったが、首まであと一歩のところでその動きを止めてしまったのだ。


「バカナ……」


「俺がお前に有利な刀術だけで戦うと思ったか? 俺の霊糸はそう簡単に切れないぜ」


 俺は、戸高備後守が有利な刀術で攻撃を繰り返していた間、密かに自分の霊力を使って霊糸を作っていた。

 細くて頑丈な霊糸の作製では、向こうの世界でも俺の右に出る者はいなかった。

 戸高備後守の進路上に仕掛けた数多の霊糸により、彼はその場で動けなくなってしまう。


「ウゴケナイ……ウデガ……」


 戸高備後守の刀を持った左腕は念入りに霊糸が絡みつき、刀を一ミリも動かせなくなってしまう。


「じゃあ、終わりだ。神刀ヤクモの一撃で、地獄に落ちるがいい」


 今まで、四百年以上も悪霊として過ごしてきた戸高備後守は、確実に地獄に落ちるであろう。

 転生するには、かなりの年月が必要なはずだ。

 恨みを抱き、時には人を呪い殺してきた悪霊の末路である。


「さらばだ、戸高備後守」


「ヒキョウナ! カタナデェーーー!」


「除霊に、卑怯もクソもない」


 俺は、尋常に刀で勝負しろと喚く戸高備後守を、神刀ヤクモで袈裟斬りにした。

 神刀ヤクモは生き物にはダメージを与えられないが、悪霊には最強と呼んでいい効果を発揮する。

 

「ソンナ! バカナァーーー!」


 神刀ヤクモで袈裟斬りにされた戸高備後守は、黒い粒子状になって溶けていく。

 悪霊の最期の瞬間だ。

 それからわずか数秒で、戸高備後守の悪霊は完全に除霊された。


「今頃は、閻魔によって地獄に落とされているはずさ」


 戸高備後守の悪霊が消滅したあとには、彼が使っていた魔刀宗晴のみが残されていた。


「これが、戸高備後守の愛用していた魔刀宗晴」


「おっと、触ると危険だ」


 俺は、床に落ちている魔刀宗晴に触ろうとした清水さんを止めた。

 

「まだ厄介な怨体が残っている、なあ?」


「バレテイタノカァーーー!」


「バレないと思ったのか? 間抜けめ」


 戸高備後守の悪霊に絡みついていた霊糸の残りが魔刀宗晴に絡みつき、刀に隠れていた怨体が無念の声をあげる。

 

「不用意だったな。清水さん」


「でも、たかが怨体じゃない」


「ところがどっこいだ」


 この魔刀に隠れていた怨体は、戸高備後守の悪霊とほぼ同じ時間を過ごしてきた強固な個体である。

 怨体でも高位の存在で、下手な悪霊よりも強いはずだ。

 

「触った人間に憑りつき、夜な夜な魔刀で人を斬り殺したければどうぞ」


「ご遠慮願うわ」


「じゃあ、そういうことで」


 もう一撃、神刀ヤクモで魔刀宗晴を斬ると、隠れていた怨体は完全に浄化されてしまった。


「でも、まだ禍々しいね。裕ちゃん」


「これはちょっと手間をかけないと、完全に浄化できないんだよ」


 また他人が触ると悪影響があるので、俺は『お守り』に魔刀宗晴を仕舞った。


「どういう仕組みなの?」


「手品です」


「嘘ね」


 残念ながら、清水さんに俺の嘘は通用しなかったようだ。


「そんな単純な嘘だと、すぐにバレると思うな」


「そうね、相川さんの言うとおりよ」

 

 つまり、俺が単純というわけか。

 これでも、向こうの世界ではパラディンだったというのに。


「あとでまた聞くわ。それよりも……」


「清水さんのお父さんの悪霊ね」


「それにしても、四百年以上も悪霊をやっていた戸高備後守を配下にしてしまうなんて……」


 稀にいるのだが、殺されてすぐに高位の悪霊となってしまったようだ。

 そしてその死後、よほど負の感情が強かったようで、自分を殺した戸高備後守を配下にしてしまうのだから凄い。

 悪霊の強さはその人の負の感情の強さによるので、稀にこういうこともあるというわけだ。

 

 数千年前に惨たらしく殺された人の悪霊よりも、つい数秒前失恋して自殺した人の悪霊の方が高位の存在になってしまう。

 ということが、理論上はゼロではなかった。

 なによりも怖いのは、人間の心が生み出す負の感情というわけである。


「屋上からビンビンと気配を感じるな。これは、戸高備後守でも勝てないか」


 それにしても、どうして安倍清明は高位の悪霊になってしまったのであろう?

 それを知るためにも、俺たちはは急ぎこの高層マンションの屋上へと向かうのであった。

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