あなたは、マチ以上に寂しそう

「質問を続けていいかな」


 私は、彼女への返答をしなかった。


「……はい、どうぞ」


 そして、むこうもそれ以上の言及を避けた。無駄だと思ったのか、あるいはなんらかの回答を予測したのか。


「あなたとマチの関係は?」


「セックスフレンド、といえばいいでしょうか」


 即答だし、単純な関係にまとめてくれた。どいつもこいつも、どうしてマチなんかに身体を許してしまうんだか。


「ちなみにどうやって知り合ったの?」


「電車のなかです」


「電車」


「はい。夕暮れの埼京線、私がこれで聴いていた音楽について話しかけられたんです。ジャケットは知っているけど、どんな曲なのか知らないから教えてほしいって」


 好奇心の獣め。そこまでいくと病気だぞ。まあ、相手を見てはいるんだろうし、痛い目に遭うこと自体は少ないはずだ。彼女の画面に表示されているのは、なんの因果かくだんのボーカロイドコンポーザーだ。中学生だけではなく、サブカル好きにはとことん浸透している、私の青春。


「このアルバムのときには離れていたけど、前の曲なら聴いてたな……」


 黒い背景に初音ミク。中央に綴られたタイトルは「GHOST」。きっとあいも変わらず、退廃的な愛情を歌った曲がたっぷり詰めこまれているのだろうな。この子も、殺したいほどだれかを求めたことがあるのか、それともただそんな感情に憧れているだけなのか。


「DECO*27さんがマチも私も大好きでした。裏アカ男子と戯れた帰り、このアルバムにあった『LOVE DOLL』という曲を聴いていました。もう二度と会いたくないと思われただろうなと自己嫌悪していました。最悪の気分、水底に沈んでいると、イヤホン分けてくれとマチに声をかけられました。とても美しい人で、ひとめぼれをしました」


 まあようするに、私が高校二年生のころ処女を失った帰り道、自転車を押し、地元のツタヤで買った音楽プレイヤーから流れる『弱虫モンブラン』に浸っていた心境と似たようなものだったのだろう。


「あんな音楽を好きなマチが好きな人と心中したいと思っても、私はそう不思議に思えません」


 音楽で人格をどこまで量れるのかということはひとまずあと回し、少なくともこのボブカットさんは、マチが私を殺そうとしていても合点がいくそうだ。


「マチはそんなに、冷静さを欠くような人間なのかな?」


「それは疑問ですか? それとも反論? 問題提起?」


「単なる疑問」


 マチがそんな、言ってしまえばメンタルヘルスな曲を聴いているとは知らなかったし、この人ならマチが暴走しかねない別の要因を知っているかも。


「イズミさんは、マチと寝たことはありますか?」


 お茶飲んでなくてよかったとそれはそれは安心しつつ、若干の動揺を覆い隠すように咳払い。


「ないわね」


 あってたまるか。


「じゃあ分からないかもしれないですけど、マチはベッドではすごく、信じられないくらい優しくなるんですよ」


 少し嬉しそうだ。今までずっと、どこか私へ気を置くような雰囲気で話していたのに、私とマチがセックスをしていないと知るや、がぜん楽しくなってきたという感じ。べつに悔しくはなかったけれど、この子も人間なんだなと当たり前のことをただ思った。


「いつもは飄々としているくせに、そういう雰囲気になれば声色も態度も、触りかたも、全部が別人になっていくんです。真黒なヒョウみたいな見た目なのに、脱げば真白な、どんな宝石よりも輝かしい肌を湛えている……」


 それ、本当にマチか? 野暮というかおもしろくもないツッコミはやめておこう。マチがいつだってバカやっているわけでもないと、私だって察していないわけじゃないし。


「私の欲しい言葉をたくさん浴びせてくれるし、言いたい言葉をいっしょに探してくれます。そのあいだにも擦られていたり、フェザータッチを端からずっとくり返したり。マチはどこまでも、おそらくは私以外にも、尽くそうとする人間なんだと思います。その人のためになると思うのなら、手段も選ばず」


 だから?


「だからこそ、マチがするべきだと思ったのなら、容赦なくあなたと死ぬでしょう」


 そういうもんですかね。


「そうやって人に尽くすことで、マチは自分を確かめているんです」


 やれやれ、それじゃあ私はあいつにとても大事にされているということなのか。そうしてくれるのは結構だが、せめて事前の了解とかをとってくれよ。マチがどんなセックスをしているのかなんて特段知りたいことでもないのに、一方的に教えられたというのもやりにくい。


「マチはあなたが思っている以上に、あなたのことが好きですよ」


 この話題の締めくくりにと、二〇歳は顔をしかめる。まるで恋する乙女みたいに。恋敵を目の前にした鋭さで。


「マチ、私としてるとき、いつも寂しそうなんですもん」


 寂しくない人間なんていない。それはマチも同じだな。とうぜんのことなのに、あまり意識に上ったことはなかった。じゃあ帰ってくればいいんじゃないかとは思うが。


 中居さんの持ってきてくれたスズキ的な方向性の魚を食べる。こんなに美味いもの、あいつも食べにくればいいものを。


「そしてあなたは、マチ以上に寂しそうです」


 みずみずしい日本食に興味も持たないこの子は、飢えた目でこちらを見つめている。初対面なのに、どうしてそこまで想えるのだろう。


「とても心配です」


 冷めちゃうよ。と絶対的な領域を暗に示すと、彼女も箸を持って料理に向かう。それからはご飯を食べ、他愛もない話を振り、そのあいだにもどこかで凍えていそうなバカのことを想像した。

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