勧善懲悪
三年の六組だろうか、教室前で展開されていた悶着には廊下の人間が観客となって行方を見守っている。そのなかに私とマチも混ざることになってしまう。最高学年とは名ばかりで、やっぱり年相応かそれ以下の講堂だってそりゃ見られるはずだ。
「鹿島! じゃあほかの人呼んでくるからその間だけでも見てて!」
「はあ? お前が見てろよ、グループでよびゃ誰かくんだろ!」
ん? 首を傾げたのは私だけではなく、となりのマチもだ。どこかで聞いたことのある苗字だ。誰か知り合いのなかにいただろうか、と脳内検索をかけてみる。残念ながらヒットはゼロ件、少なくとも知ったなかにはいないらしい。
「演劇部の公演なんてまだ先じゃん、そんなに早く行ってどうすんの?」
「こっちにはこっちのやることあんだよ!」
ああー! とふたり顔を見合わせたのは、即時に合点がいったから。このじゃりんこボーイは私たちの知り合いではなく、チカさんの口から伝聞されていたクソガキだったのだ! こいつは彼女に嫌味を言ったりいちゃもんつけたりとさんざんなやつで、私たちの間ではすっかり悪者役となっているのだ。ご尊顔を拝見できるとは思わなんだと口角が緩む。同じようなことを思ったのはマチもだ。しかしながら私とあのバカでは、思うことはいっしょでも、行うことはまるで違うというのはよくある話。野次馬としてこの醜態を見守ろうと腕を組んだ私とは裏腹に、やつは盛大に輪を掻き分け、鹿島本人に迫っていく。
「ねーねー、きみが演劇部の鹿島?」
おいおい、騒ぎは起こさないでくれよ。他人のふりをして私は一歩後ろに下がった。賢明な判断だ、この学校を叩きだされるのはあいつだけで結構なのだし。
「は? 誰だお前?」
教科書通りの反応だ。
「チカっちの友達。話はたくさん聞いているよ? 自分の仕事もろくにしないで他人にちょっかいばかりかけるって、クラスでもそんなんなんだね」
「あいつの……? いきなり話しかけてきてなんだよ。用件は?」
標的をマチへと定めたらしい鹿島は、高圧的な態度で自分よりも二〇センチ近く背が低いパーカーににじり寄る。
「いや別に、こんなところですったもんだして、恥ずかしくないのかなって思ってね。それにチカっちはまだ委員会だし、すぐ演劇部で集まる必要もないんじゃない?」
なんであんたも引かないんだよ。
「あいつがサボってっから俺がチェックしなきゃいけねえことが増えてんだろ。大道具小道具、全部揃ってっか見にいくんだよ。どけ」
「そんなの昨日チカっちが確認してるよ。足が生えているわけでもあるまいし、なくなるなんてこと……」
鹿島の白くて長い顔がしわくちゃになったのが分かった。一瞬の間に元に戻ってしまったけれど、確かにその変化は起こっていた。マチだって分かっているはずだ。こいつは間違いなくいま、イライラしている。
「お前になにが分かんだよ!」
きゃあ! と叫んだのは野次馬の女子生徒だ。鹿島は感情に任せるがままマチに掴みかかり、教育機関特有の白い壁にその身体を押しやった。
「鹿島! あんたいい加減にしなさいよ! 相手女子……? ……っ! だぞ!」
若干迷っているようだったが、まあ体格がそれらしいことは否定できない。
「っせえ!」
彼を引き留めていたクラスメイトらしき子が叫ぶ。誰か先生呼んでこないと、と小声が聞こえたが、集団から脱出するものは現れそうもなかった。私としても心配しないわけではなかったが、マチの言いかたや表情がいつも以上にわざとらしく神経を逆なでしているように聞こえたということもあって、輪を飛び出して中心に飛び込めるようなポジションを探すだけに行動は留めた。
「大丈夫だよ。ぼくは平気だから」
その女子に笑いかけたマチは、明らかに挑発と分かるように鹿島へ鼻笑いを咲かせた。いっそう頭に血を上らせた鹿島は握ったパーカーを持ち上げるようにして、マチの首元を圧迫。マチは涼しい顔のままだったが。
「舐めてんのか!」
「こっちのセリフだぞ、ガキ」
ニヤリ。言ったそばから鹿島のバランスは崩れた。足元にあったはずの地面が突如として消えてしまったかのようだった。
もちろんそれはマチの足払いによって起きたアンバランスだった。マチの白い脚が躍るように宙に線を描く。
お返しとばかりに掴み、肩を引っ張ることで加速度的に鹿島は地面へと倒れる。
風よりも一陣に決まった勝負は、情けない叫び声で終幕。
「いっで……!」
頭が廊下にまっすぐ落ちたら大変だと言わんばかり、マチは靴で鹿島を受けとめた。
サッカーボールのように頭を転がされ、安全に少年は着陸を果たす。
「おっといけない、お怪我はありませんか? このあと劇に出るんでしょう?」
野次馬たちからは歓声があがったのが世界の残酷さだ。思わぬハプニングから喜ばしい勧善懲悪が展開されたのだ。盛り上がらないわけがない。マチの見た目からして高校三年生の男子を、文字通り転がすとは誰が思うだろうか。私としてはそこまで意外には思わなかったけれど、パッとした見た目だけで判断すれば驚天動地もいいところ。鹿島のクラスメイトも悪くないという表情だ。
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