「ユリって雑草だよね」

ちありや

本文

「ねぇ、百合ゆりって雑草だよね…?」

 休日、昼下がりの公園のベンチ、俺の隣に座るユリがぽつりと呟いた。


「…何だって?」

 唐突な振りに対応できずに固まる俺。


「百合の花ってさ、今ぐらいの… んと夏から秋にかけて道端で咲いてたりするじゃん、道で振り向いたら大きい花があって驚いた、みたいな。あれって誰かが植えたものじゃなくて自力で生えてきた雑草だよね? っていう話」


「あぁ、そういう事か…」

 何かの謎掛けかと勘違いして身構えていた俺はユリの説明に緊張を解く。


「誰の力も借りる事無く、気高くキリッと直立して、真っ白で美しい花を咲かせる。同じ『ゆり』としてそういうパンクな生き方に憧れるんだよね」


 確かに街角の花壇でも何でも無い所に1、2輪の百合の花が咲いている場面は何度か見た事がある。


 …でも待てよ? 確かユリ科って球根で増えるんじゃなかったっけ? 小学生の頃のうろ覚え知識で、俺は手元の携帯電話スマートフォンで検索をかける。ユリも「何してんの?」と俺の手元を覗き込んできた。


「あぁ、なるほど。『高砂たかさご百合ゆり』っていう台湾由来の品種があって、それは球根じゃなくて種でも増えるんだな」


 検索結果画面の出た携帯電話をユリに渡す。彼女は興味深そうに、しばらくその記事を読みふけっていた。


「…へぇ、『連作障害が出やすく、一時的に根付き拡がっても数年後には姿を消す場合が多い。種子は新たな原野へ風に乗って各地に拡がり、辿り着いたその地で生育して勢力を拡げ、時に群生して大きな花を咲かせるも、数年経つとまた他の地へ旅立つように去ってゆく』だってさ。なんかミステリアスでロマンチックだねぇ」


 気が済んだらしいユリは俺に携帯電話を返してくる。


「植物のバイタリティって時々感心するよね。アスファルトの道路をぶち抜いて根を張ったタンポポとかあるんでしょ?」


「…まぁ詳しくは知らねぇけどあるんじゃないの? ほれ、休憩終わり。オリエンテーション再開すんぞ!」



 …………俺とユリとの関係は何だろう…?


 元々の始まりはただのクラスメイトだった。それからたまたま同じ『ロードサイクリング部』に入って、たまたま新人歓迎オリエンテーションで相棒バディとしてペアを組んで、それが切っ掛けでよく話をするようになって、部活帰りに一緒にファーストフード店に行ってダベる様になって、学校への行き帰りを一緒にする様になって、休みの日にちょこちょこユリの買い物に付き合ったり、話題の映画を見に行ったり、2人で自転車に乗りながら少しだけ遠出をしてユリの作った弁当を食べたりする様な関係だ。


 そして今日は自主練を兼ねた長距離サイクリングデート(?)みたいな感じで、2人して走っている訳だ。


 ユリは女相手に虚勢を張る事も無く、男相手に身構えたり媚びを売る事も無い性格で、男女共に受けの良いキャラクターだ。

 その取っ付きやすさで友人は多いが、それでも常に俺を気にかけて、隣に来て話題を振ってくれる。


 これって何なんだろう? 俺もユリもお互い告白などはしていないので『恋人』では無いだろう。しかし、単なる『友達』と言うには俺達の距離は近すぎると思う。


 ユリは「アキトはバディだからね」と言いながら、俺に始終構いに来るし、俺と一緒に居る時は、いつも何かを言いたげにニヤニヤしているかの様な楽しげな表情を見せる。

 これを以て「俺はユリに惚れられている」と、豪語できるほど俺は世間知らずでは無い。しかし、「ただ良い様に遊ばれているだけ」とも思いたくは無い、複雑な男心が存在しているのも確かだ……。


