08
「はあぁぁーっ!」
全力を込めて、金属杖を振り下ろすアレサ。
しかし、そこには既にトモの姿はなく、その杖は地面に突き刺さるだけだ。
「⁉ や、やったのね……!」
そのことの『意味』をすぐに気付いたアレサは、脱力して、その場にガクッと膝を落とす。安心と歓びに胸がいっぱいになった彼女は右目から、そして眼帯の奥の左目から、温かい涙をボロボロとこぼしていた。
「ア、アレサ……ちゃん……?」
広場の端で、ウィリアがつぶやく。
その声に応えて、アレサは涙をふいて再び立ち上がり、彼女のもとへと駆け寄った。
「ウィリア! さっきは本当にごめんなさい! ケガはしてない⁉ そ、その……詳しくは言えないけれど、さっきはああするしかなかったのよ! でも、今やっと全てが終わったから……!」
トモに絶望感を植え付け、決闘を最後まで遂行するためとはいえ、自分の想い人に攻撃を加えてしまったことは間違いない。アレサはその罪悪感で、必死に謝罪を繰り返していた。
一方のウィリアは、
「あ……あれ? わ、私、どうしちゃったんだろ……? なんだか、頭の中がよくわからなくて……。私、トモ……くんのことが好きだったはずなのに……。でも、今は彼のこと、なんとも思えなくて……。彼がいなくなったのに、全然……でも……でも……」
何が起きたのかまだ完全に理解出来ておらず、混乱しているようだ。アレサはそんな彼女に優しくほほえむ。
「ウィリア、大丈夫よ……。もう、全部終わったのよ……。ナバタメ・トモ・ヒトには、無意識に人を惑わす力があったの。貴女たちはその力で、みんな彼のことを好きだと思い込んでいただけなのよ。
でも、彼はもうこの世界にはいなくなった。元の彼の世界に、帰ってもらったの。だから、貴女たちの心が乱されることは、もうなくなったのよ……」
その表情は、さっきまでトモと戦っていた彼女とはまるで別人のようだ。さっきまでが血に飢えた殺人鬼だとしたら、今の彼女は、全てを包み込む慈愛に満ちた母のよう。
しかし、それこそがもともとの彼女だ。今の彼女こそが、ウィリアを愛し、この世界のすべての生物を愛している、アレサ・サウスレッドだったのだから。
彼女は呆然としているウィリアに近づき、そっと両手を背中に回して、彼女を抱きしめた。
「ウィリア……もう大丈夫。貴女は、何も心配しなくていいのよ……。貴女のことはわたくしが守って見せるから……。だって私は、貴女のことが……」
「アレ……サちゃん……」
ウィリアも、アレサに抱きしめられながら、ゆっくりと自分の手をアレサの体に伸ばしていく。そして、
ドンッ。
か弱いその手で、彼女はアレサの体を押して、自分から引き剥がした。
「ウィ、ウィリア……?」
押された勢いに流されるまま、地面に尻もちをついてしまうアレサ。そんな彼女に目を合わせずに、ウィリアは喉の奥から絞り出すような声で言う。
「トモくんがいなくなった瞬間から、あたしのトモくんへの気持ちは、どこかにいっちゃったみたい……。さっきまで彼に夢中だった自分が嘘みたいに、彼のことを何とも思わなくなっちゃってる……。でも……でも……。彼を好きだったっていう記憶は、まだ残ってるんだよ!」
駄々をこねるように、叫ぶウィリア。
「あたしはもう、彼のことを好きじゃない……でも、『確かに彼を好きだった』って記憶は、消えてなんかいないんだよっ! だから……だから……だから…………そんな彼を消しちゃったアレサちゃんのことが、たまらなく憎いの! あたしが大好きだった人を消しちゃったアレサちゃんが、許せないよ!」
「ウィリア……」
彼女は、アレサに背を向ける。
「だから……悪いけど、アレサちゃんの気持ちには応えられないから!」
そう言って、ウィリアはその場を立ち去ってしまった。
アレサは、一瞬彼女を追いかけようとしたが……すぐに思い返して、立ち止まった。
「そうね……。貴女なら、そう言うでしょうね……」
彼女は去り行くウィリアの後ろ姿を見つめる。絶望や悲哀ではなく、さきほどの優しい笑顔のままで。
「わたくしの知っているウィリアなら……きっと彼がいなくなっても、彼のことを想い続ける。一途で、しっかりと自分を持っている貴女なら、自分の想いをすぐに変えたりしない。そんなこと、最初から分かっていたわよ……。だってわたくしは、貴女のそういうところが好きなのだもの……」
「アレサちゃんなんて、もう顔も見たくないよっ!」
去り際に、ウィリアがそう叫ぶのが聞こえる。
しかしアレサは表情を崩さずつぶやく。
「大好きよ、ウィリア……。きっといつか、貴女をわたくしに振り向かせて見せますから……」
むしろ、今の状況になれたことが喜ばしいことであるかのように。
それからも。
ウィリアが森の木々の中に消えたあとも、アレサはずっと、彼女が去っていた方向を見つめていた。
これで、この物語は終わる。
ここから先にあるのは、もはや異世界転生やチートは関係のない、別の物語だ。
英雄殺しの汚名を着せられて落ちぶれたアレサと、想い人を失って心に穴の開いてしまったウィリア。それから……重い後遺症を残しながらも、奇跡的に一命をとりとめたメイの三人が作る、複雑で、痛々しくて生々しい三角関係の物語だ。
それはきっと、爽快感やスペクタクルやカタルシスはもちろん、喜びや笑顔もほとんどない。あえてここで語る価値などのない、後味の悪い物語になるだろう。
……だが同時にそれは、その三人の心の中から生まれた真実の感情によって紡がれる、真実の物語でもある。誰かから与えられたり強制されたわけでなく、彼女たちが自分で考え、悩みながら進めていく、本当の意味での彼女たちの物語だ。
それがどんな結末を迎えるのかは、誰にも分からない。
世界を統べる女神ですら、結末を予期することはできないだろう。
ただ……。
それがどんな結末になるにしても、ここまで語られてきた物語よりもはるかに素晴らしいということだけは、断言できる。
チートや英雄がいなくても……いや、きっとそんなものがないからこそ、人はもがき苦しみ、その人生を輝かせる。だから、そうやって作られた彼女たちの物語も美しく輝く物語であることは、間違いがないのだ。
だって……真実の心が作る真実の人生は、いつだって
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