おいおい、口下手にも程があんだろう。
「もしもし、父さん?」
『おう、どうかしたか』
暗い部屋、着替えが済んだから電話をかけた。バッテリーが無駄になると思ったから、USB充電器に繋いだままのスマートフォンを持っている。ベッドには枕と掛け布団だけ、なんとなくベッドメイキングをしてしまった。だれに見せるわけでも、招くわけでもない寝床。ここを奇麗にしたところで褒めてくれるやつもいないのに、獲得的セルフ・ハンディキャッピングでもはたらいたかな。
「どうかしたってわけじゃないけど、そっちは元気にしているかなって」
『それはこっちのセリフだけどな。母さんも俺も、つつがなく暮らしているぞ』
「なにより……」
さて、もう話すことはなくなったぞ。こちらから実家に電話するなんてはじめてだし、むこうの状況を細かく知りたいかといえばそんなこともない。話題なんて即時弾切れ、真っ暗な部屋で頭を抱えてしまいそうだ。
『お前、今年は帰ってくるのか?』
年末の話だろう。
「いや、まあご時勢柄やめておくよ。そっちだってご近所さんから文句言われても嫌でしょ?」
個人的には帰りたいとも思っていないから、むしろありがたいくらいだ。
『これで一回分減ったな』
「なにが?」
『残りの人生で会う回数だ』
それは否定できない。なんだか言葉にするとむず痒いな。それをいえば人生で経験することの大半は、数を減らしていくばかりとなった年齢だ。未来になにがあるかなんて分からないけれど、少なくとも生きる日数は少なくなる一方なのだ。世界にはそんなことで満ちている。特別なことなんてないのだが、言葉にするだけで特別に思えてしまう、人生の残量。
『母さんと仲直りはしなくていいのか』
このあいだの言い争いのことだ。この手の話題にはめっぽう弱気な調子になるのが、お父さんのおもしろいところだ。
「引っ越すべきかそうでないかっていう考え方の違いだから、べつに直る必要もない仲だよ」
そして変わらない考えなのだから、話し合ってもしかたがない。対話でなんでも人が分かり合えるわけがないというのは、家族と円満に生きてきた四半世紀が告げている真理。
『じゃあ代わるぞ』
「は?」
おいおい、口下手にも程があんだろう。せめてもうちょっとタイミングとか作ってくれよ。
『もしもし? 珍しいね、こんな夜遅くにどうしたの』
「……べつに、なんとなくかけただけ」
電話口なりに様子をうかがう。場合によってはどうしようもない口喧嘩が再戦となるかもしれない。
『寒いんだからちゃんと厚着しなさいよ』
うん。足の指を動かす。
『あと暖房つけっぱなしにしちゃダメよ』
うん。頬を掻く。
『ちゃんと食べるものは温かいの選びなさいよ。ていうか作んなさいよ』
あれ。首を捻る。
『ちゃんと聞いてるの?』
聞いてない。
『はあ?』
構えたこっちがバカみたいじゃないか。拍子抜けした心の重装歩兵たちはファランクスを緩める。テルモピュライの三〇〇人もほっと一息で母国に帰れそうだ。神託なんてあてにならないなと愚痴でもこぼしているだろう。
「ねえ、いっこ聞きたいんだけどさ」
このさいだし、ちゃんと言葉にしてもらおう。不気味に思えるとしても、分かりきっていることだとしても、きっと声にしてもらうことが大切なのだ。
『なに?』
「私が死んだら悲しむ?」
間が開いた。ほんの一瞬ではあったが。母さんがなにを考えていて、そしてなにを見ないようにしたのか、今の私には分からない。
『清々する』
鼻で笑ってやる。
「化けて出てやる」
『お清めしとくから成仏しなさいな』
「清々だけにね」
画面をタップ。電話を切った。スマホのアンビリカル・ケーブルを引き抜く。さあ、回答を出しにいこう。たったひとつの冴えたやりかたで。
じゃあいくか、ぶかぶかの白いパーカー。
「返せるかどうかも分かんないけど、借りていくよ」
恋人が部屋着にしていたそれ。死装束になるやもしれないのなら、せっかくだしダッフルコートの下に着ていこう。下はいつもの黒ジーンズ。職場でもよく穿いていくそれ、お尻のところにちょっとした違和感。
「これ……なんだろう……」
英数字が並んだ六桁。そんなものが書かれたちり紙なんて、受け取った覚えなんてない。言い知れぬ薄気味悪さを覚えた。ポストに入っていたハガキと違い身に着けるものに忍びこまれているなんて、ひとり暮らしの人間にとっては恐怖でしかない。ポストならいつの間にか投函するなんてたやすくできるだろうが、ポケットなんて、どうがんばったら入れられるんだ……。勘弁してくれないか、今は考えていられないけど、とにかく私になにかが迫ってきている。これもマチのしわざなのか、それとも……。
女は度胸、というのも少々、苦しい局面。けれども、じっとしていたって果報は飛んできやしない。
「……もうどうにでもなれ」
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