望むところだ

 マチから届いた拒絶のメッセージと、そのほかポーチに入っていたアイテムを整理した。シャワーも浴びてあとは寝るだけとなってから、じっくりと今後について検討しつつ。


「あとに来んなっていっても、そもそもあんた、どこにいんのよ」


 文句も言いたくなる。家にも帰ってこない放浪状態で、こっち来るなもクソもあるか。暖房だけが温かい室内で、空虚な文字列にため息が出た。しかしながら、それだけしか読まないで物事を判断するほどバカじゃない。カバーが分厚いせいで気がつかなかったけれど、想像以上にページが少ない。ペラペラと流せば、あっという間にむこう岸だ。


「真っ白じゃん」


 ほぼすべてのページはなんの書きこみもなく、罫線は等間隔で行く手を阻む。立ち入り禁止区域みたい。それでもいちおう最後まではめくらなければと手を休めず、果ての一枚まで到達する。


「……予定……?」


 二〇二〇年一一月のカレンダー。その過去も未来のページも挟まっていないことから、やつが予定を確かめるためではなく、私に見せるために作られたのであろう。


 やつがいなくなったのは先週、一四日の土曜日として、最後の予定があるらしい二四日までの二週間。ところどころに記されているのは、基本的には二桁の数字だ。


「今日が一七日……」


 最初の丸は明日一八日。その四角形には三八という数字。ほかの日付には四五や、二六、あるいは二〇ジャスト。それだけではなく、数字の横にはなにやら見たことのあるお店の名前が書いてある。


「『ルグラン』、『あじこや』、『炙里』、『柏屋』」


 全部向ヶ丘遊園か登戸にある店の名前だ。夜にやっている、営業時間も最近はかなり以前どおりになっているはずの酒類を提供する飲食店たち。緊急事態宣言が過ぎても、いまだ営業できている、固定客も多い場所。炙里とか、サークルの飲み会でめっちゃ使ったなぁ……。懐かしい。


 カレンダー下部には大きな文字で「全部一〇時」だそうだ。分かりやすいくらい、ここに来いよと告げている。足で稼げとの警部からのお達し。バカらし。


「しかも最後の日付はなんなのよ」


 一一月二八日、このカレンダーで書きこみのある最後の日。事実上のエックスデー。そこには場所にかんする情報はいっさいなく、ただ「二〇〇〇〇.三七」という意味不明の数字が記されている。言外にだが、レイアウト的にこの数字の意味を解読する。それこそマチが用意したゲームの突破口となるのだろう。


 が。


「分かるかよ」


 ひょいと手帳をテーブルに投げる。これだけで私にどうしろと。湘南の高校に通っているアメノヒさんでもなければ、これだけの手がかりで推理を展開していくことなんて不可能だ。ほかにウエストポーチの中身をもう少し調べてみよう。もうそれしかない。大きく口を広げ、光のもとではっきりと見物。そこには私も見たことがある、おなじみの道具が揃っていた。


 銀に輝くメリケンサック。それはまあ、どうでもいいというか、なんで入っているんだ。やつが池袋で買ったのだという武器。これを使ってというわけでもなかったが、メリさんの子分三人衆をのしたときに、マチがはめていたものだ。


 そしてもうひとつ、こっちにかんしてはどうしたって見るたびに、脈打ってしまう心がある。ルミエールタイプ1311。あのバカが河川敷で私に向けた、恋人のと似ているようで細部が違う高級なハサミだ。私の一ヶ月の給料じゃ、ハンドルの形によっては買えないかもしれないくらいには。


 まるでRPGゲームの序盤、王様に初期装備を渡されたような気分だ。こんなもんで世界が救えてたまるか。マチを探すということが、私の人生、あるいは世界にとってなんの得になる。遊びでこんなものを用意するくらいなら、きっちり受験勉強をやってくれればいい。いかん、考えていると怒りが湧いてきそうだ。てかもう湧いてきてるわ。


「あいつなんなんだよ! トンマかよ! コウモリ! チビ! クソパンダ!」


 仮にこれでマチを見つけられたとして、塾に連れ戻してから空白の二週間を埋めるために面倒を被るのは私だ。これまで積み上げて、あいつが受験に通用するレベルまで引っ張り上げたのも、もちろんあいつの努力がほとんどの功績を占めているのも分かっているが、私がなんの力も貸していないというわけじゃないんだ。人の人生はそいつだけのものじゃない。マチがこういう行動をとり、私になにかしらの試合を持ちかけるというお遊戯それ自体が、なにかを裏切っていると分からないのか。


「アホ、バカ、シネ」


 言ってたら暑くなってきた。汗が滲んだ額に手を当てて、応急処置にと少しベランダへ。風に当たるというか、冬の空気に呑まれてみよう。いつもならマチが誘わないとこんなところでたそがれたりしない。今日だけは特別だ。クラクラして、手足もマヒしている気がする。


「……なんだお前」


 夜だというのに、ベランダの手すりには一羽のスズメがとまっていた。季節柄だろうか、まるまるとぼた餅みたいに太っちょになったそれ。心なしか眠そうな目をしながら、私が出てこようとお構いなしにさえずった。


「……去年ここにいたやつか?」


 なにに話しかけているんだか。自分でツッコむのもしらじらしい。彼といっしょに寝転がりながら、ぼんやりと眺めていたベランダ。コンプレッサーが変な音を立てていた冷蔵庫の情景だって、私はいまだに覚えている。あのときは三羽もいっしょだったじゃないか。仲間はどこに行ったんだ。他人のそら似かもしれないが、とりあえず同一人物ということで話は進んだ。確実なことばかり拾っていても、物語になんてならないんだから。


「私は、あいつを探しにいくべきだと思うか?」


 さえずりが返ってくる。知らねーよ、あるいは自分で決めろ、といったあたりだろうか。冷たいやつめ、凍死するぞ。


「行動原理が意味不明すぎると思わない? なんのためにあいつの世界史みてたのか、もう分からなくなったよ」


 そこでもう一羽、同じくスズメがとなりのベランダに現れる。こちらへひとつの声。首をかしげているように見える鳥ども。


 呼ばれたこっちのスズメは、マチがいたはずのベランダへと飛び移る。しばらくすると示し合わせたかのように同タイミング、二羽揃って夜空気高い冬の月へとくりだしていった。見送った私は、あのスズメがひとりではなかったことに安堵しながら、それでも去年と比べ、一羽減ってしまっていることに寂しさを覚えてしまった。


『知恵比べだね、先生』


 マチの横顔を思いだす。声もはっきりと再生できた。まだ忘れていない。このまま会わないでいれば、一年と経たず憎たらしい話しかたやうざったい顔、うっとうしい挙動もくだらない話題も、全部失くしてしまうのだろう。


『たぶんぼくが勝つと思うけどさ、意気込みはある?』


 私はそんな未来を望んでいるだろうか? なあおい、どうなんだ私。


「……望むところだ」


 あんなやつに小バカにされたまま、終わってられないよな。

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