公爵家嫡男の企み

 すべての懸念を排除して、彼女を迎え入れるための準備を整え父王に許可を得て、ようやく彼女のもとへと向かえば。月の綺麗な夜には必ず開けられているバルコニーへと続く窓の鍵は、キッチリと閉められたまま侵入者を拒絶していた。

 それだけでは、なく。


 彼女の…リーファの気配そのものが、なかった――




「どう、いう……」


 部屋の中どころか、子爵家の中にも彼女の気配はない。窓もカーテンも、一分の隙も無くしっかりと閉じられているが、これを開けて部屋に侵入することなど造作もない。ただ、意味がなかった。ここに、最愛の存在がいないのであれば。


「リーファ…?」


 呼びかけても意味がないことなど理解している。それでも、呼ばずにはいられなかった。だって、約束をしたのだ。必ず会いに行く、と。彼女が、そう、望んだのではなかったのか。



 それなのに、どうして――



「どう、して……どこに……」


 そう、どこに行ったのか。こんな、初めから存在していなかったかのようにすべての気配も痕跡も消して。

 ふらり、と体が揺れたのは一瞬のこと。次の瞬間にはこの屋敷のメイド長のもとに。執事でもいいが、女性に関してならやはり女性の方が情報を多く握っている可能性があると踏んだのだ。とはいえ、今回に関してはあまり関係なかったが。

 紅い瞳で問いかける。その色は、普段では考えられないほど昏い。


『リーファは、どこへ?』

「お嬢様は、侯爵家へ行かれました…」


 意味が分からない。なぜ子爵家の令嬢が、いきなり侯爵家に行っているのか。しかも、この痕跡のなさはまるで……


『婚約を、したのか?』

「内定いたしました…後日婚約式が行われる予定となっております…」


 どろり、と。胸の裡から何かが溢れたような気がした。じわりじわりとが体中を支配していく。昏く冷たいそれは、あっという間に熱という熱を奪い去っていった。

 冷え切った思考の中、メイド長だけでなく手当たり次第に話を聞いていった。もちろん、エレメント子爵家の当主にも。とにかく情報という情報を得て、リーファの現状を考えてたどり着いたのは……


「逃げられた…?」


 まさか。あのリーファが?

 そうは思うけれど、では今の私の状況は何なのだと自問する。

 今日"こちらの世界"に彼女を連れていこうとしていたことは、誰にも伝えていないし悟られてもいないはず。自邸の者に用意はさせていたが、いつとは明言していない。リーファにだって、気づかれていなかったはずだ。

 それとも、気づかれるような何かをしたのだろうか?いや、そんなことはない。前回会った後から、すべての手はずを整えたのだ。他のヴァンパイアに狙われる可能性も出てきたから、成人するより先に連れてきてしまおうと。そのために、必要な王の許可も取った。十八どころか成人すら迎えていない少女を連れていくには、今の時代は王と家長の許可が必要になるから。だから王として、父として許可を出していただけるようにと、状況を整えたのに。


 最後の最後で、彼女自身がするりとこの手をすり抜けていってしまった。


「なぜ…?」


 そう、なぜ?彼女の婚約は、まだ幼いころからの分も含めてすべて断らせてきたというのに。なぜ、このタイミングで?なぜ、侯爵家?なぜ、急ぐように?

 そしてなぜ、彼女は私に何も話してくれなかったのか。今までは全て教えてくれていたのに、今回に限ってなぜ……?


「私が、恐ろしくなったのだろうか…?」


 あり得ない。…………とは、言い切れないのだろう。人は幼いころに平気だったものでも、成長して苦手になったり受け付けなくなったりすることがある。それは知識をつけた故なのか、好みが変わる故なのかは分からない。正直そこに興味はない。だが、仮にリーファがヴァンパイアを恐ろしいものだと認識したのだとしたら?

 恐怖の対象から逃げ出すのは、生物としての本能だ。そこに理屈など必要なく、したがって"リーファだから"などという希望もあてにはならない。


「そういえば……」


 思い返してみれば、前回の帰り際。彼女の様子は少し変ではなかったか?あれは、そう…私があの愚かな青年に罰を与えた後だ。考えてみれば、あの日初めてリーファは私のヴァンパイアとしての力を目の当たりにしたのではないのだろうか?今まで使う必要もなかったので、彼女が知っているのはこの紅い瞳だけだったはずだ。と、なれば。あの一連の流れを間近で見ていて、恐怖を覚えたとしても不思議はない。

 だが、それでは説明がつかないこともある。あの後彼女は私を一時でも引き留めようとしていた。それどころか、次の約束まで取り付けてきたのだ。普段しないのに「必ず」と念押ししてまで。


「リーファ、貴女が……」


 貴女が私に話したかったことは、いったい何だったのですか?

 婚約について?それとも、二度と来るなという別れの挨拶?

