第四話 ちょっとだけゴールデンレコード
冗談じゃないぞ朝九時だぞ
草の匂いはすれどいまだ花の匂いはせず。せっかくのバラ園に赴くこともない休日は、花としての魅力のないダメなオンナそのものだった。秋といえばコスモスと答えるのが魅力的な思考回路だろうに。
「秋はねなんか、森の色が変わる」
と目を輝かせた五歳児に、私はこう返してしまったのだ。
「そうだね。秋だとスズメバチとかが越冬のために凶暴化するから、そういうところも気をつけようね」
山育ち丸出しな、芋っぽい女だ。そんな私にも訪れた、愛しのお子様と緑豊かな公園で遊ぶという午前中。個人差もあれどたいていの子供は朝から元気だ。元気がない子でも、朝からいつも通りのスロットルは回ってしまう。彼らがマン島TTレース用マシンのような加速を見せるなか、私のような成熟が済んだ人間にはさしずめ『水曜どうでしょう』のスーパーカブがごとく、砂丘の砂を乗っけているハンディキャップが課せられている。
要するに私は、朝が苦手だというのに子供のお守りをさせられていているのだ。まあ強いられているというよりは、引き受けるべきだと思っただけなのだが。
「イズミお姉ちゃん、押して!」
「はーいブランコね」
冗談じゃないぞ朝九時だぞ。日曜日のこんな時間はまだ眠っていないとならないんだ。六法全書にもそう書いてあるはずだ。なんなら七法目を書いたっていい。
しかしながら世間とは恐ろしいもので、朝の冷たさを保ったままの土には、新鮮な足跡がいくつも刻まれていた。老人から子供、運動目的できた普段は会社勤めをしていそうな男女も。さながら流行りのアニメ映画を上映するハコのような多様性を見せつけている、生田緑地内の公園。草木ははにかむように揺れて、遠心力に声をあげるムギちゃんを見守っていた。私も彼女くらいのときには狂ったようにブランコを乗り回し、挙句のはてには前方の柵を飛び越えるという沙汰までしていた。よくもまあ、たいしたケガもしないで済んでいたものだ。細かなそれはいくらでもあったが。お父さんに抱えられながら家に戻ったのも思い出のひとつである。
「立ちこぎはね、まだ怖いから無理なの」
「ああーそうだね。もうちょっと大きくなったら絶対できるようになるから、大丈夫だよ」
「えへへ~」
中島みゆきの『時代』が脳髄で鳴り響いている。自分にもこういう時期があったのだろうなと、子供を見ていると鏡の前に立たされたような気持ちになることがある。ここまで古い自分と相対するのはそうないことだから、新鮮な気持ちになってしまった。本当に経験したのかどうかも定かではない記憶でも、いや、むしろ確実に経験していないはずのことにすら、こういう「懐かしさ」というものは香るのだ。ふたつ折りになる定規が連結するサークル状の部品から割れてしまうだとか、弁当箱が傾いて白米にドレッシングが染み込んでしまうだとか、部室がない運動部女子たちの着替えでの連帯感だとか、学生時代の私は確実に経験したものだろうか。考えてみれば陸上部時代はトイレで着替えていたような気がするし、定規は小さな一五センチを携行していたはずなのだ。
「もっと押してー」
「おっ、いくね~。それ!」
「うおぉ! あはは! すごい~!」
背中を押しては遠のいていく彼女を見送る。また返ってくるということが分かっていても、小さな背中が青い空に溶けていくんじゃなかろうかと不安になってしまうのは、私が彼女に対して心配性なところがあるからなのだろう。
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