黄金のレーニン像のように
これで最後だ。一一月も下旬に差しかかり、これまでで最年少である二〇歳の人と会う日付。登戸の老舗日本料理屋「柏屋」、比較的お高い店だからとATMで卸した福沢を胸に、建物の前まで。夜の一〇時、多摩川沿いの暗い道で立ち止まる。また店内に入るなり、マチを探している人を特定しなければならないのか、ため息が出てしまう。
「……イズミさんですね?」
複合施設RIVERSIDE POINTの入り口に、両耳にイヤホンを挿した女性が寄りかかっていた。
「そう……ですけど?」
こちらから話しかけるというミッションばかりをやっていたおかげで、自分がそうされたときの反応が鈍ってしまっている。戸惑いに意を介することなく、彼女は古いほうのiPhone SEをいじっては音楽を止めたらしい。型落ちどころの騒ぎじゃないスマートフォンだし、おそらくは単なるミュージックプレイヤーとして使っているのだろうな。
「マチに言われて来ました。こちらへ」
秋コートの下には黒と赤のロングTシャツにデニム生地のショートパンツ。ライブハウスにいそうな彼女が私の手を引いては、江戸時代から続く料理店へと連れこんでいく。その様子はなかなかに異様だ。こっちはローテーションで着まわして、ちぢむのが嫌でたいして洗ってもいないスキニージーンズという、洒落ていないものまで穿いている。もうちょっとキマった格好をしておくんだったなと後悔した。
「先に言っておきますと、私はマチの居場所を知りません」
個室、畳張りの古めかしい電球で飾られた場所で、私とその人は座っている。すでに注文も済まされているというか決められていて、レストラン特有のメニューを見て時間つぶしという無駄な行為もできないでいる。窓辺からは夜の多摩川、暗くて全様は把握できないが間違いなく視界には入っている。
「ただ、マチから伝言は預かっています」
機械のように話す、定められた文字列を、一言一句違わずに再生するよう。
「『ぼくは転々と移動をくり返しているから、絶対に見つけることはできない。黄金のレーニン像のように。物騒なことは、これ以上知ろうとしないほうがいい』以上です」
一礼のあと、彼女はいただきますとお茶を飲んだ。音もない、静寂のまま風が吹く。外はもう、すっかり冬間近だ。
「……自分からけしかけておいて、ずいぶんとつき放してくれるわね」
「同意はします」
困ったものですよね、はじめて彼女は笑った。
「少し質問をしてもいいかな?」
どうぞ、こころよくうなずいてくれた。仲居さんが持ってきてくれたよく分からん煮豆っぽいものや漬物っぽいものを食べては呑んでから。これがびっくりするほど美味いんだが、だれに伝えるべきだろうか。
「その伝言はどうやってあなたのもとに伝わってきたの?」
「自宅に電話で。公衆電話からかけていると言っていました。スマホは捨てたから、連絡は取れないとも」
GPSで警察に追ってもらうのも無理そうだな。それに、私が捜索願を出す権利を有しているかといえば、そんなこともないだろう。公権力は頼れない。
「じゃあ、個人的にマチの行動の原因や目的、それ以外にもなにか知っていることはない?」
「ひとつだけあります」
こちらとしても驚くほど唐突に知らされましたので、なにか聞きだそうにも頭が回りませんでしたが。と彼女は続けた。
「なんでそんなコソコソした真似をするの? と尋ねると、マチは『ぼくは楽になりたいし、あの人も楽にしてあげたい』と言っていました」
「まるで心中の予告ね」
元禄期の浄瑠璃か昭和中期の純文学か、まあどちらもマチが読みこんでいるとは思えないが……いつの時代にもそういう願望はあるものだ。まったくもってくだらない話だが。
「だから私も心配していたし、現にあなたのことも心配しています」
整然と語りつづける若い女性。私よりもずっと年下だというのに、芯のある目で私を見据えている。
「イズミさん、あなたは殺されるかもしれないんですよ。マチに」
こちらといえば無作法にも頬杖をついては口をへの字に曲げた。こんなお店でするというのもなかなかどうして不遜な態度。出された緑茶に手をつけると、これが信じられないくらい抜けのよいみずみずしさに富んだ空気が流れる。やれやれ。
「あなたは彼女の思惑どおりに行動している。イズミさんが行きつく先にマチがいたとして、そこが断崖絶壁や骨朽ちる樹海かもしれない」
彼女の言葉には一定の説得力がある。少なくとも私にはそう思えた。あいつがなにを考えているかなんて知れたもんじゃないし、突拍子もないことをさせたら右に並ぶものはいないだろう。倫理観だって常人のそれに倣っているわけでもないし。まあ、欠如しているわけでもないというのがむずかしいところだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます