タイムリミットに
重苦しい空気だ。もう冬も間近だというのにこんなにじめっとした校舎裏じゃ、なにを話していても陰鬱な雰囲気になるだろう。では場所を変えようかと冗談でも言いたくなるが、正直親父ギャグすら思いつかないくらい、私たちには余裕がない。チカさんもうなだれては考えている風でなにも考えられていない模様。マチを押しのけては自分で部室をひっくり返す鹿島くん。認められないと言っているようなものだけれど、成果をあげることはない。マチも事態を把握した様子だけれど、打開策を発する気はないらしい。私も同様だ。もしこれを解決しなくてはならないとしたら、とるべき手段はたったひとつだ。しかし、そんなことが可能かどうか……。
「……もう、しかたないか……」
蜘蛛の糸を断たれてしまった表情だ。いままで何度も、彼女が苦しんでいるさまを見てきた。旗の焼却、メモリの紛失、脚本決定までの悶着。いや、テストの結果が芳しくなかったこと、親と喧嘩したと憤慨したこと、友達と会話が弾まないと憂いたこと、そんな場面すら思い出される。そんななかで、部活は彼女にとって励むべき壁として、挑むべき山としていつも寄り添ってきた。知っている。何年も彼女を見てきた。彼女の緩やかに、けれども確実だった歩みに、少しくらいは関わってきた。この何ヶ月間だけでも、彼女は今日のために身を削ってきた。
「チカさん……私……」
だからこそ、ここで踏み出すべきなのだ。彼女はもう、投げ出そうとしている。分かる。だって、だって、こんな顔、いままで一度だって見たことがない。
できるかできないかなんて、言った後で変えればいい。彼女の頑張りを、道半ばで終わらせてたまるか。こんな思い出にして、なにをチカさんは喜べばいい?
「別にいいんですよ、先生。メイクだって部内共有のものがあるんで。それを使えばいいんです。メガネだってかけて問題があるわけじゃないし。最悪裸眼であれば……」
違う、そんなはずない。そんな話でつくのなら、あなたは最初から専用のポーチなんて用意するはずがない。それにあなたは忘れているのかもしれないけれど、私はその理由だって聞いている。覚えている。だって前に話してくれたから。
「っざっけんなよ!」
怒号はやけに籠っている。反響が不気味だ。倉庫だ。
「お前が自分で言ってたんだろ! 部室のなんか……あ~粉とかよく分かんねえけど、肌に合わないし発色も微妙だって。だからさんざん失敗して、雑誌読んでは試してって……。コンタクトだって今回の役じゃ、のっけから走って登場するんだぞ。メガネじゃなんかあって落ちるかもしんねえだろ!」
「鹿島くん……」
そう。だから、こんな大事な公演で失われていい物じゃない。
「脚本書いているときから、お前のキャラは活発で、はつらつで、顔がはっきり見えるべきだって方向性が決まってた!」
倉庫から出てくる少年。すぐ隣のマチは壁に寄りかかり、目を閉じて聞いている。
「自分で決めたことだろ! こんなことで諦めてんじゃねえ!」
気圧されて一歩下がったチカさん。私は黙って頷くに留める。言いたいことは全部彼が言ってくれた。
「でも、だって、ないものはもう……」
そんなの。口に出すより先に、うるさい男子は吠えている。
「そんなの俺が探してきてやる! まだ三〇分は猶予があんだろ!」
両手をわなわなと震わせている鹿島くん。こんな状況でなんの算段があるわけでもないだろう。訳も分からずに危機に立たされ、そのまんまの格好で解決に向かおうとする姿勢。さっきは悪役だったが、いまじゃまるでヒーローだ。見かたが変われば見えかたも変わる。さながら彼は多摩川に立つクヌギの木。
「よく言ったクソガキ! ぼくたちが探してきてやろう!」
弾けるように目を開いたマチは、背伸びをしては鹿島くんの頭を掴み、乱暴に撫でた。いででででで。髪が散る、埃も舞いそう。パンダの言うことも理にかなっている。彼にも彼の役があり、準備があるはずだから。
「先生!」
なにを乞うているのか、眼光紙背に徹しろ私。もう言う準備はできているから、ほとんど同タイミングで返した。
「あんたは外! 私は校舎!」
夕暮れのように若干赤くなる空。いや、もちろん日没は近づいてきているのだ。そうとは感じられないのは、まだこの一日が終わっちゃたまらないから。午後四時までのタイムリミットに、コンバースはうなりをあげて回転した。
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