そっくり
「まだ、受験までもう少し時間もあるんで、きちんと知識をつけたいんです」
ボーダーラインぎりぎり。カズキくんのもとに返ってきた最終模試の結果は、県内でも比較的上位にあたる県立高校に届くかどうかという、もっとも本人にとっては重圧になるものだった。私がふたりの共通テストから二日後の月曜日、彼の授業を担当している午後七時。
「もちろんそれはがんばるべきだと思う。ただ、社会はこのあいだよりもずっと伸びているんだし、ほかがこれまでとおりの点数取れれば大丈夫だよ」
「それでも、後悔したくないです。社会にもっと時間取るんで……!」
やたらと真摯な瞳をしているなとこっちが気にしてしまうのは、やはりこのあいだのアキ先生との衝突を思いだしてしまうからだろうか。ギャップというカワイイ言葉ではなく、たんに相手の講師によって態度が変わっているだけなのだろう。彼の姉の日本史を担当していたという過去もあってか、多少は信用をおいていてくれているのは、まあ、光栄といっていいだろう。
「……ちなみに社会の範囲で今回落としたのは歴史の範囲が多かったと思うんだけど、時代の順番は言える?」
残り時間と彼の能力を考え。とっておきの魔法でもないが、即効性のあるトレーニングみたいなものをやってもらうことにした。
「時代って……江戸とか明治とか、そういう?」
「そう」
「旧石器、縄文、弥生……古墳? あと飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町……戦国って……?」
「戦国は室町時代の一部だと思ってくれればいい。後半の部分ね」
ときは戦国、なんていう謳い文句もあるくらいだから中学生は混乱しがちだし、戦国時代という歴史の用語が本当に存在する以上、こういう話のときには余計にこんがらがってしまうだろう。基本的に昨今の教科書では、その時代は室町時代から安土桃山時代にかけての過渡期に対してエクスキューズが打たれているだけで、受験にはほとんど使われることのない用語だ。
「そういうもんですか……」
室町幕府後半、応仁の乱か明応の政変か、そのあたりをはじめとし織田信長の上洛から大阪夏の陣まで、研究者によってその期間は大きく時期をずらして解釈されているのが戦国時代という用語だ。ゆえに義務教育の教科書で扱うにはむずかしい。
「じゃあ続きは、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和」
「まあ令和は出ないだろうけどね」
最後まで言ってくれてありがとうと笑いかけ、彼もそうっすねと綻んだ。
「あとはその時代ごとになにがあったのか、順番に言える? それをくり返していくとなかなかいいトレーニングになるよ」
「なにがあったか?」
つまりはなにをしろというのか、カズキくんの疑問が言葉になる前に私は先回りすることにした。
「やってみせるよ」
こんなものは覚えてしまえば無思考のうちにできるから、言葉を切ってすぐに息を吸う。手元にあった資料集の年表を彼に見せ、私はそれを見ないように壁掛け時計でも眺めておく。
「旧石器時代は打製石器が使われていて大きな動物を狩猟していた、遺跡は群馬県岩宿遺跡。縄文時代は磨製石器が使われるようになり土器も発明された。狩猟対象の動物も小型化して弓矢も出てくるようになる。それらの遺跡は青森県三内丸山遺跡。弥生時代は稲作や金属器が伝わってきたことにより社会のありようが変化して、稲作のために定住するようになったムラは得られた米を高床倉庫に保存し弥生土器で調理をしていた。稲作は富という概念を生み、それらをめぐって争いが起こるようになった。そのとき使われていたのは鉄器となっていて青銅器は祭器としての役割を持っていた。そういった争いを前提とした遺跡も見つかっていて、吉野ヶ里遺跡なんかはその典型例。それからより大きなクニが生まれていった結果、奴国というところの王様が……」
と弥生時代までは語っていった次第だ。なにを見ることもなく中学生の教科書レベルというおおざっぱかつとても大切な知識たちを並べていく私を、彼はある種の羨望でもって見つめていた。これくらいのことはどんな講師にもできることだし、大学を出ている以上は当たり前の知識ではある。子供からはそうは見えないのだろうが、なんだか人を騙しているような気分になるから、私はこの仕事にむいていない。
「とまあこんな感じで、ひたすらどの時代の特徴、ほかの時代となにが違うのか、を自分の言葉にして説明していくの。巻物を開いていくみたいにシームレスに。文言を暗記するんじゃなくて事象を覚えておいて、それらの繋がりを自分で作っていくの。そうしたらあらゆる順序はきみの文脈として並べられるようになるから、思いだすときの手間暇は格段に減るよ」
大切なのは触れておいて、歴史という時間を自分のものにすること。実際に流れとして覚えてしまえば、英単語の暗記なんかと比べて難易度は低くなると私なんかは思ってしまう。
もっとも、そこそこには歴史が好きな人間の戯言といえばそうなのかもしれないが。
「……やってみます」
うなずいた彼の焦燥感と使命感が同時に滲んだ顔は、ひどく姉に似ている。ハナさんの受験勉強も嵐が何度も襲来するような空模様だったわけだが、そのなかでもとくに、やるしかないのだという気負いかたはそっくりだった。
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