 正直「嫌われてはないないな」とは実感できるが、「愛されているか?」と考えると『?マーク』が俺の周りに無数に浮かんでくる。

 そもそも母親以外の女性に愛された経験数が少なすぎて、ユリの言動が女性の愛情表現としてどの程度のレベルなのか比較対象が存在していない為に、俺の頭脳は回答を保留している。

 考えるに、一番しっくりくる答えは「動物になつかれている」だろう。


 結局ユリの気持ちはユリにしか分からない。当たり前の結論に落ち着いただけだった。


 一方ひるがえって、俺はユリの事が好き、なのかなぁ…? 正直なところ自分でもよく分からない。

 何かにつけて俺に絡んでくる様子は、恋人と言うよりは歳の離れた妹か、或いは飼い犬か? やっぱり感覚的に犬の方が近いな……。


 でもその嬉しそうに笑う仕草や、小柄でくるくる動く体、肩を覆うくらいある長い黒髪、ユリはその全てを使って人生を楽しんでいる様に見える。その生命力に溢れる様はとても魅力的だと感じる。


 お互い決定的な一言が無いままに、ズルズルと付き合っている様な雰囲気の俺達だが、やはりどこかでケジメを付けなければならないと思っている。

 今はまだその時ではないが、来たるべき日に俺はユリにきちんと「好きだ」と伝えられるだろうか?

 或いはどちらかが残酷な終止符を打つ言葉を告げる日が来るのだろうか…?


「アキト〜っ、ちょっと速いよー!」


 ぼんやりと考え事をしながら自転車を走らせていたら、ユリの追い付けないペースで走ってしまっていたらしい。

 スピードを落とし、ユリのペースに合わせる。振り向いてユリの様子を窺うと、こちらに『大丈夫!』と親指を立ててきた。


 俺の後ろにはいつもユリがいる。振り向くといつも彼女の笑顔がある。彼女の笑顔に後押しされて俺はまた頑張れる。彼女の風除けくらいにはなってやれる。今こうしている時間がとても愛おしい……。


 …あぁ、今はっきりと認識した。


『俺はユリが好きだ、愛している』


 …………。


 認識したは良いが、それからどうすれば良いのだろう? ユリに告白する? いやいや今更? さすがにちょっと恥ずかしいしな。でもこういう事ってやっぱり男から言ってやるのが筋って気もするが……。

 でもなぁ、やっぱり今更なぁ……。


「アキトーっ!!」


 またしても無意識に速度を上げてしまっていたらしい。俺は独り苦笑して再び自転車の速度を緩めた。



 予定のコースを回り終わってサイクリングデート(?)は終了した。小柄なユリには体力的に辛い行程だったかも知れないが、もともと今回のルートセッティングをしたのはユリ本人だ。

 時間は16時過ぎだが、まだまだ日が暮れるには早い季節だ。もう少し待てば綺麗な夕日を見られるだろう。


「ふぃ〜、もうヘトヘトだよぉ。奢るからジュース買ってきて。なんかポカリ系」

 昼過ぎに座っていた公園のベンチに、再び沈む様に座り込んだユリが、尻ポケットから小銭入れを取り出して俺に渡す。


 別に飲み物くらい俺が奢ってやっても良いのだが、それをすると『二重に借りができるからイヤだ』とユリが機嫌を悪くするのを知っているので、大人しく小銭入れを受け取る。


 飲料の自販機は公園の外にあるのだが、公園の出入り口を通るとえらく遠回りになる。なので俺は公園の外周に沿って設置されている高さ80cm程の柵を跨いでショートカットする。

 リクエストのスポーツドリンクと自分用の微糖コーヒーを買って、来た道を戻って柵を跨ぎユリのもとへ向かう。


 ユリは何やら携帯電話を弄っていたが、俺の帰還に気付くと隠す様にそそくさと携帯電話を仕舞い、俺を見て興味深げに言った。


「…男の人のそういう柵とかガードレールとか跨ぐの気持ち良さそうだよね。一度やってみたいんだけど、女だと身長的に跨げないとか、スカートだったりとか、はしたないとかで出来ないもんねぇ」


