ジャイアントスイング

 ムギちゃん、私が今朝からお相手させていただいているこの子は、ハッキリいって赤の他人だ。ご近所付き合いからして希薄になった現代で、どこの馬の骨とも知れない私なんかによく任せてもらえたものだ。とはいっても、それもムギちゃんママから信用してもらっていることの証明なのだと考えるべきだろう。どうしてあの若妻からそんな評価を得ることができたのか、答えは単純明快だ。


「ムギが毎日のように言うんです、イズミお姉ちゃんは一生懸命がんばってくれたんだ、すっごく足が速かったんだって」


 あはは、それはどうも……。前髪の伸びた頭を掻くことしかできなかったわけだが、少なくとも母親へのプレゼントを探し回ったあの日について、彼女が傷ついたり、恐怖におののいたりという記憶ばかりが残っているのではないと知れただけよかった。人に渡す花束の相談に行った私とやたら世間話をしたがった女店主は、続けてこんな相談をしてきた。昔は駅前にあった花屋の店長にも負けないくらいの朗らかさで、話題の花はつぎつぎ咲いた。


「あれからムギも外で遊ぶことが増えて嬉しい限りです。ただ最近、とにかく朝から遊びに行きたいってうるさくて……」


 へえそれは大変ですね。ところでどうしてそんなに申し訳なさそうな顔をしているんですか? 面倒ごとへの嗅覚がついてきたな、鼻だけにと感心。ともかくはお母様の言葉に耳を傾ける。


「今度の日曜日、いつもなら夫がムギを公園に連れていってくれるんですけど、出張が入ってしまって……私も店の準備があるのでどうしようもなくてですね……」


 なるほど。肩が落ちる思いだ。態度には出さないが。


「花束のお代は結構ですので、どうか朝一時間だけでもいっしょに遊んでもらうことはできませんか?」


 ハナからこれを頼むつもりだったのだろうか。花だけに。




「お姉ちゃん、今度はあっち、滑り台!」


 彼女が茶色の滑り台をキャッキャ言いながら上っていく。なにがどうしてそんなにおもしろいのだろうか。そうはいっても、私が彼女にとって「いっしょにいるだけで無条件に楽しくなってしまう人」になれているのかもしれないと思えば、悪い気はしなかった。


「とめてね!」


「はーい」


 なんのことだろうかという疑問符を余所において、小さな身体が二メートルくらいの高さから滑り落ちてくる。その様に、無意識から手が伸びた。小さいころはこんな風に大人が滑り台の近くに立っていてくれたような気もする。脳科学の実験じゃないが、そんな気がすると思えば関連する記憶が脳内で作られていくような気もした。お母さんから吸うなと言われていたタバコを容赦なく咥えながら、父親が実家近くの公園についてきてくれたこと、八ミリフィルムに刻まれた映像が回転していくように風景は蘇った。


「もう一回!」


 私の腕が衝撃に襲われている最中、すでに大塚愛みたいなことを言いだしているムギちゃん。地に足をつけるやいなや、頭身が低く不安定な身体を揺らしながら階段へと向かっていく。花屋の開店準備ができたら戻ることになっているわけだから、この隙に時間を確認。スマートフォンの数字はまだまだ一〇時に近づくつもりはないようで、ため息とともにムギちゃんの登頂を確認した。


「いくよ!」


「あいよー」


 笑顔を咲かせて再びキャッチ、これが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』かと苦笑いが零れる。動き散らかして顔を真赤にしている彼女は、まるでサクランボのようではあるのだが。


 それからもムギちゃんは私を馬車馬のように使い回し、休んだほうがいいんじゃないかという私の体力的な問題点を提示するも、「私は平気!」とのひと言で無為に帰されてしまった。馬耳東風とはこのことだ。隠語でもなんでもなくお花摘みとかしてくれると助かるのだが、彼女の遊びはもっぱらフィジカル系ばっかりだ。肩車して走って欲しいとの要望には事故防止の観点からお断り申し上げたが、代替案がおんぶして走り回ってとのことだから困ってしまった。パンがなければケーキを食べればいいじゃないというわけか。まあ、なにをするにも全力で笑ってくれているのだけれど。


「じゃあジャイアントスイングして~」


「どこで覚えたのそんな言葉」


 お父さんとばっかり遊ばせていると、おそらくムギちゃんはムキムキちゃんになってしまいますよ、奥さん。

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