マチ2
鮮血を払うマチの足元へ、顔面を手で覆った男子が転がった。瞬間空気が凍りつく。残った男たちは臨戦態勢とばかりに距離をとり、ロングヘアは惨状に言葉を失っているようだ。とはいえ私にしてもそれに違うことはなく、マチが剥いた牙の鋭さに、言い知れぬ恐怖を覚えてしまう。
「さあどうする? 誰が来る?」
生つばを呑んだのは私だけではないだろう。突如として乱入した小柄な人間が、あっという暇もなく、自分よりもずっと大きい男子を捻ったのだ。緊張感は波のように広がって、この場にいた犯人たちをも呑み込んでしまう。
「時間がないからいっぺんに来いよ」
いぜんとして右腕だけしかポケットから出していないマチ。左腕はいまだ四次元のなか、秘密道具の出番を窺っているようだった。
「わああ!」
パーカーは声をあげて飛び掛かってきた茶髪男子を腕一本で跳ねのけ、彼の身体を本棚に打ちつけることに成功する。大男はそれを見て、ポスターや地図なんかの大判紙を巻き付けるための木の棒をそこいらから抜き取った。
「いい加減にしろよ!」
スイングの要領でマチを薙ぐ。しゃがんで躱す。
「先に武器を出したのはそっちだ」
低い姿勢のまま懐に飛び込めば、もうマチのリーチに男の図体は捉えられている。
踏み込み、力んだやつの左腕、四次元ポケットの外、空気に触れる。
銀色、光。
「マチ! やめろ!」
言葉を聞いたのかは知らないが、マチは拳を握らずに掌底で黒髪の腹を突いた。絞り出した声とともに崩れた巨体を一瞥。すぐには立たないだろうと判断したパーカーはこちらを振り向いて、いつも通りの笑顔で話す。
「心配しないで、これは当ててないから」
マチの左手に輝いていたものは、いわゆるメリケンサックと呼ばれるもので、指にはめてパンチを強化するというもの。使ったことも使われたこともないが、鉄の塊なんか本当に喰らわせていたら、大けがは必至なのではないか?
「お前らなんなんだよ」
立ち上がったのは茶髪、本棚と衝突したくらいじゃノックアウトとはいかないらしい。フラッと、糸で操られた人形のように一歩。手元には握られたナイフ。両腕を露出し、しかも武器まで持っている侵入者に対して、彼も彼なりの切り札を使うつもりらしい。
「マチ、気をつけないと……」
「平気だって。どうせ使い慣れちゃいないよ」
侮ることをいっさい隠さないパンダの発言は、男子生徒の神経を逆撫でするために発せられる。血走った目で振りかぶったまま、茶髪はまっすぐマチへ。
「ほら、大振りじゃん」
本当にわずかな時間だった。
「使いかたがなってないな~」
右腕を四次元ポケットへ。
「まあそれは……」
鋭く、刃。
「ぼくも同じだけどね」
ナイフは止まった。
ハサミだ。
ルミエールタイプ1311
瞬間茶髪の身体は宙に浮いた。浮いたといっても数センチか数ミリか、ドラえもんくらいの浮遊だ。下から押し上げられたのだ。マチの足が彼の股間を蹴っ飛ばす、想像以上の絶叫が数瞬、そしてうめき声へとシフトして、彼はもう起き上がれる状態ではなくなった。
「クソが!」
腹をやられたはずの大きな男子は顔を歪めながらもマチに突撃。が、ハサミの先端を向けられると即時その足は停止した。彼の手にはなんの武器もない。左手も右手も武装されたマチは、首を曲げ、彼の表情を覗き込む。これでも向かってくるのか? どうする? とでも言いたげだ。自分よりもよっぽど小さい人間に、こうも弄ばれていてはきまりが悪い。彼は振り上げたこぶしを降ろした。マチはハサミを持つ手を引いて、突き刺す準備をした。ように見えた。
「あんた!」
「あーもううるさいな。いまいいとこなんだ」
本当に腹を貫かれるのではないか。怯えた男は拳を振り払えない。動けない。
「黙っててよ」
マチは男の顔面を殴った。右腕、ハサミは手元にない。
殴る。腕を引く。殴る。腕を引く。
細かい連打。
ハサミが床に落ちる音。
男はマチの腕を掴もうとする。
が、毎回しっかりと引かれる腕は、容易に捕まえることができない。
殴る。腕を引く。殴る。腕を引く。
細かいダメージが顔という無視できない部位に炸裂し続ける。
異様な光景だった。マチは男をいたぶるように致命打を与えず、右腕一本で翻弄していた。ロングヘアの彼女は、目の前で繰り広げられている殴打に言葉を失っている。私も似たようなものだ。体格の差は歴然なのに、それ以上に実力の差が圧倒的。どこで、どうやってこんな技術を会得したのか。スムーズに身体を動かすのではなく、相手を打ち負かすことに特化した運びは、護身という領域を超えている。
「トドメ」
反転左腕を引いたマチ。メリケンサックが狙いを定める、力強く一歩前へ。
「んんぅぅ!」
男は赤くなった顔を湛え、それでもマチの一撃を抑え込むために手を伸ばす。大技を繰りだす隙は誰にだって平等だ。マチはまんまと腕を掴まれてしまう。この乱闘で初のことだ。
「獲った!」
「くれてやるよ」
マチは引っ張られる左腕と切り替えるように、右腕を引いた。男の注意は左手にある凶器にばかり向いている。狂喜を噛みしめるような顔をしたパーカーは、待っていましたとばかり、眼前へ迫った男に言った。
「これでラスト」
振りかぶった右が男の顔面を捉えた。
鈍い音がした。
男の身体が飛んだ。
棚に当たる、本が落ちた。
もうピクリと、ジャーキングみたいにしか動かない。
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