終わらない物語

 川崎市多摩区、東京に一番近い郊外。宵を越えてなお光が瞬きながら、どこか虚しさを漂わせている街。コンビニの居場所が年に一回、どこかしらで変わっていく。それを変化と呼ぶのかすら分からないが、ともかくは既視感ばかりの空間でただ、私たちは並んで歩いた。セブンイレブンのコンビニコーヒー、スタンダードな白いカップではなく、ちょいとお高め赤いカップのコーヒーを奢らせては、紙コップはポイ捨てするなよと注意する。あれは明らかに不自然だったろうと笑いものにし、普段は白いあいつの顔が真っ赤になっておもしろい。ぽかぽかとこちらを叩いてくるものだから、腕の負傷で二年ほど休暇を貰おうかなとボヤいてやった。どんだけバカにすんのさと言われても、小田急線の線路が四線から二線へと細くなっていく高架沿いじゃ、倫理なんて三の次だ。大切なのは経済効率。今までの貯金を返してもらうように、徹底的にマチをバカにしてやらないといけないのだ。居酒屋とラーメン屋ばかりが立ち並んだ半ドヤ街じゃ気の利いたものなんて売っていないが、洋服やら靴やら、今度なにかしらねだってみようか。駅前にならんだファストフードごときで納得するほど、マチが私にかけた迷惑は安いもんじゃないさ。ナイキエアマックス200なんて型落ちだし、また別のものでも買ってもらおうかな。マチのスニーカーもこの二週間でずいぶんボロボロになったようだし、年末のセールでも狙ってみよう。やたらと短い横断歩道に信号機、だれもが得をしない、基準もはっきりしない待ち時間を利用して、そんな予定も立てていく。もっとも、学力がどれだけ落ちていて、これからどれだけがんばるかによるのだが。まあ半日出かける余裕ぐらい、私が作ってやるさ。ちょうど今年は帰省もしないと告げてあるのだし、実家で過ごす回数がひとつ減って、マチと過ごす正月が増えていくのだ。


 そんな未来を組んで、多摩川から流れこむ二ヶ領用水を眺める。そこから水を汲んでいたという、古い生活を夢想する。マチもぼんやりと、多摩川の源泉、水干について語っている。山から湧き出た泉。そこからあふれたものたちが、下流の人々の生活を支えてきた。人の生きては死んでをくり返させた大河。泉から街を結んだ流れを、歴史と表現できるのかもしれない。マチも私も、まだまだそれを、勉強している途中なのだ。知識を溜めて、しかるべき瞬間に使うため。それがいつか、だれかを助けることになるかもしれないし、自分を楽しくするかもしれない。期待しているわけでもないが、ただそういう可能性だけ抱いておく。



「あ、やっぱり郵便物溜めてる」


 少しは元気を取り戻してきたマチは、世話が焼けるぜと自身の家のポストへ向かう。集合ポストの一角から、たしかにチラシなんかがはみ出ている。最近は配達系の広告が増えたものだ。そんなものばっかり頼む経済力が、こんなアパートに住んでいる人間にあるとも思えないが。


「あ、じゃあ先生のところもチェックしてあげよう」


「他人の家のポスト勝手に開けんな。てかさっきチェックしたからいいっての」


 すっかりいつもどおりになったもんだ。しかも番号ロックすらないセキュリティ皆無な銀箱だから、マチの指ひとつで節操なくこじ開けられてしまう。


「でもなんか入ってるよ? 合鍵があるのはいつものことだけど」


「勝手に開けんなっての」


 過去から現在へといたる現在完了時制的注意。マチに見られて困るようなこともないが、境界線を引いておかないことにはどこまでも侵入を許してしまうから、ともかく口頭で注意はしておく。マチはしげしげと一枚のハガキを眺め、次第に顔を険しくしていく。


「なに? だれから?」


「いや……これ……」


 そこには乱雑で、ただひとつのメッセージが綴られている。言葉は理解できるが、どうしてまだこんなものが投函されているのか、なんの危機が迫っているのか、現実的な問題点はなにも解消できない。






『となりの部屋に住む人間とこれ以上関わるな』






 関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わる関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わるな関わる




「なに……これ……」


 思わず周囲を見渡した。混乱した脳味噌じゃ視覚を整理することもできなくて、ただあたりに人がいないだろうか、だれか私を殺そうとしていないだろうかと最低限のチェックをするだけ。あのハガキは最初から、ダンチのしわざではなかったのだ。


「先生……」


 絶句しているマチ。私もまた、寒気を覚えて立ち尽くしていた。やはりそれは、冬のせいではないらしい。今日で全部が片付いたと思いたかった。けれどまだ、何者かがそれを許さないよう。


 言い知れぬ恐怖。終わらない物語。


 私たちはまだ、その銃口をつきつけられていた。

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