特許王の言葉
「ん~でも、ルールはなぁ……」
ここで衝撃を受けたのはふたりともだっただろう。ここまで面倒くさい客になれば通してくれるだろう。というのがマチの読みでありいまや私の予感でもあるが、意外に厳重なルールが道を譲らない。きつく言い渡されているのだろうか、たかが文化祭に入るだけじゃないか。
「……じゃあ……」
足掻くためにとマチが口を開く。まだなにか突破口があるとでもいうのだろうか。いや、おそらくはそれを思いつくための時間稼ぎというのが正しい。ならば私は考える役だ。アドリブを乗り切れ。
「いやいや、なにかあってからじゃ……」
ダメか……。
「いいんじゃないんですか? 生徒にプラスひとり増えるだけじゃないですか。もともと生田さん……でしたっけ、この人が申請を出していたら普通に入れたわけなんですし。二年生の文化祭は一生に一回だけなんです。ここは通してあげましょうよ」
口を開いたのは実行委員の女子生徒だ。短く切られたショートカットがよく似合う、奇麗な瞳で私たちを見ていた。
「まあ、それもそうか。じゃあ分かりました。今回は特別で。ただ、感染防止は徹底してくださいね」
首を捻ってはいるものの、とりあえずは納得してくれた様子。ありがとうございますと横切って、いそいそと私たちは消毒液を手にかける。よく手を揉んで身の潔癖を証明しては、大手を振って校内に侵入できるようになった。
「いや~、どうもありがとうね」
「いえ、文化祭を楽しんでもらうのが私たちの役目ですから」
特に気にしていないですよと平坦な声と表情で、彼女はストラップを渡した。私たちの吐いた嘘と同じように、彼女の爪もマニキュアによって赤く染め上げられている。へらへらしているマチに対して、唇に手を当ててなにかを考えている風だった。
「お気をつけて」
視線を切りながらの言葉は、妙に耳にこびりついてしまう。気にせず進むマチは、返事をすることはなかった。私はひとつ、会釈で返すことにした。
まずなにをするべきか。文化祭が始まってまだ間もない校内は、私の通っていた高校よりもずっと賑わいでいた。羨ましい限りである。見惚れているのは私だけでもなく、マチはぼんやりとした風に考えをつけていき、ひとまずは歩き回るほかないということとなる。
「いや~文化祭ってこんな感じなんだ。射的とかもある。気になるな」
「これでも食べ物を作っているところとかがないから、魅力としては半減だけどね」
「ひゃ~」
社会の影とばかり触れ合っているこいつにとっては、真昼間から開催されているこの年に一度のお祭なんて、珍しくてしょうがないだろう。校舎の隙間から覗く校庭には、オープンエア空間だから構わないだろうと屋台が並べられていて、射的や輪投げなんかの遊びを楽しめるようだ。校舎の入り口、下駄箱にはなにかの競技で使うのであろう得点板を改造して校内マップが掲示されている。一階は職員室や各種実技科目用の教室が入っているせいで特に見どころはなかったが、二階からは順に四階まで、各学年のクラス展示やレクリエーションが展開されているとのこと。
「じゃ、どこから攻める?」
「あんたは祭を楽しみに来たのかい」
マップの前で腕組をしているバカに呆れながら、それにしたって時間を潰さないといけないのも一理だ。チカさんら演劇部に与えられた講堂の時間は、午後四時からだ。現在の時間は一二時手前。
「まさかね。仕掛けるならおそらくはいまからの四時間のうち、どこかだ」
「……まあ私も可能性がないとは思わないけれど、本当にやってくると思うの?」
「もちろん。だってぼくたちがなにもしなかったら、チカっちが横断幕をリカバーできた可能性は低いでしょ。それが思いのほかの回復力を見せつけたんだ……」
だったら。マチはそれ以上のことは言わない。私にしたって聞きたくはないし、その必要もない話だ。最悪の事態を避けるため。この場所に立っている理由なんてそれだけなのだ。
「しっかしあんたも、よくそこまでチカさんに肩入れするようになったものね」
「ん~なんていうかよく分かんないけど、ぼくはあの人の書いたシナリオ、結構好きだったんだよね。演者としてはどうだか知らないけれど、とにかくぼくは興味を持ったんだ」
「へえ、あんたもそれなりにコンテンツ好きなんだろうけど、どういうところがいいと思ったの?」
「そんなの言語化できるほど、達者なつもりはないけどね」
あまり地図を占領しておくのもよかないだろう。とりえず場所を変えるかと歩きだし、一階から二階へと階段を使って上がり始める。普段から土足仕様で運用されている校舎らしいけれど、今日ばかりは人の往来が激しいせいか、目に見えて汚れているのが分かる。様々な靴の裏がくっきりとついているところもあって、砂の塊は申し訳なさそうにその身を廊下へ預けている。女子生徒のふたり組が大声を上げてそれを踏みつぶし、爆音のまま私たちをすり抜けていった。
「ただ言うじゃないか、九九パーセントの努力と一パーセントの閃きって」
「ああ、エジソンのやつね」
「そう、あの特許王の言葉。ぼくはチカっちの作劇から一パーセントの閃きを感じたんだよね。まだ努力が九九パーセント積むことができるかは分からないし、そんなの結果論にすぎないんだけどさ」
私たちの足音も階段に響き、拡散しては消えていく。音は蓄えられることを知らず、減衰は世界の理であるらしかった。
「観てみたいに決まっているし、邪魔するやつはこっちも全力で邪魔してやらないと気が済まないじゃないか」
マチはなにかを確かめるように、パーカーのポケットにまた手を突っ込んでいた。
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