そいつは私の獲物だ

 深夜、登戸駅を過ぎて多摩川に進む。人の流れは消え失せて、ただ水の塊と街灯だけが私を見守っている。手をつっこんだコートのポケットの中身を確かめるように握った。吐く息は白いし、首元も寒い。マフラーをしていないからどうしようもない。だって掴まれでもしたら面倒だろうから。そういったウィークポイントは潰しておくにかぎるのだ。


「ああ、やってる」


 土手を歩いていると、案の定そういう現場に出くわした。左にはサクラさんと食事をしたRIVERSIDE POINTが見えている。あそこで貰った伝言は、マチが私を導きたい場所への方向を示してくれていた。


『ぼくは転々と移動をくり返しているから、絶対に見つけることはできない。黄金のレーニン像のように』


 あの文言はどう考えたって、私がこれまであいつが指定した相手と話していた内容を知っているからこそ出てくるものだ。おそらくは四人と話しているなかで、なんらか「答え」に近づくようなワードがあったのだろう。不能到達極を絡めているというのが自信たっぷりでよろしいが、注目するべきはそこではない。


『物騒なことは、これ以上知ろうとしないほうがいい』


 つまり、私が少しは〝物騒なこと〟を知ったということだ。これまでの会話でそれに準じていそうな言葉を、ヒントを、探す。言葉のとおりそれはヒントにすぎないが、マチが教えてくれないならほかの人間に聞けということなのだろう。アテもないわけじゃないし。


「こんなご時世に、元気な人たちもいたもんだ」


 やれやれ。手先が冷たいのは寒さのせいというよりは、さすがに緊張しているからなのだろう。


 マチがサクラさんとの会合に選んだ店。多摩川沿いにある場所だけは、ほかの飲み屋と違って完全に予約がとられていた。もともと予約制で必ずしなければならない店だったようだが、あえてそんな店を選出したというのなら、そこにも理由があるはずだ。そのタイミングで伝言がくるというのも。


 つまり〝これ以上〟という部分にはもうひとつの意味があるのだ。多摩川という場所には、ほかにも私たちなりの因縁がある。ルミエールタイプ1311が初お目見えしたあの日、マチはずいぶんと〝物騒な〟話をしてくれたじゃないか。


 あの伝言は、あの料亭よりも多摩川のほうへ寄ってはいけない。という警告文だと、気がつかないわけがない。


「舐めてもらっちゃ困るのよ」


 そう、これは知恵比べ。マチが自分で言っていたんじゃないか。だからこっちも絞るべきだ。どっちがものを教える立場か、思い知らせてやる。


 対岸に東京都が望む土手、せりだすように伸びた大木の下。うずくまっている人間を蹴飛ばし、複数人で羽交い絞めにしているやつらがいた。とくに声かけることもなく、忍び足でもない単なる歩行で距離を詰めた。彼らも私の存在に気がついてはいたが、無関心そうな態度を見るや己が略奪を優先しているよう。数えれば四人。戦うつもりもないし、ノープロブレムだ。


「……なに? おばさん」


 しかしながら、手が届きかねない位置まで私が歩み寄ると、話が違うぜと眉をひそめるひとりがいた。ハムスターの巣を破壊する若者たちは、ヒグラシがとまる木の下に開いた樹洞から穴の主を引っ張りだしている。


「ちょっとお尋ねしたいんですけど、いいですか?」


 リーチに入る。努めて自然に、ポケットから鋭利なハサミをつき立てながら。


「へ?」


 ルミエールタイプ1311。左手にはすでにメリケンサックをはめているから、あとはこれで脅すだけ。


「解体する、バランスをとる、あるいはそういうことをしている黒服の細身を知っていませんか?」


 周りの青年たちも私の行動に気がついたようだが、抵抗するようなら首元のこれをつき刺すだけだ。嫌だろうな。私も嫌だ。


「早く答えて。これかなり鋭いから、女だからって侮ると地獄見るから気をつけたほうがいいよ。血、血出るからね」


 視界の端には私を救世主かのように頼もしい視線を送っている初老。髪もぼさぼさで、驚くほどの厚着。こんな季節に外で寝ようというのだから、そういう恰好にもなる。そいつにも聞いておくべきことがある気がするが、明らかにしたところで時間が巻き戻るわけでもないかとため息を吐いた。




「分かった、したがおう。ただ俺が教えたとは言わないでほしい」



 三人目。河川敷から始め飲み屋街、そして駅前とまだ人が溜まっていた場所をめぐってはハサミを向け、欲しかった情報を寄こしてくれた人だ。ピアスだらけの右耳と、首筋からタトゥーが入った左耳。偏見というわけでもないが、やっぱり怖い人って刺青入れているものなのだろうか。


「もちろん、あなたに迷惑をかけるつもりはないわ」


 小田急線改札から降りるための階段。その前をたまに人が通っていくけれど、残念ながら私の脅迫には無関心の模様。ピアスさんもこちらの声色からして、抵抗しないほうが得だと思ってくれているようだ。優しく話しかけているつもりだし、こういうのを人徳と呼ぶのだろうかね。


「ただ、『解体屋』は本物だぞ。向ヶ丘遊園で飲んだくれているチンピラとはわけが違う。あんた、殺されても構わないっていうのか?」


「嫌よ。殺されてたまるもんか」


 なに言ってんだこいつ。死にたいって思いながら生きていられるほど、私は器用な心はしていないぞ。しかたがないのだ。ヒントがそこに繋がっているというのなら、真実を知りにいくしかないじゃないか。そのために利用するんだ、だからむしろ。


「……そいつは私の獲物だ」

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