滅びのけむり

宇波瀬人

滅びのけむり


どうして煙草を吸うんですかと、バイト先の女子高生に問われたことがある。身体に悪いし、お金もかかるのに、と。


「俺はさ、『いま』の世界が嫌いなんだ。そして、その『いま』を変えられない自分も。だから、こうして世界に有害な煙を撒き散らし、自分の身体にも取り込んでんるんだ」


 自販機に寄りかかり、紫煙を吐き出して俺はそれに答える。特に格好つけてる訳でも、なにかに酔っ払っている訳でもない。 自分で自分を殺す度胸を持ち合わせていない臆病者がほざく戯れ言だ。


 そんな俺に寄越された女子高生の反応は単純にして明快なものだった。


「え、気持ち悪い」


 一見してわかりやすい、嫌悪と侮蔑。まるでこちらの気など知ったこっちゃないとばかりの雑言を押してつけて、女子高生はさっさとその場をあとにする。


「……あー、」


 だから、嫌なんだ。こうなるから、俺はこんなことを願って煙をふかしてしまうのだ。


 世界なんて滅んでしまえ、と。


 ◇


 翌朝、俺は予定していた時刻よりも早くに起きた。アラームの設定を間違えたのではない。


 真夏の猛暑が、俺の眠りを妨げたのだ。


「……ちっ」


 やり場のない苛立ちを、舌打ちをこぼすことで受け流す。再度、寝ようかとも検討したが、暑さに追随する蝉時雨がそれを許さない。


 おかげで俺は起きることを余儀なくされ、布団から起き上がった瞬間、枕元に置いてあった時計に足の指をぶつける。


「っ、」


 起き抜けの頭を揺さぶる、鈍い痛み。俺はそれに苦悶しながら、急いで昨日履いていたズボンのポッケを探る。


 取り出したのは、煙草のパックとライター。それを握りしめて、俺は家の外に出る。


 パックから、煙草を取って口に咥える。火をつけて、肺を満たす毒の煙に浸る。そして、それを小さな苛立ちに込めて、



「ほろべ」


 と、呪いとともに夏の空に吐き出す。


 果たして、意味があるものなのか。いや、きっとない。それでも、俺は呪う。退くことも、進むこともできない俺ができることは、どこかの隅で煙を吐くことだけだから。


 ◇


 冷蔵庫のなかにまともな食糧がなかったので、買い出しに出た。そこで出会った店員はとても無愛想で、店を出るなり消えてしまえ願い、煙草に火をつけた。


 夜の海岸で、学生の集団が騒ぎながら花火をしていた。ここは禁止だと注意すると、うるせぇ、黙れと逆ギレされた。死んでしまえと呪い、煙草に火をつけた。


 夜勤のバイトに向かうと、来店した客に無愛想が過ぎるとクレームを受けた。滅べばいいと鼻で笑い、バックルームで煙草に火をつけた。


 そして、俺の一日は終わる。今日吸った、煙草の本数は六本。それが、俺が世界の滅亡を切に祈った回数だ。


 ◇


 今日も今日とて、俺は世界の滅亡をお祈りする。


 離れた地元の両親から届く、就職やら結婚やらの催促の手紙。やたら楽しそうに映った写真を上げる、知人のSNSの通知。騒ぐ蝉と、焼く日差し。すべてが、俺の怒りを掻き立てる。