 今の段階では、あまりにも判断材料が少なすぎる。彼女と直接話せない以上、安易に結論など出せないのだ。

 けれど、居場所はわかった。この屋敷と同じように、そこで情報を集めればいいだけだ。人間相手など、造作もない。


 ただ、彼女の真意がどこにあるのかだけは、きっと誰にも分からない。子爵家から連れて行った者に探りを入れたとて、知っているわけがないのだ。

 私ですら、直接話せなければ分からない。いや、私に魅了されない彼女の本心など、私ですら分かるわけがないのだ。ただの人間であるのに、ただの人間であるからこそ、手紙や伝言以外で誰かに言葉を残すことなどできない少女。

 果たして本気で私から逃げようとしていたのか。それとも、家格の差に従わなければならなかっただけなのか。知る方法は本当にないのかと考えようとして、ふと、気づく。



 本当に彼女の真意など、知る必要があるのだろうか?



 相手は魅了が効かないとはいえ、ただの人間の、しかもか弱き少女だ。ヴァンパイアどころか、人間の男にすらどうやったって敵わない。むしろ成人した人間の女性にすら敵わないだろう。そんな少女にとって、家同士の決めた婚姻もヴァンパイアとの婚姻も、逃げられないという意味では同じなのではないだろうか?

 そして何より、私の中に彼女を手に入れないなどという選択肢など存在しない。


「あぁ、そうか…」


 私から逃げるのならば、どこまでも追いかけ捕まえて、その白く細い首筋に噛みついてしまえばいい。そうすればもう、私のものだ。どこにも逃げられない。

 逃がすつもりなど毛頭ないし、手に入れた後に離すつもりもない。私が消えるまでずっと、私に縛り付ける。解放なんて、しない。させない。

 ほかの男、しかも人間の男などに、渡してなるものか。あれは…リーファは私のものだ。


 醜く歪んだ口元から、隠しきれなくなった牙が覗いていることにも。怒りと嫉妬で抑えきれなくなった魔力が漏れて、瞳が残酷なまでの紅を放っていることにも。気づいていたが、それをどうこうしようなどとは思わなかった。むしろ今は、このままでいい。

 子爵家から自邸へと戻った時に、周りが怯えたように何か言っていたが、すべて無視する。今は雑音に構っている暇などない。急いで手はずを整えて、リーファがいる侯爵家の現状を炙り出す。確信はあった。このおかしな婚約には、必ず表には何があっても出せないような理由があると。


 程なくして、その理由は明らかになった。何ということはない。嫡男に、身分の釣り合わない愛人がいたというだけのこと。それだけならば別に人間の世界では珍しくもないし、何ということもないただの汚点の一つだろう。だからどこかの令嬢、しかもその事実が明らかになったとしても文句ひとつ言えないような家柄の人間を相手に据えるというのは、まぁ概ね理解できる。愚かだとは思うが。

 しかし、許せなかったのはその相手にリーファを選んだことだ。私から彼女を掠め取っていきながら、愛するつもりもないどころか邪険にした上に粗雑に扱おうとしているのだから。こんなこと、許せるわけがなかった。


 そして何より、リーファはこの婚姻を心から望んでいるわけではないようだということ。


 この事実は私の心を多少慰めはしたが、だからと言って彼女が私から逃げたのではないという証拠にはならない。だが、一つだけ気になったのは…子爵家から連れて行った彼女付きの侍女の話。

 月の綺麗な夜、リーファは必ず窓辺に座って月を眺めているらしい。飽きることなく、ずっと。

 侍女の主観では、まるで叶わない何かをその月を通して見ているようだとのことだ。


 そんなことを知って、期待せずにいられるものだろうか――


 月は、私とリーファとの間だけの合図だった。私たちが会うのは、月の綺麗な夜だけ。初めて会ったあの日に、彼女にそう告げてからずっと。

 それが、もし、彼女の未練という形で表れているのだとすれば……私はその心も、手に入れることができるのだ。


 侯爵家の嫡男だという男は、リーファに何の関心も向けてはいない。顔合わせ以降、会いにすら行っていないほど。

 つまり、彼女はまだ私以外の男に触れられたことすらないのだ。当然、その身も清いまま。むしろほかの女に首ったけなあの男のことだ。結婚するまではほかの女になど手を出すことなどないだろう。


 だが、もし…


 万に一つもないが、もし私が間に合わずリーファがすでにほかの男のものになっていたその時は――


「その男を惨殺して、一族郎党皆殺し……あぁ、国ごと亡ぼすのもいいかもしれませんねぇ…」


 そうすれば、すべての事実がなかったことになる。何より、彼女自身の帰る場所が他になくなるのだ。これから先、私から逃げようなどという気も起きないだろう。

 そう思えば、案外悪くないような気がしてきた。

 喉の奥でクツクツと嗤えば、ようやく愛しい少女を手に入れられる高揚感に包まれる。




 舞台は整った。役者も揃った。


 さぁ、始めましょう。


 ヴァンパイア一族の名門、クラシカ公爵家嫡男の、一世一代の企みを――



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ヴァンパイアと子爵令嬢 朝姫 夢 @asaki_yumemishi

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