爪紅乙女
飛び込んだのはまず一階だ。ここには文化部の作品が展示や掲示という日の目を見ている。がしかし、それ以外は基本的に文化祭とは関係のない職員室や指導室なんかが並ぶばかり、直接の接触は避けたかったがしかたがないと忘れ物がなかったかと教員に確認をとった。妹のポーチがなくなったんです、と小芝居。
「まあいろいろと届いちゃいますが……それらしいものは特にないですね……」
塩顔の教師は、日本史系の本がちらほらと並んでいる机からこちらに来るや、すぐにそう返した。確認はしてくれたようだけれども、残念ながら徒労に終わった。美術部や文芸部の展示にも顔を出しては確認したが、どれもこれも不発。
「もしかしてチカさんの? でも今日は見てないですね……メイク道具なら、もし合うやつがあれば貸すので、また来てください」
メガネをかけた美術部の部長は残念そうに呟いた。同じく三年生で知り合いらしいから、余計にそう見えたのかもしれない。
「ここにはないみたいですけどね……葉山さんはなにか知っている?」
「形部くんといっしょ。私も知らない」
文芸部の男女ははてなんのことだろうかという様子。無理もない。でも机の中とかを調べてくれただけでも嬉しかった。お辞儀をしてまた走る。
二階へと駆け、一年生のクラス展示にも目を凝らしていく。本気で隠されたらどうしようもないだろうが、お化け屋敷なんかにも協力を仰いで三分間だけ営業を止めてもらった。ろくろ首や枕返しまで協力してくれたのに、ポーチは見つからなかった。女装メイドブロマイドが教室中に貼られているクラスでは、ブランドを教えてくれれば絶対に道具は用意できますよとのこと。ここの生徒たちはいい子ばかりだ。
汗でべとついた前髪が鬱陶しい。彼が切ってくれないせいで、乱れるとすぐに目まで降りてきてしまう。ヘアアイロンやドライヤーを高いやつにすれば、こんな悩みともおさらばできるのだろうか。これじゃあ自分が探しているものが目の前に転がってきても、拾えるかどうか。どうしてくれるんだと問い詰めてやりたい。不注意で死んだやつに、私まで前方不注意にさせられてしまう。『メリーさんの羊』よろしくついて来いということなのか、それとも私がこの視界不良の原因を彼に帰して、スケープゴートにしようとしているのだろうか。
ゴールデンレコードのレプリカが壁に掛けられている理科室は、天文学部がプラネタリウムを上映していた場所だ。さっきは暗かったから気がつかなかったが、ずいぶんと立派な光沢を放っている。
「おや、もう上映は終わりましたよ?」
スプラトゥーンのイカ研究員を思わせるいで立ち、ようするに白衣姿の部員たちが乱暴に部屋まで侵入した私に告げる。かくかくしかじか。要約して事態を伝えることは慣れている。歴史的な事件だって、普段からそんな調子で話しているのだから。任せろ。
「ここには見られないですね。忘れ物も毎回チェックはしているので」
「そうですか。お騒がせしました、ありがとう」
「星よりもそばにあるはずです。頑張ってください。我々も見つけられれば、講堂まで届けにゆきます」
「はい、ボイジャーくらいのスピードで走ります」
「美しいことです」
ええい三階に上がるしかない。二年生のクラスにはジェットコースターの展示なんかもあるから、あそこで隠されでもしたら終わりだ。もうどうしようもない。でも探すしかないんだ。そのクラスは一度おいて、喫茶店という名の休憩所なんかを探す。
次。ない。次。ない。次。ない。
二年一組。シラスの着ぐるみが寝転がっているだけのクラスだ。なんだか魚類に話しかけるのも億劫だし、見渡すだけ見て、ため息とともに肩を落とす。ここまでまったくの成果なし。そりゃそうだ。砂漠のなかから特定の砂粒ひとつを見つけるよりはましという程度なのだから。あるいは宇宙人がゴールデンレコードを見つけるよりも。絶望感しかない旅路。マチと別れてから一〇分以上経ってしまっている。本当に探しかたはこれでいいのか。そもそもいままでに見落としはなかったのか。
「……探し物ですか?」
かけられた声は、クラスの端。誰かがいきすぎた暴行をシラスに加えないよう、見張っている役割を果たしているらしい子。私は、彼女を知っている。
「……はい、でもどうして……?」
視線がシラスを見ていなかったですし。そんなに肩で息をして、このクラスに来る必要性もないですから。読んでいたらしき本をパタンと閉じる。椹木野衣の『爆心地の芸術』。
「さっきもお会いしましたね」
ええ。こちらまで悠然と歩き、ぺこりとスムーズなお辞儀をした。動いた前髪を直した指、その爪には赤いマニキュアが光っている。爪の紅、校門にいた文化祭実行委員の女の子だ。
「赤樫アメノヒといいます。なにか協力できることはありますか?」
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