そんな挑戦者じみた顔をしてんじゃねえ

 彼女の腰に巻きつけられたシザーバッグにはそれと分かる一丁が、鈍く夕刻を浮かび上がらせている。ハンドルの形も、マチが用意したまがいものとは違って曲線状の突起を持っている。間違いない、あれだ。ずっと見ていた。私を削ってくれた刃。


「もう……一年ぶりくらいになるのかな……?」


 私の笑みは、そんなに不気味に映るんですか? とも言ってやりたかったが、ルミエールタイプ1311に免じて許してやらないこともない。私の、私たちの家から「持っていかれちゃった」ハサミは、活動の場を変えることなく息をしている。マチと夏の夜に話していたときですら気分が落ちこんだのに、目の前でそれを見せつけられたら、比喩表現でもなく反吐が出てしまいそうだ。


「……あ……そうなりますかね……」


「……年末にはお墓参りに行くんですか? 地元、いっしょでしょ?」


 口が勝手に動いていく。この女に相対することなんて、一生なくていいと思っていただけに、脳が急激な情報処理に追われて茹っている。


「今年は、ちょっと帰省はやめておこうかなと……時勢的に」


「そうですか、でもきっと、彼はミチルさんと会いたがっているでしょうに」


 ああ嫌だな。食ってかかってどうするんだ。感情の発露として、彼女に当たり散らかすなんて正当じゃない。彼が死んだ理由にしたって、ミチルさんと関連づけるのはいささか強引というものだろう。分かっている。生徒の前だぞ。やめるんだ。


「そんな、あの人はイズミさんとも……」


「は?」


 夕陽が濃くなっていく。通行人は素知らぬ顔で女同士を抜けていった。私のうしろでは、中学二年生が息を呑んでその様子をうかがっている。こんなのただの八つ当たり。当事者でも傍観者でもない、関係者がこの場にいないことで事態の収拾をつけることができないでいる。青を基調としたトリコロールカラーのエプロン上、彼女はもじもじと指先同士を擦っていた。逆撫でしてしまった相手の出かたを予期し、対ショック態勢に入ったかのような顔つきだ。


「そうはいっても、二〇年来の付き合いがあった幼馴染のほうがいいんじゃないんですかね。彼を看取ったのも、最期の言葉を聞いたのもあなたなんだからさ」


 一歩前に出てしまう。威嚇のような前傾姿勢。


「……私だって……」


「なんですか?」


 指が止まった。鋭い目つきがこちらを向いた。


「……イズミさん、こっちにだって言いたいことぐらい……」


 烈火が腹の底で炸裂した。身体の先から感覚がなくなって、現実感を失わせる視界の点滅。社会性を度外視した、獰猛な私が爪を立てる。


「なんだよ! 言えよ!」


 空腹なエゾヒグマと同じ、自分が執着したものを奪われた怒りを不当に叩きつけた。


「あなたがそんな風だから! あの人は!」


 凶器を腰からぶら下げているミチルさんも、臆することなく私へ返す。威勢がよくて助かる。こっちだって今日はかしこまった服を着ているんだ。構うことなく強気に出てやる。ひとつ若いだけのくせに、そんな挑戦者じみた顔をしてんじゃねえ。


「はい、そこまでね」


 ミチルさんの肩を叩いたのはソフトモヒカンと強い香水を湛えた中年男性。四〇代半ばという年齢も知ってはいるが、いつ見たって信じられない張りのある肌。さわやかな髪質。私の雑な風貌に要素を分けてくれないものだろうか。


「……店長……すみません」


「うん、戻っていていいよ。イズミさん、おひさしぶり」


 店内へ引っこんでいくミチルさんは、背中を丸めてため息を吐いた。彼もお世話になっていた店長さんは、ヒートアップしていた私たちとは対照的で、冷静沈着そのものという話しかた。それでいて穏やかに、聞き手に圧力を与えない。私の話術なんて、しょせん子供だましと実感させられてしまう。


「……おひさしぶりです」


「ミチルちゃんが失礼なことを言ったようで、申しわけない」


「いえ……こちらこそ、なんというか、気が違ってしまいました。すみません」


「そこまで卑下しなくても。きみが負った傷は、癒える癒えないとか、引きずる引きずらないとかって話でどうにかなるものじゃないのも分かっている」


 こういうとき、前髪が長いと便利だ。人の顔を見なくても済む。少しでも目線を落とせば、世界には私しかいなくなるんだから。子供だ。全然まだまだ、自分勝手に人と接して。


「でも、ウチとしてもミチルちゃんまで失うわけにはいかない。きみたちはもう、お互いに認識し合わないほうがいいんだ。話し合いで解決しない問題なんて、世間にあふれているんだから」


「ええ、歴史を学んでいるのでよく分かります」



 トモエちゃんに向き直り、ごめんねと声をかけた。彼女は私の顔色を見るや、ここからは自分だけで行けるので大丈夫です。ありがとうございましたとだけ声をかけてくれた。やれやれ、引率の先生が私情に流され立ち話、挙句の果てに気分が悪そうだから早退しろと言われてしまうとは。不甲斐なさの極みだ。


「ごめんね、そうさせてもらうよ……」


 よもやよもやだ。穴があったら入りたい。小学生が真似ているアニメ映画のセリフを思い浮かべながら、三〇分以上もかけ、来た道をさかのぼっていく。この道を、死んだ恋人も毎日のように走っていたのだろう。彼が見ていた風景はこの一年でどれくらい変わったのだろうか。私はすっかりご無沙汰だったから、だいたいの目印しか覚えていられない。それでも確実に言えるのは、彼が私を見つけてくれたのなら、きっとなんだその髪はと言い、笑ってカットの準備をしてくれることだろう。外で切るのもいいかな、天気だしね、今日。とか言って。寒いっちゅーの。って言ってやりたい。


 言ってやりたい。


 ベッドに伏してから、シワができてしまうなと服を脱いだ。下着だけじゃ寒いと羽織るものを探した結果、いつもともに寝ている白いパーカー。彼が休日によく着ていたそれに袖を通した。彼の匂いも薄れ、結局は自分の匂いに埋もれているだけ。なのに、どうしてか安心するのが悲しかった。本当に彼がいなくても、彼がいる気になれるということが、たまらなく悲しい。そんな安いやついだったけ、あいつ。ギャグが寒いやつだったのに、どうしてこんなに温かいんだろう。こんなの、私が好きだった人じゃない。


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