珈琲は月の下で No.2
久浩香
第1話
私は、珈琲である。
私は今、この部屋の主人に、ベランダの手すりに置き忘れられている。
粉であった私は、主人が初めて連れて来た娘によって、匙で掬われ、湯に浸かり、珈琲になったのである。
娘によって、座るの主人の前のテーブルに置かれてた私であったが、何を思ったのか、主人は、私を持って立ち上がり、ベランダに出たのである。
ベランダの手すりに背を預けながら、主人は、私をズズーッとすする。
ん? 主人は猫舌か?
しかし、私は、美味いであろ?
こらっ。「美味い」と言え!
「美味い」と言って、息を吐き、私の揺らめく姿を見て、ホッとする。
それが、私に対する礼儀であるぞ。
まったく。
私を見るどころか、のけぞるとは何事か!
「こっちに、おいでよ」
この部屋の主人は、珈琲に対する礼儀がなっとらん。
やっと、顔を室内に向けたと思ったら、私を一瞥する事もなく、娘をベランダに手招きおった。
「えっ? 何? どうしたの?」
娘がやって来る。
娘は、我が兄妹をテーブルに置いたままである。
しかし、この娘は、我が兄妹を飲んだ後、その揺らめきを見て、ホッと息を吐いておったのを私は知っておる。
「美味い」と言ったかどうかは、私も、主人が、私に礼儀を尽くすかどうかに気をとられておったので、聞いておらんが、恐らく、言ったのではないか。と、推測する。
「ほら。見てごらん」
おっとぉ。危ないではないか。
急に、回転などするから、私が零れかけたぞ。
私は、人の体内に入ってなんぼという存在である事さえも解らぬか。
主人は、天空を指さす。
私を持つ腕の横に娘が立つ。
なんという事だ。
主人は、私を指から離し、娘の腕に手を回しおった。
「ほら、月がとても綺麗だ」
「あら、ほんと。今日は満月なのかしら?」
「こんな綺麗な月の晩に、君を我が家へ招待できてよかった」
娘が笑う。
「やだ。なあに、それ」
ふん。月なんぞ、どーでもよいから、私を飲め。
そして、「美味い」と言え。
うん?
おいっ
こらっ。
主人。
室内に戻るなら、私も連れていかんか!
そうして、私は、置き去られたのだ。
けしからんと思わんか?
一晩中、風にさらされ、私はすっかり冷たくなってしまった。
私を乗せるカップが、よくぞ、落下せんかったことよ。
ああ、情けない。私に埃が浸かっとる。
は~。やるせないのお。
「あれ? 俺のカップ、知らない?」
ここにおるよ。
「え~っ。知らない」
「あれ~? どこにやったかなぁ?」
だから、ここだと言うておる。
ガラリと、音がする。
ふん。ようやく、見つけたか。
よぉ。お早いお目覚めじゃな。
私は、たっぷり、日向ぼっこをしたぞ。
「百合ちゃん。あったよ」
あったも何も、主人が、あそこに置いたのじゃ。
はぁ。
まあ、そうか。
覚悟はしとったよ。
じゃがな、この家の主人よ。今度、このカップに入る、私の弟妹には、
「美味い」といって、息を吐き、揺らめく姿を見て、ホッとしてやってくれ。
それが、排水溝に流される、私への詫びだと心得よ。
完
珈琲は月の下で No.2 久浩香 @id1621238
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