えっ

「いつから飼っていたんですか?」


 高校二年生からだった。地方のコンビニでタバコの銘柄を覚えるところから始まった、人生初の労働の成果を最初につぎ込んだ買い物が、そのジャンガリアンだった。ネットで調べたら、おおよそ二年ほどでハムスターは死ぬと書いてあったから、高校卒業と同じくらいにはくたばるだろうという算段だった。それがかなり誤算となった。まさかほぼ四年も生きるだなんて想像もしていなかった。というわけで、大学生になるために引っ越したアパートにも連れていく羽目になったわけだ。お父さんが運転する車が揺れるたび、寿命間近であろう毛玉にかかる負担に胸が痛んだ。結果として向ヶ丘遊園の空気を吸っても、ハムスターは気にかけることもないとペレットを齧り、私の手に乗ったヒマワリの種を欲して飛びついてきた。大学生になって早々には死ぬのだろうとタカをくくり、新歓コンパにもお邪魔しないでなるべく家にいる時間を増やした。それでも、私が眠るために電気を落とせば、ガラガラと回し車は音をたてた。あべこべな時間を生きている私たちは、さながら『雨のダイバー』の夫婦のよう。大学でノートをとっている間、ハムスターは眠りこけている。その奇妙な同居人が、私にとっては心地のいいものだった。


 そんなハムスターが死ぬのだなと気がついたのは、その一週間前のことだった。前兆はずっと前から出ていたのだろう。なにせ食べる量は次第に減っていたのだから。しかし、その現象はとても緩やかなもので、まさに一次関数的に、ゆっくり、一定のペースで進んでいた。毎日のように会っていれば、その身体がデパートで貰ってきた風船のように萎んでいっても、そうそうに気がつくことなんてできなかったのだ。ではなぜ気がついたのか、それは回し車の音がまったく聞こえなくなり、動きも遅く、怠そうに動いていたからだ。


「最期にあの子を見たのは、水を飲んでいるところでした」


 棒状の水飲みを掴み、息をするのも辛そうな顔で必死に舌を動かしている姿を見て、命の灯が消えかかっているのが分かった。私の顔を見れば、必ずといっていいほどせがんでいたヒマワリの種を欲してこなかったこともなにかを告げているようだった。


 しかしその夜、音だけではあるが回し車が回っていることが確認できた。驚いた私は、ハムスターを刺激しないようにケージを覗くことはしなかった。寿命が迫っていることは間違いないが、もう少しだけ生きていてくれるのかもしれない。ご老体には酷な願いかもしれないが、ともかくは一つ安心したのを覚えている。


「次の日、友達に誘われていた小演劇を観にいったあと、遺体と直面することになりました」


「……それは大変でしたね」


「いやはや、迂闊でした」


 笑えてくるくらい滑稽な話だ。なんだってあの子も、最期に元気な様子を演じてみせたのだろう。見てあげられなかった私も、いまわの際まであべこべでどうする。


「それから妙に眠りが浅くなってしまって……あの回し車の音がしないと安心して眠れないんだって、死んでから気がつきました。そんな風に、自分以外のものに執着したことなんてなかったんですけどね」


「……いい話ですね」


 伸びきった前髪を梳きバサミで整えている彼は、目も合わせないで呟いた。最初はカットに集中して適当に答えたんだろうと思っていたが、それにしたって意味が分からなさすぎてスルーすることができなかった。


「えっ、どのあたりがいい話なんですか?」

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