芸術か戦いか


 よく晴れた午前だった。一時間小田急線に揺られ、ついに観念と空いている席に私たちは座る。他愛もない話に切り替わったのは意外とすぐで、新百合ヶ丘で快速に乗り換えてからだった。時速一〇〇は優に超えていそうな勢いでかっ飛んでいく車列は、相模大野を境に大きく左に曲がった。丘陵地帯から一変して平らな地面が広がっていく、相模の国の風景たち。さっきまで山あり谷ありな会話をしていた私たちも、ここではどうしたって尖ることはできない。


「でもさ、変な人たちと会話してると、自分が知ることもなさそうな知識を得られたりとかするわけだよ」


「受験に関係しそうなことか?」


「それより大事なものさ。手を縛られたときの脱出方法とか、どういう場所には監視カメラが少ないだとか」


「はいはい、で一九七五年までスペインの大統領だった人物は?」


「フランコ将軍」


「今日、私がムギちゃんと最初に遊んだ遊具は?」


「ああ……ブランコだったんだね」


 マチの呆れは、横浜市営地下鉄へと乗り換えていく人々の足に踏みつぶされる。私のセンスは、戦後七〇年代まで続いたファシスト政権のような古めかしさをまとっているとでも言いたげな目線はよそへ。比較的直線を描いていた線路が大きく歪めば、そこはもう湘南地域の代名詞。向ヶ丘遊園から続く線路は郊外というより、もはや観光スポットへと延びていた。私たちはさらに乗り換えを挿む。頼りなくも馴染みのある、江ノ電の三両編成だ。緑の車体に黄色のライン、どことなくムギちゃんの園服姿を思わせる列車は、さらに南へ、さらに海辺へ。


 どこで降りてもフォトジェニックなところへ連れていってくれそうな駅たちを通り過ぎて、ひとりだったらアジカンのアルバムを再生していただろうな、とぼんやり。


「先生、海だよ。江ノ島だ。芸術の神様がいるって話だよ」


 いつの間にやら呼び名が戻っている。窓辺には相模湾と江ノ島が、おいでませと両手を広げている。雲はまばら、空は青色、路面電車は車を待たせ、ヘモグロビンを運んでく。


「そうだっけ? 確か戦いの神様がいたんじゃ……」


「どのみち今日に持ってこい。ちはやぶるって感じだね~」


 台風がひとつ過ぎ去ってから、今日この日まで晴天は続いていた。決戦の日はまさに、天気晴朗なれど波高し、だ。もちろんZ旗を掲げられるような準備も修練も、積んじゃいないが。こうなったらもう、やれるだけはやってみるか。

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