おまけ

 とある昼下がり。

 市場に買い物にやってきた主婦。

 楽しそうな笑顔を浮かべる小さな子供と、その両親。

 手をつないで歩く恋人たち。

 そんな様々な人たちが、城下街の大通りを行きかっている。それは、この世界のこの国の、ごくありふれた休日の風景だ。


 その街角のレンガ造りの建物の前に、不思議な雰囲気の女性がいた。


 紺色のスーツに、地味目なショートカット。装飾を抑えたスクエアフレームのメガネ。

 周囲を歩く布の服の村人や、金属の防具を着こんだ戦士風の人々と比べると、その風貌は明らかに異彩を放っている。事務的で冷たそうだが間違いなく美人と言っていいような整った顔つきも相まって、さぞかし彼女は周囲の注目を浴びていると思えたが……その予想に反して、彼女のことを見ている者は誰もいない。誰もが、まるで彼女のことが見えないかのように振る舞い、ともすれば、ぶつかりそうなほど彼女のすぐ目の前を通り過ぎたりしているのだ。


 しかし、それも無理はないことだった。

 実際に彼女は、その場の誰の目にも見ることはできなかったから。ただの人間をはるかに超越した、女神だったのだから。


 その彼女、サメ子――これまでは、己を縛る『名前』というシステムを採用してこなかった女神たちだったが、さすがにそれだといろいろと不便を感じることも多かったらしい。最近では考えを改め、シンプルな呼称としての名前を受け入れ始めており、その彼女も数年前から「サメ子」と呼ばれるようになっていた――は、レンガの壁に背中を預け、行きかう人たちを見るともなく見ている。

 彼女は、その街角で人を待っていたのだ。


 やがて、その待ち人――いや、待ち女神――が現れた。



「お待たせして、サーセンしたッス!」

 半袖短パンジャージ姿で、ショートカットの前髪をゴムでちょんまげのようにまとめている、スポーティな出で立ちの少女。どこからやってきたのかは分からないが、ここまでは走ってきたらしい。彼女はサメ子の前でかがみ込んで、息を切らしながらそう言った。

「いえ」

 サメ子は、そんな彼女を特に気に掛けるでもなく、無機質な声で応える。

「待ち合わせの時間には、まだ五分ほどあります。私が早く来すぎただけですから、気にしないで下さい。

 むしろ、女神訓練学校を近年まれにみる好成績で卒業したと噂の貴女は、なにかと忙しいでしょう? 急に呼び出してしまって、申し訳なかったですね」

「いえいえッス!」

 あっという間に切らしていた息を整えてしまったその少女は、オーバーなアクションで首を振る。

「どんな理由があるにせよ、センパイを待たせるなんて、女神失格ッス! センパイが待ち合わせに五分早く来るのなら、後輩の自分は一時間早く来るッス! センパイが一時間早く来るなら、自分は一日前から待ってなきゃダメだったッス!

 ……ああ、こうしちゃいられないッス! センパイを待たせてしまった自分を罰するために、ちょっとその辺を走り込みしてくるッスから、ちょっとここで待っててもらっていいッスかっ⁉」

「いやいやいや……」

 サメ子は、頭のちょんまげをピョコピョコと動かしながらそんなことを言う彼女に、呆れてしまう。

(女神には、まともな人はいないんですかね……)

 とりあえず、放っておくと本当にそのまま走り出しそうだったので、さっさと話を先に進めてしまうことにした。(無駄に熱すぎる彼女は、周囲からは「アツ子」と呼ばれていた)


「まあとにかく……。今回貴女を呼びつけたのは、『不慮のアクシデント』により管理者不在になってしまったこの世界を、貴女にお任せすることになったからです」

「了解ッス!」

「ふむ……既に、女神部長さんから話は聞いているようですね? それなら話は早いです。

 ただ……人手不足とはいえ、訓練校を卒業して間もない貴女にいきなり一人で世界を任せるというのも、乱暴な話ですよね。率直なところ……大丈夫ですか?」

「もちろんッス!」

 サメ子の問いに、間髪入れずに「いい返事」を返すアツ子。

「むしろ、学校出たてのペーペーの自分なんかが、丸々一つの世界を任せてもらえるなんて、ただただ光栄すぎるッス! その期待を裏切らないために、自分、一生懸命頑張るッス! 実はさっきの遅刻だって、この世界のことをいろいろと女神図書館で予習してきたせいですし……準備は万全って感じッス! 大船に乗ったつもりで、ドーンっと任せて下さいッスよっ! 『前任者が不祥事を起こして女神をクビになった』この世界は、自分が完璧に管理してみせるッスからっ!」

