ぶっ殺すぞ

「チカっち、すっごく楽しい演劇だったよ。ありがとう。あとこれ、先生とぼくから」


 端的に用件を告げ、仕事の邪魔をしないようにと小さな花束を。今朝の花屋で回収してからずっと、四次元ポケットに隠しておいてもらったものだ。ムギちゃんのお母さん特製、棘のないバラやコスモスなど、主役にふさわしい花々が大集合している、片手で持てるような花束。


「え……ありがとう! 嬉しい……!」


 宝石でも貰ったかのような反応。チカさんはほかの部員からお仕事を取り上げられ、私たちとの時間を無理やり作ってくれる。鹿島くんがよく動いているのが見えた。おそらくチカさんが持っていた書類やらを奪わせたのも、彼の仕業だ。やるじゃん。


「先生もありがとうございます。本当に、前から協力していただけて……」


 うるんだ目で見られると、緩んだ涙腺が刺激されてしまって敵わない。涙が落ちることはなかったけれど、視界がおかしくなる程度にはグッときた。しかしながら、このあと展開される会話の内容が、あまりにも予想がつかなかったせいで、感情の波はすぐに退いていってしまったけれど。


「あとね、チカっちと話したい子がいるってさ。連れてきたんだ」


「話したい?」


 マチの後ろに縮こまって隠れていたのは、さっきまで社会科準備室で女王様をやっていたロングヘアの女子だ。チカさんと疎遠になり、なんの因果か知らないが彼女の妨害をし続けた人物。絶対にこいつが犯人であろうことは気がついていただろうに、それでもチカさんは自身の口からそれを告げることはなかった。けれどもこの瞬間、疑念や可能性、虚構と片付けられていたものが、現実という形に変貌していく。


「メリちゃん……」


「……」


 笑顔から口を紡ぎ、それでも取り繕うために笑って、でも誤魔化せなくて、悲しげな顔でチカさんは彼女のことを見つめる。


「……謝らないの?」


 腕を組んでふたりを見守っているマチは、千尋の崖にメリという少女を突き落とす。それを酷だとは思わなかった。ここまでついてきたということは、彼女にもそれなりの覚悟があってのことなのだろう。彼女たちには固有の関係性がある。どんなものかは知らないが、見物する権利くらいはあるだろう。こっちにだって。


「チカ……その……いままでごめんなさい。何度も……酷いことをして……」


 髪が垂れる。彼女の肩越しから次々に。頭頂部を何秒も、何十秒も見せ続けているメリさんに対して、チカさんは言葉をかけることはなかった。言葉を探しているように戸惑っているのではなく、ただ話を聞いてもしかたがないという風に押し黙っている。黒ヤギさんから届いた手紙を、白ヤギさんが食べてしまった後のよう。自分にはメッセージを受け取れないのだという、諦観がその目には溢れていた。


「えっと……なんていうか……」


 困ったな。というのが彼女の反応だった。それもそうだろう。まさか直接謝りに来るだなんて思わなかったのだろう。こんな平伏を示されるという経験も、この歳ですることも滅多なことじゃない。


「……許して欲しいとは思ってないけど……ただどうしても……」


 そこで途絶えた言葉。周りの部員たちも、起きている事態になんとなく勘づいてはいる。が、撤収作業にかからねばならないと踵を返す子は多い。鹿島くんだけは、何度も私たちを見ては、様子を窺っているようだった。


「……そりゃ、思わないでしょう……」


 潰れた喉に一瞬でなってしまったのだろうか。チカさんのなかでなにかが起きていることの予兆ではあるが、私とマチにできることはただのひとつもありはしない。見届けているだけ、野次馬。勧善懲悪は見られるのだろうか。


「メリちゃんのおかげでたくさん辛かったよ苦しかった努力を無駄にされたお化粧も人に借りたからめっちゃやりにくかった」


 努めて冷静になろうとしているが、流れるままの鋭気。彼女はいま、心の制御に必死だ。


「許せるわけないよ」


 自分はなにか間違っているのだろうか。疑うように自分の手や足を見つめている。


「私はとても怒っているよ」


 ごめんなさい。重ねる謝罪は瞬く間に破棄される。


「じゃあなんとかしてくれんのかよ?」


 チカさんは相手の横髪と耳を掴んだ。うまくできず、何度もやり直す。抵抗はなく、されるがままのメリさん。止めるべきかと足が出る。マチが視線で制止する。


「時間返せよ。なにが許して欲しいとは思ってないだ? だったら顔なんか見せんなよ!」


 チカさん。我慢しろとは言わないが、自分を見失いすぎないでくれと願いを込めて、私は彼女の名前だけを呼んだ。その子、震えているよ。


「なに泣いてんだよ! 泣きたいのはこっちだよ! ぶっ殺すぞ!」


 歯を食いしばってメリさんの肩を揺らしている。あげく拳で、か弱い拳で、身体のあちこちを殴り始める。同時にあふれ出した涙はボタボタと床に落ちていく。彼女はもう部長でも実行委員でもない。ただの人間、女だ。ふたりの女子は互いに涙を流しながら、言葉ではどうしようもない溝を確認し合っていく。


「あいつらは私の言うことを聞いてくれただけなの……お願いだから見逃してあげてください……」


 埋まることはないだろう。


「協力してる時点で同罪だ! こっちはなんにも悪いことしてないだろう! 悪いのは全部お前らだ! 返せ! 私の文化祭を! 楽しさを! 時間を!」

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