 へぇ、そういう物なのだろうか? 『柵を跨ぐ』行動の考察など今までした事が無いから、ユリの言葉に意表を突かれてしまった。

 携帯電話で何をしていたのかただすつもりだったのだが、この唐突な話題振りで意識を逸らされてしまった様だ。


 後にして思えば、ここで携帯電話の事をもっと踏み込んで聞いておくべきだった。そうしていれば俺達の未来はまた別の展開を見せたはずだった……。



 予定していたコースを完走し、ユリの疲労も濃い事もあって、本日の自主練はここで終了となった。


「おつかれさん、ユリも随分スタミナ付いたよな」


「誰かさんのスパルタに付き合ってきたからね。でももうヘトヘトだよ、早くお風呂入って汗流したい〜」


「な、なぁ、腹減ってないか? 良かったらこの後に夕飯でも…」

 ユリを好きだと自覚してしまった俺の挙動不審な誘い文句が、自分でも聞いてて痛々しい。 

 更に良ければ食事の後に大人の時間でも作って… という邪念も入っていただろうから、その痛々しさは相当な物だったろう。


 ユリは俺の顔を興味深げに観察した後、なにやらニヤニヤしながら答えてきた。

「アキトの折角のお誘いなんだけど、今回は遠慮しておく。汗臭い体でお店に入りたくないし、冗談抜きでヘトヘトなんだよ。…それにアキトの目がハンターの目になってて少し怖いし」


「な?! お、俺は別に変な事は…」

 俺の考えなんてユリには全てお見通しなんだろうな。これは負けを認めるしかないかな…?


「あははははっ! アキトってば分っかりやすいよねぇ。…また今度誘ってよ、もうちょっとお洒落してさ」

 ユリは半分嬉しそうな、半分寂しそうな顔をして微笑んだ。


「オッケー、ならせめて家まで送っていくよ」


「大丈夫だよ。むしろ汗まみれの私のフェロモンで、アキトが変な気を起こす方が怖いし…」


「な?! 起こさねーよ!」


「あははっ! それじゃまたねーっ!」


 大声で笑って楽しそうに手を振りながら、自転車に跨りユリは自宅へと走っていった。



 …………俺がユリの訃報を聞いたのは、その翌朝だった……。



 連絡があったのは部活の顧問教師からだった。俺と別れた帰り道、ユリは自転車のバランスを崩して転倒、後続の乗用車にそのまま撥ねられて、帰らぬ人となったらしい。

 警察からユリの両親、学校、顧問教師、そして俺の順番で話が流れて来たようだった。


 呼ばれた病院では警察官、医師、顧問教師、ユリの両親と思われる中年夫婦が、何かを深刻そうに話し合っていた。


 俺も合流し話に加わる。『何かの間違い』であって欲しかったが、ユリは既に医師による死亡が確認され、遺体は地下の霊安室に安置されたらしい。

 最後に一度だけでも彼女の顔を見たかったが、病院から家族以外には見せられない、と断られてしまった。


 ユリを撥ねた運転手の証言と、ドライブレコーダーの映像から、夜道を自転車で走っていたユリは、転倒する前から結構フラついていたらしい。そこで偶然に小石か何かを踏んでバランスを崩して転倒、悲劇が起きてしまった、との事だ。


 警察としては事件性が見られ無い為に、通常の交通事故死として扱う旨を告げて警察官は去って行った。


「なぁアキト、お前昨日ユリとオリエンテーションしてたんだろ? 何か変わった所は無かったか?」


 顧問の声が遠回しに俺を非難している様にも聞こえる。俺は何時頃に何処を通って、という昨日の出来事を簡単に説明した。特段ユリにおかしな所は無く、明るく笑いながら「またね」と別れた事も告げた……。


 …言われるまでもない。小柄なユリを疲れ果てるまで体力的に追い込んだのは俺だ。それに俺が昨日もっとしっかりしていれば… 無理にでも夕飯や送り届ける事を諦めなければ、こんな悲劇は回避できたはずだ。


