はむ

 しかし美容師は、その質問に真正面から回答を寄越さなかった。言及する必要もないくらいの自明とでも言いたげなほどすがすがしく、完膚なきまでに話は横に置かれてしまった。


「花はあげましたか?」


「……まあ……菊の花くらいはケージに飾りました」


 駅前の花屋で買ったのだ。初めてこの街に来たときから気になっていたお店だったから、こんな機会でなければもっと心が躍っていただろうに。


「それはよかった。花を供えてあげないと、お客さんの心が浮かばれませんよ」


 バランスが気になるのか、サイドの髪の毛の端に少しずつ手を出していく。


「あの子じゃなくて?」


 私の確認に対して、どうせこの人は言うのだろう。弔いは死んだ人間のためではなく、生きている人間のためにあるのだとか、読書歴が浅そうなことを。


「そりゃ花なんて食べられないんですから、浮かぶ気持ちもないでしょう。ぼくがハムスターなら花よりも種が欲しいです」


「いや、本当に好きでしたよやつは。血相変えて手によじ登ってきましたからね……」


 思い出を言葉にすると、鼻の奥がつんと痛んだ。やっぱり涙が出るほどではない。耐えがたい苦痛というよりは、舌の上で転がしていられるほどの悲しみだった。だからこそ避けがたく、いつまでも味わってしまう種類の悲嘆。


「そういう思い出に浸りながら、花を眺めるのがいいんです。ちょうど眠りにくくなったんですし」


「眠らなくていいんですかね」


「ハムスターが夜眠らなくていいのなら、人間だって大丈夫ですよ」


 こいつは夜行性と昼行性という言葉を知らないのだろうか。欺瞞に満ちた励ましに落胆しつつ、全体的な調節が終わってシャンプーの儀式へとプログラムは移っていく。指の腹が頭皮を撫でる心地よさに誤魔化されそうだったけれど、誰も私の悲しみを理解してくれないというのはげんなりする事案だった。


 私は傷口から零れた血液のような思い出話を閉じて、事務的にこの美容室から去っていくことを考えていた。この美容師さんとは何度もかちあっていて、誰に切られることにも抵抗がなかった私にしては珍しく、指名しているかのような錯覚になっていたけれど、考えてみれば特に話が噛み合ったことはなかったな。


「どうも話を聞いてくれてありがとうございました」


「いえいえ全然」


 その通りだな。


「生きかたが噛み合わなかったふたりが最後までそういうバディだったって、ぼくはすっごくいい話だと思いました」


 私の人生に起こった悲劇をなんだと思っているんだ。呆れて閉口しかけた。しかしながら、もっと唖然とするような発言をされてしまったのだから世話がない。


「で、落ち込んだあとはしっかり食べましょう。死んでしまったハムのためにも食むべきです」


「はむ……」


 私の感情というものをどうしてこんなに汲みとってくれないのだろうか。泡だらけの頭を抱えたくなったわけだが、彼が水ですすぐところを邪魔するのも忍びない。上体を起こしてからタオルで入念に水分をとられている間、私たちはなんの話もしなかった。ドライヤーが火を噴くまで、その沈黙はほかの美容師や客たちの会話の盛り上がりと相まってか、教室に迷い込んだスズメバチのような存在感だった。


「はい、これでお終いです!」


 姿見で自分の姿を確認しつつ、背後に立った男が多多ますます弁ずと笑顔でいるものだから、本当に彼はいいことを言ったという気分でいたのだろう。こんなにコミュニケーションがうまくいかない、というよりかは、正反対の解釈をし続けているという事実。この無茶苦茶さが胸に押し寄せ、挙句の果てに真顔のままでいる自らの顔を見た瞬間、崩れ落ちるようにして笑いが出てしまった。


「どうしました?」


 してやったりという顔だ、バカじゃないのかこいつ。


「あの、一個だけ聞いてもいいですか?」


 でも、


「なんでしょう?」


 バカは結構嫌いじゃない。


「さっきのって、ダジャレのつもりで言ったんですか?」


 もしイエスと言うのなら、この私とはあべこべな人間に興味を持ってみようじゃないか。


「ん~どうですかね」


 さあ、私を求めよ、さすれば与えられん。イエスだけに。

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