 無駄に熱いアツ子に言い聞かせるように、サメ子が言う。

「まあ……あまり気張らずに、落ち着いてマニュアル通りに世界の管理業務を遂行することです。女神というものは、『いつでも冷静沈着に……」

「一時的な情に流されることなく、担当する世界の全ての生き物を見守る事』……ッスよね⁉」

 だが、アツ子はそんなサメ子の言葉も奪い取って、自分のペースに持っていく。

「女神十原則なら、バッチリ頭に入っているッス! 大丈夫ッス! 自分、こう見えても結構真面目だし、ルールはちゃんと守る人なんでっ!

 だいたい自分、ちょっと前に他のセンパイたちの間で流行ってた、『お気にいりの人間にチートを与えて世界の均衡を乱す』のとか、あり得ないと思ってるくらいなんでっ! あーゆーの、女神として一番やっちゃいけない行為ッスよね⁉」

「そう、ですね……」

「あ、あれッスよね? 確かこの世界の『前任者』の女神も、『一人の人間に入れ込んで、この世界に干渉しすぎた』んじゃなかったッスっけ? 女神部長さんに何度も怒られてたのに懲りずにそーゆーこと繰り返して、それで結局クビになっちゃったんスよねっ?

 ほんと、そういう女神としての自覚低い人とか、自分許せないんスよ! 自分だったら、絶対にそんなバカみたいなこと、しでかさないッス! 自分が管理者になったからには、この世界を他のどこにも負けないくらいに完全完璧な世界に…………あ、あれ?」

 熱くアピールしていたアツ子はそこで、サメ子が笑いをこらえるように口元を押さえていることに気が付いた。恐ろしく仕事が出来るが、いつもクールで厳しいと噂の彼女がそんな仕草をしていることを、アツ子は少し意外に思った。

「……ふふ、すみませんね」

 サメ子はすぐに無表情に戻って、言った。

「ただ、あんまり『前任者』のことを悪く言わないであげてください。私はその『前任者』の女神とは同期で、多少は彼女のことを知っているのですが……あの娘はあの娘なりにいろいろ考えて、よかれと思ってやっていたのです。まあ確かに、彼女に女神としての自覚が足りなかったということについては、間違いなかったわけですけどね」

「はあ……。そう、なんスか……?」

 アツ子はあまり納得していない風だったが、とりあえず体育会系の礼儀として先輩をたてようと思い、その場は何も言わなかった。



 それから。

 サメ子はアツ子に対して、いろいろと女神の仕事内容を説明した。

 アツ子は、これからこの世界を管理することになる新任女神として。そしてサメ子は、そんなアツ子に女神業務の簡単な導入説明をする先輩女神として。今日は、仕事内容のチュートリアルをすることになっていた。

 サメ子には、こことは別にちゃんと自分が担当する世界があるのだが、かつてこの世界にも少しだけ関係したことがあったという理由で、今回アツ子の案内役チューターに呼ばれたのだった。



「どうです? なんとかなりそうですか?」

 一通りの説明を終えたあと、サメ子は、アツ子に尋ねてみた。

「はじめは戸惑うことも多いでしょうけれど……まあ、慣れていくうちにどうにでもなりますよ。作業内容自体は、どれもそれほど難しいものでもありませんし」

 女神訓練学校では優秀だったかもしれないが、学校と実務は全然違う。どの女神でも、実際に初めて世界を担当する直前になると、緊張してしまうものだ。自分もそうだった。

 サメ子はそう考えて、先輩らしくアツ子の緊張をほぐしてやろうとしたのだ。だが、

「そッスね! 結構、余裕かもしんないッスね!」

 アツ子はそんなサメ子の予想に反して、全く緊張などしていないようだった。

「学校だと、もっとヒドい世界の話とかいろいろ聞いてたんで、自分、結構覚悟決めてきたんスけど……。この世界って、全然大したことなくないッスか? 難易度でいったら下の上……それか、下の中って感じッス!