 ……俺がユリを殺したんだ……。


 俺は隣で無言だったユリの両親に深く頭を下げた。

「本当にすみません。俺のせいです。俺がちゃんと最後まで付いていればユリさんは…」


 娘を殺された恨み言を覚悟していた俺は、思わぬ静寂に動揺する。ユリの両親は無言のまま見つめ合い、お互いをいつくしむような素振りを見せたあと、1台の携帯電話を懐から取り出した。ユリの持っていた携帯電話だ。


 やがて彼女の父親がゆっくりと話しだした。

「貴方がアキトさんですよね? 娘がよく話題に出していましたよ。願わくばもっと良い雰囲気、いやその時には私だけは気難しい顔をしているかな? その時に貴方とお会いしたかった。…娘の携帯電話に貴方宛のメールが入っています。今はまだ私達には辛すぎるので、暫く貴方が持っていて下さい。返すのはいつでも構いませんから…」

 そう言ってユリの携帯電話を俺に差し出してきた。


 俺はメール欄の『未送信』を確かめた。『アキトへ』と名付けられたメールが1件だけ入っていた。そこには……。


『アキトへ。

 今日はオリエン付き合ってくれてありがとうね。

 あのね、面と向かって言うのは恥ずかしいし、このメールだって送信できる覚悟が付かないけど、とりあえず書きます。


 私ね、きっとアキトの事が好きです。

 前々から気にはなってて色々と声を掛けてきたけど、それはアキトがぼっちで寂しそうにしていたから、救済してあげようとしていたんじゃなくて(それも少しあるけど…)、私なりにモーションかけていたんだよ? アキトはニブチンだから気が付かなかったかも知れないけど(笑)


 今日、アキトの後ろを走っていて、「楽しいな。ずっとこうしていたいな」って思いました。

 アキトも私の事を好きで、いやせめて嫌いでなければ良いな、と思います。


 これからも変わらぬお付き合いを。願わくばもう少しロマンチックなお付き合いをしていきたいと思っています。

 ずっとアキトの隣に居られたら良いな……』


 読みながらも途中から涙で画面が見えなかった。足にまるで力が入らずに膝からガクリと崩折れる。人目もはばからずに、その場で子供の様に大声で号泣した。


 俺もユリが好きだったのに。この手に抱きしめてやりたかったのに……。

 ほんの少しの躊躇ためらいのせいで、勇気が足りなかったせいで、俺達の未来は蜃気楼の様に『見えているのに手が届かない』存在になってしまった。

 悔やんでも悔みきれない無力感にさいなまれながら、俺は涙を流し続けた……。



 あれから一週間、まるで頭が働かない。ずっと長くて悪い夢を見続けている様な感覚で、俺自身が起きているのか眠っているのか? いや… 生きているのか死んでいるのか分からない状態だった。


 俺の親にも心配された。いつもは会話の殆ど無い父親からでさえ「大丈夫か?」と声を掛けられたほどだ。


 確かに俺まで腐っていても、天国のユリに心配をかけるだけだろう。俺なんかよりも彼女の両親の方が苦しんでいるんだ。

 俺も乗り越えなければならない。そう思って久し振りに学校に顔を出す事にした。


 俺とユリが仲良くしていたのは周知の事だから、ユリの事をデリカシー無く聞いてくる輩も居るかも知れない。けど、ここで挫けたらそれはそれでユリに笑われそうな気もするんだよな。

 何にせよ頑張るつもりは無い。気分が悪くなったら遠慮無く帰らせてもらう。


 働かない頭でそんな事を考えながら通学路を歩く。確かいつもこの辺りでユリと合流して学校へ向かっていたんだよな……。


『アキト…』


 …ふと何かに呼ばれた様な気がして、振り返った視線の先で一輪の高砂百合を見つけた。

 アスファルトの隙間に空いた穴から力強く茎を伸ばし、そのてっぺんに誇らしげに咲いた白い花は、まるであいつの笑顔を思わせる様に、大きく開いて俺の方を向いていた。

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