チョリソー

「じゃあなんであんたみたいなやつらとマチが会っているのか、教えて欲しいわね」


 聞きに来ておいてこの態度もないだろうな。ふんぞり返っては炭酸を飲み干したグラスとおおげさにテーブルへ放った。


「あ、それなら聞いたことがあります」


 よかった、ちゃんと話せそうなことがあって。男は心底ほっとした表情を浮かべて、不機嫌な私の顔色をうかがった。グズグズしていた無能者が水を得た魚がごとく跳ねた声を上げるものだから、若干あっけにとられている。


「マチさんは到達困難な場所に行きたいと思うように、手に入らない人間を欲しがってしまうと、以前話していました」


 蛙化現象を自覚した年頃みたいなことを言ってんな、あいつ。いや、そもそもそんな年齢だったか。忘れがちだったけれど。


「似たように、知らないこと、分からないことを自分の手中に収めたいと思うらしいです。知ると興味を失いがちになってしまうとも……どうですかね?」


 なるほど、まあ言われてみればそういうところはある気もする。世界史の得意分野であればあるほど問題文を読み飛ばしたりするし。あるいは暗記できていない範囲にやたら固執したり……。今まで考えたこともなかったが、あいつはいつだって自分にないものばかりに視線を向けていた。


「ではあの、こちらからも質問いいですか?」


 男は頼んでいた中ジョッキを空けて、丁寧にそれを置いた。つまみにと頼んでいたチョリソーの皿をこちらにずらしたが、私はそれを同じ位置に戻す。


「ええどうぞ」


「マチさんは普段から、あんなに食が細いんですか?」


「食? 食べる量ってことですか?」


「ええ、正直いつ会ってもまともに食べてくれないので、ちょっと心配だったんですよね。それこそ今だって、ちゃんと栄養を摂っているかどうか……」


 ちょっと待ってくれ。この人はなにを言っているんだ? 私が知っているあいつが、そんなつつましい胃袋をしているだなんて知らないぞ?


「いっしょにくら寿司に行ったときは、私の三倍は食べてましたけど……」


 謎がまたひとつ増えたような気がする。果たしてこれは重要なピースとなりえるのだろうか。あいつが大口を開けて寿司を喰らうかどうか、相手によって変えているということが。


「じゃあ、私といるときは食べないようにしているのか……」


 相変わらず自信なさげな表情だ。これがどんなことを意味するのかなんて、私たちが話していても分からないじゃないか。ひょっとしたらマチは、私が奢ってくれることを期待し、無理にマグロを詰めこんでいたのかもしれない。しかもそっちのほうが質悪いな、まったくもって。


「どうしてそう思うんです?」


 ただ疑問だから、聞いてみる。


「私の妻が、慣れていない相手を前にするとそうなるので……」


 なんだろう。とても、強く不愉快だ。どの口でそんなことを言っているんだと、怒鳴りつけたい情動がとぐろを巻いている。あんたのやっていることを裁く立場に私はないし、裁こうとも思わない。でもそれが軽蔑しないと言っているわけでもないんだよ。


「それはそうと、あなたはマチさんと食事をするような仲なんですよね?」


 ええ、まあ。もう話すつもりもなくなった。私の知らないことを教えてくれたような気もするし、この人が心からの極悪人というわけでもないのは分かったつもりだ。でも仲良くしたいと思えるような人間でもないし、どちらと選ぶ間もなく嫌いだ。自分の知らないマチを知っているやつが現れたからって、おもちゃを取られそうになっている子供みたいな顔をしやがって。


「あなたとマチさんは、どんな関係なんですか?」


 ここでつまらないことを言おうものなら、ろくな回答もしないまま店を出ようと思っていただけに、クリティカルなこの質問には足を止められた。なにを言っても正解だろうし、すべてに異論を挿むことだって可能だ。人と人との関係なんて、そんな簡単に説明できるものじゃない。親子や兄弟、夫婦や友達、上司と部下、それだけですべてが説明できるのなら、はじめからこの言語に細かい形容詞や副詞は存在しなくていい。


 けれども、そういった凡庸さに、つまりは言葉として表現することを避けていても、守られるのは個人の美学だけになってしまう。それで十分といえるほど私は高尚な考えのもと、マチとの間柄をとらえているわけでもない。こんなやつに分かられるのも癪だし、だからといって意地を張って教えないというほどムキになるのも嫌なのだ。


 だから、マチから見てどう思われているかも関係なく言ってやる。


「塾の講師と生徒です」


 少なくとも、まだその気はあるからな。


「……え? マチさんって高校生なんですか?」


 とても意外そうというか、寝耳に水という様子の男。よけいなことを言ったかなと思いはしたが、誤魔化すように頭を掻いては店から退散することとした。飲み物代は置いていったし、文句もないだろう。妻と子供のところにさっさと帰るがいい。結局なんにも声に出さないくせに、悪口は頭を駆けまわって忙しい。

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