 種族間の争いが絶えないとか、最凶最悪の魔王が世界を征服しようとしてるとか、そーゆーことは一切ないし。むしろ、割とどの種族も仲良くやってて、平和そのものって感じッス。これだったら自分、危機レベル上の中くらいまで行っちゃってる、サメ子先輩の世界のお手伝いがしたかったッスよ!」

「ま、まあ……まずは難易度『下の上』のこの世界で、地道に経験を積んで下さい……」

 むしろ緊張どころか、完全に余裕ぶってナメてかかっている様子のアツ子。

 そんな彼女に自分が新人だったころとの大きなギャップを感じてしまい、(これも、時代の流れですかね……)などと年寄りめいたことを考えてしまうサメ子なのだった。



(それにしても……)

 そこでサメ子はひとときアツ子のことを忘れ、自分の世界に入り込む。

(「種族同士が仲良くて」、「平和そのもの」……ですか……)

 アツ子が発したその何気ない言葉が、サメ子にはなんだか特別喜ばしいことのように聞こえる。


 確かに彼女が評した通り、現在のこの世界は「平和そのもの」だ。しかし、数年前まではそうではなかった。

 数年前のこの世界には、種族間で激しい争いがあった。


 始まりは、リーダーの魔王を殺害され、長年奴隷のように虐げられていたモンスターたちが、ある日一斉に人間に反乱を起こしたことだ。人間対モンスターの戦いは熾烈を極め、徐々に規模を大きくし、最初は無関心を決め込んでいたエルフやドワーフたちも、やがて人間派、モンスター派に分かれてその戦争に加わるようになる。そして世界規模で、非常に多くの犠牲を生む凄惨な争いが五年近くにわたって繰り広げられたのだ。


 しかし、そんな「ヒドい世界」にも、わずかながら良心は残っていたらしい。


 戦争が激しさを増していたある日、サメ子たちが今いるこの街の片隅で、一頭のドラゴンを連れた、エルフとノームと人間の少女たちが現れた。

 彼女たちは道行く人々に街頭演説やドラゴンのショー、さらには歌やダンスなどで、戦争の愚かさや、種族間で手を取り合うことのすばらしさを必死に訴えた。無視されたり、石を投げられたり、種族の裏切り者と罵られることもあったが、それでも彼女たちは懸命に訴えを続けた。

 すると、次第にそんな彼女たちの考えに賛同し、協力する者たちも現れ始めるようになり……はじめは小さかったその運動はやがて国中に広がり、大陸全土に広がり、戦争が徐々に大きくなっていったときと同じように、ついには世界中に広がって、その戦争を終結に導いてしまったのだそうだ。


 今ではその三人と一頭は、戦争を鎮めた功績をたたえて世界中に石像や記念碑などが作られ、勇者やアイドルのような扱いを受けている。しかし彼女たちはそんな自分たちへの称賛に対して、きまってこう返すのだそうだ。


「実は……これまで私たちがやってきたことは全部、学生時代に『ある一人のクラスメイト』から教えてもらったことがベースになっているの。だから……いくら私が、小中高で常にクラス委員を務めてきただけの才覚があるからと言っても……私たちだけで戦争を終わらせるなんて、とても無理だったわ」


「『あいつ』はいつも、種族や身分が原因で対立するなんて、下らないって言ってたなのー! だから、あたちたちはそれをパクったなのー!」


ガウガウガウ人間のことはガウガウガウガウガウまだあまり好きではない……ウガだがウガウガウガウガウガウガウガウだからと言って自分の傷を手当てしてくれた者のことを忘れるほどガウガウガガウガウドラゴン族は薄情でもない……。ガウガウガウガウその恩に報いるためにギャァァースガウガガウ『彼女』が望んだ和平の夢を継いだだけだ……」


