べつになんの用でも
「……やれやれだ」
だれもいないベッドに五体を投地。疲れやら解放感やら、まだ残った腹の痛みやらが混在しつつ、着替える気力もないまま白いパーカーにくるまった。死ぬならこれを着て、なんて思ってはいたが結局は帰ってこられてしまう。人生案外楽勝だ。こりゃ傑作。今日は夜にちょっとだけ授業があるから、それまでは眠ることとしよう。まだ午前中も何時間か残っているのだし。余裕があると思うべきだ。
「土曜日まであと三日か……」
マチが殺人を犯すまでのタイムリミット。しかもターゲットは私かもしれないときたもんだ。水曜日の今日は睡眠と仕事で壊滅するとして残り二日。もちろん仕事があるし、そこを抜けられるほど責任感がないわけでもない。マチだけが私の生徒ではないのだ。
「パーカー返すぞ」
だれも返事をしてくれない。返すと言っているんだから、取りにこいよ。借り物は返さないといけないんだ。
暗く沈んでいくような気分だ。あそこまで無茶をすればなにかしらの光明が見えてくるだろうと思っていたのに、とんだ思い違いで大損。これからどうするべきかなんて考えつかない。頭の中身がミルクセーキのようにドロドロになってしまった状態では、妙案が浮かぶはずもない。とにかく一度眠るしかないが、それにしても絶望的だ。マチが用意した暗号も解けそうにないし、かといって放っておいていい状態でもない。どこかであいつの言っていることがおままごとのように聞こえていた、感性を恨む。マチはそんなことはしないだろうとタカをくくっていたし、正直今だって疑いの念だけは残っている。が、拳銃なんてものを持ちだすとは覚悟が違いすぎる。伝聞調で伝わってきたマチの殺人宣言も、真に受けざるをえないじゃないか。
「……もう、疲れたな」
ひとつだけ自分でもおかしいなと思っているのは、自分が標的にされているかもしれないという部分だけはたいして恐ろしくないということだ。そりゃ死ぬのは嫌だし痛いのだってまっぴらだ。今朝も死ぬほど痛かったし、二度とごめんだ。あまりにも現実感がないから考えが弛緩しているだけだろうか、マチになら殺されてもいいだなんて関係性ポルノでもあるまいし。
悲しいかな、こうやってマチを探していることに心当たりがあるのだ。恋人がとても大切にしていた幼馴染に出くわしてしまって、孤独で、塞いでいた穴がまた開いてしまって、寂しくないと考えながらも騙せないで。
「くっそ……!」
すっげー悔しい。
べつになんの用でもいいから、私はマチと顔を合わせたかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます