第九話 女がオンナを殺そうとする話

航路を往く

 冷たい。ずっと冷たい。そういうところにいた。


 船の底というものがどんな場所なのか、現実にどうなっているかは関係がない。私はほのかに揺れていた。板のむこうには低温の水が流れている。音で分かった。冬の川なんてずっと浸かっていたら死んでしまう。これは比喩表現ではなく、ただの事実。そんな極寒と紙一重、いや板一重だろうか。流体へ触れてもいないのに感じている。私は船の底にいる。水がすぐそこにあるのに、沈まない。溺れない。苦しくないのに息がしづらいような気がする。圧迫感。そういえばどこから出た船旅だったっけ。私は北関東の山奥で生まれ育って、南関東の山辺に越しただけの人間だ。江戸時代じゃあるまいし、関東圏で水路を使った移動なんてそうはないのに。ああ、でも登戸には戦後まで渡し船があったんだっけ。そう考えると人類の発展なんてものは飛躍的というペースでは進んでおらず、想像以上にゆっくりと染み渡っていったのだろう。ただおそろしいのは、なんの意思も感じさせないほど粛々と、一年分と決めたらしっかり一年分の発展を遂げてきたというところだろうか。これは人類のおそろしさなのか、歴史というもののおそろしさなのか。同じく粛として声もない航路を往くこの船も、なかなかに恐怖の対象。せめてどちらかでも教えてほしい。


 私がどこから来て、どこへ行くのか。


 しかし次の瞬間にはゴーギャンが問うたもうひとつの疑問符である、何者であるかという部分を復唱したくなる。彼は自己をはじめとする一人称複数にそれを投じたのかもしれない。が、私は純粋に、見えた光の先へと口を開いてしまいたくなった。

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女がオンナを殺そうとする話 武内颯人 @Koroeda

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