「『アノ人』がアタシたちを、目覚めさせちゃった♥って感じ? 最初は違和感あるかもだけど……。慣れれば♥異種族同士♥ってのも…………………意外とイケるんだよねー♥♥♥♥♥♥」

 と……。


 人々は、彼女たちの言葉に出てくる『クラスメイト』をやっきになって探したが、誰もそれらしい人物を見つけることはできなかった。その三人が学生時代に同じ学園に通っており、連れているドラゴンもその付近の出身であることはすぐに分かった。だが、その学園は「英雄殺し」と悪名高い犯罪者も一緒に通っていたような風紀の乱れた場所であり、そんな場所に彼女たちが言うような素晴らしい人間がいるはずがない、ということになり……。

 結局、そんな人物は初めから存在しない。それは彼女たちが謙遜しているだけなのだ、ということで、結論がついてしまったらしい。



(ふ……)

 そんな話を、この世界の『前任者』から聞かされていたサメ子は、感慨深そうにほほえむ。

(もしも『あんなこと』がなければ、今頃そんな称賛を受けていたのは、彼女のほうだったでしょうね……。

 でもまあ、彼女はそんなもの、欲しがったりしないでしょうね。彼女ならば、どれだけ自分が称賛されることよりも、今のこの世界の状況をただ喜んでいることでしょう。この、「種族同士が仲良くやっている」、難易度下の中の「平和」な世界を手に入れたことを、何より誇りに思っているでしょうね……)


 サメ子の脳裏に、かつての彼女の姿が思い出される。

 目の覚めるような赤い髪をたなびかせながら、いつもバカなことを言って高笑いをしていた、彼女の姿が。


(ああ……貴女は今、どうしているのでしょうか……。せめて一瞬でも、あのときのような笑顔を取り戻せていればいいのですが……)


 と、そのとき。



 サメ子たちのすぐ隣を、三人の女性が通り抜けて行った。サメ子はその瞬間、そのうちの一人の姿に、目を奪われてしまった。

 彼女の隣を通ったうちの一人は、クラシカルな作りの木製の車椅子に乗った、長い黒髪の美しい女性だ。上質な黒いローブに身を包んだ彼女は、二人のメイドを従えて、人通りの多い休日の街を悠然と進んでいた。


「あれ? どしたんスか、センパイ?」

 サメ子がその人間のほうをあまりにも真剣なまなざしで見ているので、気になったアツ子が声をかける。

「ああ、さっきのって、あれッスよね? この世界の、結構な有名人ッスよね?」

 優等生らしく、この世界のたいていのことは予習済みのアツ子は、その車椅子の女性のことも知っていた。

「名前は、『メイメイ・エミリア・スティワート』。

 学生時代に事故でいったん死にかけて、そのときに死後の世界に行って帰ってきたおかげで、死者の声が聞こえるようなった……っていうフレコミの、超売れっ子の占い師ッス。まあ……女神の自分たちにとっては、そんなのあいつが適当に言ってるだけのデマカセだってバレバレなんスけどね。あの人間が、何か気になるんスか?」

「いえ、別になんでもないですよ……」

「一部の歴史研究者の中には、各国の要人を客に持っているあいつが影で糸を引いて、先の大戦の終結を早めたー、なんて言ってる人もいるらしいッスけど……正直、マユツバもいいとこッスね。自分はあいつ、ただの三下の詐欺師だと思うッス。

