俺は三七歳じゃない

 調子づいて無駄話がすぎてしまった。咳ばらいをひとつして、句読点を打つ。そうだ。私はまだダンチに聞きたいことがあるじゃないか。メモ用紙はあるかと尋ね、デスクから太く滑らかなボールペンとメモストッカーが丸ごと寄こされる。一枚でよかったのにと言いながらも、ともかくはマチの残した数字を書きとめた。


「これ。二〇〇〇〇.三七、という数字でなにか思い浮かべることはある?」


「二万と三七……マチが書いていったのか?」


「ええ、カレンダーに。日付でいうと二八日、今週の土曜ね」


 頼むぞダンチ。これこそ本丸だ。しげしげとメモを眺める彼は、コーヒーをまた一口。じっくりと吟味しているのは味覚と視覚、どちらともだろう。この数字がなにかの暗号であろうことは普通に考えれば予測がつく。二万年も生きている人間がどこかの居酒屋に来るわけもないし。まあ来てくれてもいいのだが、それはもうマチを探すどころの騒ぎではなく、人類史に残る発見という新たなイシューが爆誕するだけだ。


「なんでもいいの、お願い」


「ひとつ言えることがあるのなら……」


「なに?」


 ソファテーブルに手を打ちつけるように前のめり。やってから思ったが高いんじゃないだろうかこれ。丸い木製のそれは、分厚くて安定感もバッチリ。もしや一本の木からできちゃいないよな……。貧乏人根性を発動させてもしかたがないから、このままの姿勢で聞く。


「俺は三七歳じゃない」


「あ?」


 それがなんだと口が開いたままになる。ついでに首もかしげてやったがなによりも眉毛がねじ曲がるのが感じ取れた。ここまできて殴られ損というのも勘弁してほしい。ここまで来て分かったことといえば、ダンチはなんでも解決してくれる、すべてを知った情報通キャラではないということ。他人に求める属性じゃないのは分かってはいたけれど。


「悲嘆に浸っているところ申しわけないが、これは大切なことだぞ」


 よけいに眉をひそめてしまう。


「どんなふうに?」


「つまりはマチが出した問題の終着地点は俺ではないということだ。イズミが俺のところに到達するのも同じく。カレンダーとやらは一一月で終わっていたのか? 来月の日付は?」


 淡々としている。情報を整理しつつ私への説明をしてくれるところは、なんだか場数の違いを思い知らされるな。


「来月の分はなかったわ」


「じゃあ犯行予告日と考えるのが妥当だろう」


「数字の意味も分からないのに断定していいの?」


 私の素朴な疑問は、ダンチの首振りで払い落とされてしまう。


「単語の意味が分からなくても読解を進めなければ問題は解けない。英語にせよ古文にせよ、なんなら現国だってそうだろう?」


 あてつけに勉強関連の話題を出してくるあたりは、マチにちょっと似ている。こういう嫌味はスルーにかぎるが、ダンチの考えはある程度は的を射ていると考えるべきだろう。現段階で確定しているのは、マチが仕掛けた知恵合戦の決着の日が一一月二八日であるということ。あいつの宣言によれば人を殺すとのことだが、その対象は不明、あいつの居場所も不明。


「……でも正直、それだけ分かったところで……」


「ああ、さっぱりだ」


 明確にお手上げ宣言を頂いてしまえば、ふたりして宙を眺めるしかなくなる。お互いにいい考えが浮かんでこないかと思考のプールを泳ぐ時間でもありながら、一回やめにして別の可能性が広がる草原を歩く時間でもある。脳内の整理整頓のためにとコーヒーをひと口。ひさしぶりの飲み物に舌や喉が歓喜する。


「いけね」


 飲まないと決めていたのに。ここまで気を緩めているやつがあるか。


「どうした?」


 バレた。いや、バレていたというべきか。ニヤついているダンチの顔に蹴りでもかましてやりたかったが、それで子分でも呼ばれたら万事休すだ。今度はどこを殴られるんだか、それどころじゃ済まないか。


「と、ところでマチが買っていったっていうメリケンサックなら、今私が持っているんだけど、マチはどうやって人を殺すつもりなんだと思う?」


 急場しのぎだ。これを議論したところで答えが出ないのなんて分かっている。それこそ紐の一本でもあれば殺人は可能だし、マチの腕っぷしなら素手でやることも不可能ではないだろう。ブラジルを思わせる酸味に不覚を喚起させられ、座り心地の悪さからお尻の位置をずらす。


「……言ってなかったか? というか、知らなかったのか」


「なにを?」


 模試の成績が悪かった生徒をフォローするような表情だ。


「マチがうちの紹介で買ったのは拳銃だぞ。そんなおもちゃじゃない」


 拳銃? というのはあの拳銃だろうか。ピストルというもので、引き金を動かすと弾丸が飛びでていって敵に当たるという道具。この世にある武器というものを列挙していけば、片手の指を折り終わるまでに出てくるであろう主要メンツ。マチがそんなものを持っているところを見たことはない。想像もしたことがない。


 だって、人殺しの道具をなにに使うのか、私には分からないから。

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