 その度に吸って、吐いて、吸って、吐いて。まるで深呼吸みたいに煙草をふかしていると、「どうして煙草を吸うんですか」と、どこかで聞いた風な質問が飛んでくる。


「世界の滅亡を願ってる」


 反射的にそう言って、振り返ると、そこには見知らぬ少女がいた。


「どうして、世界の滅亡を願っているんですか?」


 ひまわり――初めて俺の答えに興味を抱いた、少女の名前だった。


 ◇


「あー、今日も煙草を吸っています」


 夕方。太陽がオレンジに燃え盛る頃、誰もいない伽藍堂の公園で煙草を吸っていると、俺に話しかけるものがあらわれた。


 病的なほどに白い肌に、薄墨を垂らしたような黒髪。ひまわりだ。


「またお前か」


「またお前かじゃないです。また煙草吸って! 駄目ですよ、身体に悪いんですから」


「うるさい、俺の勝手だ」


「勝手って……、またなにか嫌なことでもあったんですか?」


 母親さながらに鬱陶しいひまわりを邪険にあしらうが、ひまわりは去ることなく、こちらに踏み込んでくる。


 変な奴だと思いながら、俺は呟く。


「……暑い」


「へ?」


「毎日暑すぎる。それと、蝉がうるせぇ」


「あ、あー、なるほど。確かにそうですね。でもそれで、イライラしているんですか?」


「暑いのは嫌いだ。それに騒々しいのも」


「ふむふむ。では、寒いのは?」


「嫌いだな」


「……静かなのは?」


「嫌いだ」


「え、えー、どうしてです?」


「寒いのは落ち着かない。静かなのは不安になる」


「不安?」


「あぁ。やっぱり俺は、なににも必要とされてないってことを痛感させられるからな」


「……くす」


「なにがおかしい?」


「いえ、思っていた以上に……かわいくて」


「はぁ?」


「い、いえ、決して怒らせたいのではなく、なんか……意外で」


「……ちっ」


「あー! 新しい煙草吸っちゃだめです」


 ◇


「あら、今日も吸っているんですか? 煙草」


「……またお前か。暇人なのか、ほんと」


「えへへ。……それで、今日はなにがあったんですか?」


「……。バイト、クビになった」


「あらら。どうしてですか?」


「常連客のクレームが相次いでな。俺の接客が不愉快だと」


「……あー、確かに。いつも不機嫌そうだし、怖いですもんね」


「……あ?」


「い、いえ! なんでも! ……それで、他には?」


「……なんで他にもあると思う」


「足元を見ればわかりますよ。この本数、さぞやお怒りなのでしょう」


「……家のエアコンが壊れた。お陰で家の中は蒸し風呂だ」


「え!? 大丈夫ですか、こんなに暑いのに。体調とか」


「……まぁ、昔から身体だけは強いからな。ていうか、大袈裟に心配しすぎだろ」


「そうですか? 人を心配するのに、これぐらい普通ですよ」


「……そんなもんか」


「はい!」


 ◇


「あ、今日もやってますねぇ」


「……人を屋台みたいに言うな。しかし、つくづく暇だな、おまえ」


「それを言うなら、貴方だって。今日はどんなことが?」


「親から手紙がきた」


「親御さんからですか? 良かったじゃないですか」


「良くない」


「なぜ?」


「やれ彼女はどうとか、結婚だとか、就職はどうするのだとか、やかましいことこの上ない」


「ありゃりゃ。でも、駄目ですよ、親に心配かけては。とても大切な人ですから」


「……まぁな」


「……わたしも、これに関しては偉そうなことは言えないんですけどね」


「……なんで」


「ちょっと、事情がありまして。ですから、一緒に立派な自立をしましょうね!」


「ふん。勝手にやってろ」


 ◇


「あらー、今日も――」


「なぁお前、いい加減にしたらどうだ?」


「はい?」


「とぼけても無駄だ。毎日毎日、なんで俺に構う。何が目的だ? 金ならないぞ」


「失礼な。大体、お金がないことぐらい、見ればわかります」


「……それはそれでムカつくが、じゃあなにが目的なんだ?」


「……目的なんて、ないです。単に、貴方とお話するのが楽しいからです」


「俺と? 冗談だろ」


「本当です。なんていうか、わたし、事情があって、あまり人とお会いする機会がなくて。こんなに価値観が違う方とお会いするの、初めてなんです。だから、珍しくて……」


「……そうかい。まぁ、企みがないならいいが」


「はい、これからも一杯ムカついた話、聞かせてください!」


「……変なやつ」


 ◇


「じゃあ、今日の話をお願いします。本数を見る限り、今日も大量ですねぇ」


「あぁ。まずは、電車に座っている俺にどけと言ってきた年寄りだな。ったく、最近の若いやつはとか言っていたが、あれが奴のいう

 大人の姿なら、あぁはなりたくないな」


「そんな人いるんですね」


「いる。あとは、コンビニの箸だ。俺は膝に叩きつけて袋から出すタイプなんだが、中身の爪楊枝が指に刺さってな。なぜ、爪楊枝を一緒にいれるんだ」


「それは、貴方が悪いのでは……」


「うるさい。極めつけは、やっぱり蝉だな。あいつら、鳴き叫ぶだけじゃ飽き足らず、俺に激突した上にしょんべんまでかけていきまやがった。信じられん」


「ま、まぁまぁ。七日間の儚い命ですし」


「本当一ヶ月らしいけどな。そうやって同情を誘うのも気に入らん」


「へぇ、そうなんですか。意外と物知りですね。嫌いなのに」


「……嫌いだからこそ、な」


「またまたぁ、そんなこと――けほけほ」


「……お、おい。どうした?」


「い、いえ、大丈夫……けほげほ」


「大丈夫じゃないだろ。すぐに」


「大丈夫、です。少し発作が……。わたし、喘息持ちでして……」


「なっ――馬鹿か!そんな奴が、喫煙者に近寄るなんて」


「夕方になると、発作が起きなくなるんですけど……。すいません、今日は帰ります」


「あぁ、そうしろ」


「はい」



 ◇


 それから二日間、ひまわりがあらわれることはなかった。当然だ。喘息持ちの上に、発作まで起きてしまったのだ。これに懲りて、二度とあらわれることはないだろう。


「……」


 だというのに、どうして俺は公園にいるのか。我ながら、理解できない自分の行動を訝しみつつ、俺は煙草を咥える。


 さて、今日はなにを呪って、煙草で焼べようか。


「……あれ」


 そこで俺は、ネタがないことに気づく。世界を呪い、恨むようなネタがないことに。


「……」


 どうしてか。いくら悩んでも、それらしき解答には辿り着けない。それでも、不思議と、答えが見つからないことへの怒りは湧かなかった。


 唯一、わかることは、


「あいつがまたここに来れば、わかる」


 ということだ。


 ◇


「すみません、ご無沙汰してました」


「……おう、もう大丈夫なのか?」


「なんとか。お母さんには、怒られちゃいましたけど」


「当たり前だろ。関係ない俺ですら、怒ったんだ」


「貴方はいつでも怒ってるじゃないですか」


「……」


「でも、他人を思いやって怒ることは、珍しいですよね?」


「……だまれ」


「ふふふ。それで、今日はなにを聞かせてくれるんですか? 三日もあれば、相当溜まるのでは?」


「……まぁな」


「楽しみです――って、あれ? 今日は煙草を吸っていないじゃないですか。どうしてですか? 」


「……あぁ、それな。単純な話だ」


「……?」


「もう俺は世界を滅ぼす理由がなくなった――それだけさ」

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