 なんにせよ、サメ子センパイが気にするような人間じゃないッスよ?」

「……ふふ」

 通り過ぎていった彼女たちのほうを見ながら微笑んでいるサメ子。アツ子には、サメ子がどうしてそんなにあの人間のことを気にしているのか分からない。


 実は。

 アツ子は気が付いていなかったが、そのときのサメ子は、車椅子のメイメイを見ていたわけではなかった。

 彼女が見ていたのは、そのメイメイの車椅子を押している、メイドの一人だった。その、美しい赤い髪をしたメイド服姿の……。




「お、おじょ……お嬢様? そ、そろそろ、お薬の時間ですわよ?」

「ああ、もうそんな時間ですか? では、いただくとしましょうか。準備してください」

「は、はい……」

 顔を引きつらせて、薬の錠剤とそれを飲むための水を用意する赤い髪のメイド。

 しかしメイメイは、そんな彼女を蔑むような目で見下しながら、

「何やってるんですか? 違うでしょう?」

 と言う。

「は? な、何よ? 何が違うのよ。わたくしはちゃんと、貴女に薬を飲ませる準備をして……」

「私、前に言いませんでしたか? その薬は、『赤髪のメイドが口移しで飲ませてくれないと効果がない』んです。そんな水なんかいいですから、早くそっちの準備をして下さい」

「は、はあっ⁉」

 そんな突拍子もないことを言うメイメイに、顔を赤らめて慌てるメイド。

「口移しじゃないと効果ないなんて……どんな奇病なのよっ⁉ そ、そんなわけないでしょーがっ! いいから、この水で早く飲みなさいよっ!」

「あーあ……誰のせいで、こんな目になったと思ってるんですか? 私だって嫌なんですよ、口移しなんて? だってそんなことをしたら、貴女のえげつない妄想病がうつってしまいそうで……。でも、医者が処方した薬に、そうしないと効果がない、って書いてあったから仕方がなくってですね……」

「う、嘘おっしゃいな! この前病院に行ったときに貴女、お医者様にお金渡して書かせてたじゃない! わたくし、見てたんですからねっ⁉ わたくしに嫌がらせするために、他人に迷惑かけてんじゃないわよっ!」


 そんなふうに、仲のいい友人同士のようなやり取りをしている、メイメイと赤髪のメイド。そばにいる金髪ロングのもう一人のメイドは、そんな二人のことを微笑ましそうにながめている。

「ぐふふ……お二人は、相変わらず仲良しさんですねぇ……。私、女の子たちがイチャついてる姿だけで、白いご飯何杯でも食べられちゃいそうです……。ご、ごちそうさまですー!」

「あ、貴女も貴女よっ! 女神クビになったと思ったら、ちゃっかり人間になって馴染んでるんじゃないわよっ!」

「えへへ……。最初はどうなることかと思いましたけど……人間っていうのも、やってみるとこれはこれで、なかなか楽しいですよね?

 特に、ドSなメイメイさんに仕えて、彼女にイジメられてると、だんだんそれが快感に感じてきて……私、意外と今の暮らし、しょうに合ってるかもしれないですぅ」

「あー、もおーうっ! もとはと言えば全部貴女のせいなんだから、貴女だけは、もっとツライ目に合いなさいよーっ!」


 呆れ顔のメイメイは、そんな二人のメイドに言う。

「はあ……。全く、このメイドたちは……雇い主を放置して、何を下らないことを言い合っているのですか? 自分たちの立場が、まだ分かっていないようですね?

 『英雄殺し』に『堕女神』なんて言われて……どこにも行き場をなくしていた貴女たちを拾ってあげたのは、このメイメイ様ですよ?

 ふふふ……屋敷に帰ったら、目いっぱい調教してあげましょうね……ここだけの話」

「えぇ⁉ 今日も、お仕置きですかぁー⁉ やったー!」

「メ、メイメイ貴女……覚えてなさいよねっ! ぜ、絶対に、このままじゃ済まさないんだからねーっ!」


 そんな三人のやり取りを見ていたサメ子は今にも吹きだしてしまいそうで、それを必死に押さえなくてはいけなかった。




「……センパイっ! センパイってばっ!」

 自分のことを無視して、人間などに夢中になっているサメ子が面白くなく、アツ子は彼女の腕を揺すってアピールする。

「あ、ああ……すみませんね。それで、何でしたっけ?」

「もう、こんなところでいつまでもグズグズしてないで、さっさとやることやっちゃいましょうッスよっ! これから、世界を担当するための事務手続きとかだってあるんスよね⁉」

