修羅

「それは結構ですが、ところでどうしておふたりがここに?」


 階段を上りきったところで私たちを待ち構えていたのは、メガネをクイっとやっている我らがお姫様だ。白熱電球……よりは上等な明かりを反射しているせいか、瞳の様子は分からない。白熱していないといいなぁ。口の形状からすると、どうやら愉快な表情はしていないようだけれど……。


「いや~チカっち」


「違うのチカさん、聞いて」


「押し通っちゃった」


「ちゃんと許可は貰ったの」


「アシタカみたいにさ~」


「門のところの先生がいいって言ったのよ」


 私たちの説得は文化祭実行委員にどのような反響をもたらすだろうか。おかしいな、私のほうが年上で、いちおう立場としては目上のはずなのに。黙ったチカさん、腕章をピンで留めている彼女から溢れ出る威圧感に押されている気がするのは、高所有利の原則があるからだろうか?


「とりあえず座りましょうか?」


「……応接室がいいかも……な~……」


 マチもこりゃ勝てなさそうだなと語気を弱めていくのは、チカさんが指を廊下に向けているから。羅針盤のような頑固さが見え隠れしている態度は、さすが最高学年といった貫禄だ。まあ追い出されるということはないだろうけれど、ここでは彼女がお山の大将だ。言うことは聞かざるを得まい。


 やれやれ、どうせ反対されるだろうからと黙っていたのがよくなかったな。なるべく短く終わってくれることを祈りながら、私はいち早く地面に座り込んだ。もちろん正座。言うまでもなく正座。



「私実行委員の仕事があるのであなたたちにお説教している時間なんてないんですよそもそも誰の親族でもないのにどうやって入ってきたんですか入口にいた子たちはなにをしていたんだか適当に仕事してもバレないと思ったら大間違いだってのこっちは既製品だからいいでしょうとか言って飲食物販売していたクラスに押しかけてブツを押収したり企画書通りの催しになっているのか確認して回ったりあっちで消毒切れたってなったら補充したりっててんてこ舞いなんですよ分かりますか分からないでしょうね私だってクラスの展示にシフト組まれてんのにこのままじゃ行けませんよやってられるかって感じです」


「……はい」


「ウッス……」


 元気そうでよかった。あの台風の一夜、公式記録ではマチの家に泊まったことになっていた時間は、とにかく虚ろな目をしていた彼女。私たちの作ったクラス旗にはお礼を言ってくれたものの、どこか宙にむかって放っていたようだった。塾で会ったときには普段通りの口調と顔色を取り戻していたから、大事には至ってはいないのだろうか。もちろん今日この日まで、彼女が平穏無事に準備を進められていたことは知っていたし、マチの予想を裏切って、このまま何事もなくお祭りが終わってくれればそれに越したことはないのだ。


「ちなみに本当にどうやって入ったんですか? 周囲の柵を飛び越えたりしてませんよね? あそこ有刺鉄線ありますよ?」


「なんか申請忘れちゃったってごねたらね、入れてもらえたんだよね」


 頭を掻いて誤魔化したマチは、珍しく自らの非を認めているようだった。まあ、火に油を注いでもしかたがないと考えているのだろうが。呆れたと首を振ったチカさんは、遠くから名前を呼ばれ大きな声で返事をした。


「もう、私はとにかくやることをやらないといけないので……とにかく変なことはしないで、大人しくしててくださいね!」


 叩きつけるように怒鳴られ、道往く生徒たちの注目を一身に集めた私たち。もうこの時点でだいぶ目立っていますが。という抵抗すら許さないで、チカさんは足音高らか一年生の教室が並んだ二階を歩きだす。


「ひえ~ありゃ修羅だね。仕事続きで手が六本くらい必要になったんだ」


 マチが涼しげな顔で立ち上がるも、私は痺れた足を慣らすために壁に体重を預けなくてはいけなかった。もうなにやってんだよとこれはしたりなマチに文句も言ってやりたかったが、生まれたての羊のようになった我が身体にそんな余裕はなかった。


「まあ、物事を仕切ったり他人に指示を出したりってのは、気も張るものよ……」


 私だって生徒やほかの講師に指示を出すときに、さまざまタスクが重なっていればあっという間に積載量はオーバーする。それで仕事ができなくなるわけでもないが、とにかく素早く思考して瞬間ごとの最適解を模索し続けるのだ。疲れるだろうし、短気になっても不思議じゃない。


「でもあんなカッカしちゃシワが増えるよ?」


「マチさん、なにか言った?」


 驚いてその場で飛び上がったマチの背後には、クリップボードに挟んだ書類に細かく書き込みをしているチカさんが笑っている。やっちまったなと死にゆく生徒を見守りながら、血の巡りが回復してきたことを確認した。中高と陸上部、ムギちゃんをいちおうながら助けた実績もあるこの両足も、血管が詰まっちゃ役立たずの欠陥品だ。


「いや~どうもチカっち、また会ったね」


「そうだねー。久しぶり」


 コホンと咳払い。チカさんはいつものような声色に戻り、穏やかな表情へと戻っていく。お祭りだからと燃え上がっていたさっきまでとは違い、タイムラプス撮影で撮られた花の萎れかたを思わせる表情変化は、彼女が今日一日に抱いている思いを物語るようだった。


「いちおう言っておこうと。おふたりとも、心配してくれてどうもありがとうって」


 にこりと笑った高校三年生。最高学年の威厳だけではなく、気品まで兼ね備えていたのだからどしがたい。彼女は彼女なりの覚悟があって、ひとりでだってなんとかするつもりなのだ。マチと同じ疑念を抱いているのであろう彼女に、私たちはなにができるのだろうか。改めて問い直しながら、責務に向かう彼女を見送った。

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