目
三人の男子と、怯えきったひとりの女の子。
「窓からシラスがぶら下がってるぞって騒ぎになってたからさ、駆けつけてみたら検問のとこの子に話しかけられたんだ。ここに行ってあげてくれって」
そして高校の文化祭にルール無視で乗り込み、暴力沙汰を起こしてしまったバカと私。呆けてしまうし、見ているだけでも疲れてしまう大立ち回りだった。アメノヒさんのファインプレーに感謝の念を抱くこともできない。頭がパンクしそうだ。
だがしかし、こいつらをぶちのめすことが今回の目的であったかといえば、イエスと返せるはずがない。
「先生!」
「あ……ああ」
マチはロングヘアまで歩み寄って、手を差し出した。無言だ。有無を言わす必要もないから、質問もしないという構え。圧力に屈した彼女は、震える手でポーチを差し出す。黄色いポロエステル製をこちらに放り、マチは私に言った。
「ぼくはまだやることあるから、先生は走って」
「え……」
マチと隣の女の子を交互に見る。驚いていた顔をしているのは彼女もいっしょだ。この期に及んで、女子生徒にも暴力を振るうつもりなのかと疑ってしまいそうになる。いや、そんなはずもないだろう。マチが暴力を振るうこと自体を目的としていないことくらい、私ならすぐに勘づいてしかるべきだ。なにやってんだと首を振って、自分を正す。マチを信じる。
「分かった」
「頼んだよ」
残り時間はもう見ていられない。ポーチひとつを抱え、回し車のハムスターよりも必死に足を動かす。鼻血を止められない金髪を飛び越え、廊下、人もまばらになり始めた校内を疾走する。
線の風景、右手左手、地面を叩けよコンバース。
もう人のことは障害物にしか見えていない階段。一切合切飛び越えて、死に物狂いで下肢を動かせ。こんなことならナイキエアマックス200を履いてくるんだった。あっちのほうがすべてにおいて走るにむいているのは、誰が見たって明らかだ。大学卒業の記念に、恋人に貰ったんだっけな。懐かしんでいる間にも、秋風のなかを駆け抜ける。
もう外だ。体育館の横を通り過ぎ、マップで確認した薄紫色の屋根に一目散。
講堂には裏口から入るようにと言われていたから、正面の大きな入り口を避け、横の小さな通路へ突入。すれ違いで出てきた吹奏楽部を楽器と衝突しないように気をつけながら、すんでのところで躱す。ダンスホールじゃないんだから、ちょっとクラっとしそうになる、週末の午後を感じていてもしかたがない。くるくる、くるくるりと彼女たちの列をくぐりぬけると、『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を思い出す。私らいつも笑って汗まみれ、なんてね。確かに汗ばむ身体を押しつけて、ドアノブを捻って真暗へ。
「……先生?」
チカさん、どう? 間に合った?
尋ねることもできないで息をする。突き出すポーチはぶんどられた。上演は始まっているのだろうか。ここはステージ端に通じている場所。照明は落ちている。スマホの灯りで目を細めるが、チカさんはそんなことを気にしている余裕もないみたい。
「……よし……」
目元から指を離す。彼女の視界はクリアになっただろうか。声を出していいのかも分からないから、ただ祈るようにそばへ。
「これ、持っていてくれますか?」
チカさんが渡してくれたのは、赤い縁のメガネだ。それが掛けられていない顔なんて、初めて見たかもしれない。勉強のときはいつだってそこにあったものは、彼女の人生を表象しない。にこやかな表情をしていた。暗がりでもよく分かった。まるで専門店で作られたお団子のような弾力なのだ。
「ふぅ~」
息を吐く。彼女は最後にこう言った。
「すみません。背中、押してくれませんか?」
遠くで誰かが叫んでいる。壇上だ。光が見える。
「……うん」
彼女の成長した背中だ。大きくなった。身も心も、彼女はきっと大丈夫だ。心配することなんて、なにもない。メイクをする時間を確保できなかったことは心残りだけれど、少なくとも彼女は、自らを鼓舞する視界を手に入れられた。外からどう見られるのかではなく、彼女が世界をどう見るのか。手を貸せただけ、来た意味もあっただろうか。
「頑張って」
軽く押す。
今朝、小さな女の子が乗っていたブランコみたいに飛んでいく。チカさんは腕を振ってライトの下へ。その光の水溜まりに溶けていきやしないか。危なげなく、床を蹴って進んでいく。チカさんは大きな声で叫んだ。もう彼女は、彼女としての言葉は発さない。
「間に合った~!」
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