「ええ、そうでしたね。それでは、女神業務の引継ぎを再開しましょう」

「全く……。なんなんスか、ホントに……」


 そうして二人の女神は、その場を立ち去ることにした。


 そこで。

「そういえば……」

 大通りを先に歩くサメ子が、おもむろにアツ子に話題を振ってきた。

「貴女はだいぶこの世界のことを予習してくれているようですが……この世界の『前任の女神』が、具体的にどんな不祥事を起こしたのかについては、聞いていますか?」

「え?」

 アツ子はその問いにしばらく考えたあと、こう答える。

「いや、知らないッス。特に興味もなかったんで、それについては調べてこなかったッス。だって、そんな不祥事を起こすような女神の出来損ないがすることなんて、知っても何の得もないっスもん。

 おおかた、誰かにチート能力与えすぎて世界のバランスを壊しちゃった、とか……そーゆーことじゃないんスか?」

「いいえ……」

 ゆっくりと首を振るサメ子。

「確かにその『前任者』は、チートを与えて世界のバランスを壊したことがありました。でもそれについては、ギリギリ減給で済んでいたのです。実は……実際に女神をクビになったのは、そのあとにやったことが決め手だったそうですよ?」

「へー。その『前任者』、チートよりもヒドいことやらかしたんスか? ほんと、どーしょーもないやつッスね、そいつ。

 で? 具体的に一体何をしたんスか?」

「花を……」

「え、花?」

「花を、動かしたんだそうです。勝手に世界の物理法則を書き換えて……ある場所から、別の場所へと、花を持ってきてしまったんだそうです」

 首を傾げるアツ子。

「うーん……。よく分かんないッスけど、そんなことぐらいで、女神ってクビになっちゃうんスね。あ、その花ってもしかして、サメ子センパイの担当する世界で言うところの、『赤いバラ』的なやつッスか? もしかしてその『前任者』、お気に入りの人間に真っ赤なバラをプレゼントして、愛の告白しちゃったとか?」

「さあ……」

 サメ子は思うところありげに、ほほえむ。

「今となっては、その花の色までは分かりません。私が聞いているのは、『前任者』の彼女が、ある場所の床に無造作に捨てられていたその花を拾い上げ、移動したということだけです。『あの日、プレゼントしたのに受け取ってもらえなかった花』の一輪を、今更になって『プレゼントされた相手の部屋』に投げ入れた、とね。

 女神の力で過去から現在に持ってきてしまったその花には、その間の数年分の年月の経過が積み重ねられていたはずです。

 だから、その花が今も『赤かった』のか、それとも既に『白くなっていた』のかということは、当時プレゼントした者の気持ちが、どれだけ強かったのかによると思いますが……」

「はあ……」

 それきり、口を閉ざしてしまうサメ子。結局彼女が何を言いたいのか分からず、アツ子は、適当に相槌をうつことしかできなかった。



 そんな世間話をしていた女神たちの隣を、一人の可愛らしい女性が駆け抜けていく。


 彼女は慌てて家を飛び出してきたらしく、走りにくそうな散歩用のサンダルを履いている。いつもならば丁寧に整えられているであろう金髪を振り乱し、キョロキョロと周囲を見渡して、誰かを探しているようだ。


 やがてその彼女は、曲がり角を曲がろうとしていたメイメイと、その車椅子を押すメイドを見つけると……大きな声で叫んだ。

「アレサちゃん!」

 赤い髪のメイドが、その声に振り返る。その顔を見て、金髪の女性はうっとりと優しいほほえみを向ける。

 そして彼女は、そのメイドに向かって、叫んだ。

「あ、あの……あたし……あたしね……やっぱり、貴女のこと……!」





 それはきっと、世界に何の影響も与えない、ただの日常の一幕。

 チートも冒険もない世界の、どこにでもある、ありふれた三角関係のワンシーン。

 だが、真実の気持ちから生まれた、紛れもない真実の物語だ。


 温かい涙を流しながら、赤髪のメイドに「恋する乙女」の表情を向けるその女性の手には……燃え盛るほどに真っ赤に染まった一輪の花が握られていた。

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ライバル・イズ・チートフル 紙月三角 @kamitsuki_san

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