ハムスターを亡くした


 風が強くなった一〇月、久しぶりに温くなった空気に触れた身体を洗い流してから、眠るつもりもないのにベッドへ身体を放棄した。仰向けになってスマートフォンを操作する。たいして通知もないSNSを巡回しては、意味もないのにリロードを繰り返す。LINEのチェックに入ったところで、少し前の履歴にも指を滑らせては時間を潰す。今日は早上がりだったから、今日という日はまだまだ時間があって、明日もたぶん休みといったところ。偏西風に感謝しながら、ひとりの名前を確認し、指は止まった。


「サナちゃん……」


 彼女との連絡は依然としてないままだった。もちろん、先月には引っ越してしまった彼女といまさらメッセージを送り合って、なんになるのかという疑問はある。それでも、尻切れトンボのようになってしまった私たちの関係に、なんらか終止符を、形式的にでも打ちたいと思ってしまうのはいけないことだろうか。ヒグラシって本当はなんのことだったのか、とか、妹さんのカナちゃんとはどんな話をしたの、とか。他愛もない話をして、じゃあこれからそっちでも頑張ってねと言って終わり。そんな凡庸な終わり方になると分かっていても、言ってあげたいのだ。


 あのセミを待っているだけの日々、私たちは他愛もない話しかしなかった。時間は交わっていても、あれじゃ人生が交わっているとはいえないのだ。理解してもらえないかもしれないけれど、人と関わる上でその違いはとても重要なものなのだ。私だって、大学生のころまではずっとそうやって、表面的な付き合いばかりをしてきた。というか、それ以外の方法で他人と関わるこということを想像すらしていなかった。自分の世界があればそれで困ることはなかったし、インターネットで見つけた好みのコンテンツを摂取していれば、死ぬまで時間を潰せるような気になっていた。サナちゃんにそんなことを伝えても、なにか響かせることはできないかもしれない。それは単なる感情論なのでは、そう思われて終いだろう。理屈で世界が作られていると勘違いしている、幼い人間にはよくある反応。これだから子供はって笑ってしまうけれど、そう扱ってはいけないというのも、仕事で得た強力な教訓だ。だからきっと、彼女にはいつか意味が分かってくれるはずだという時限爆弾として、言葉を投げるしかないのだ。不発となってしまっても、それが関わった大人としての責務なのだ。


「子供っぽいですよね、すみません」


「いえいえ、お客さんの話を聞くのもぼくの責務ですから。それにしてもお客さん、やつれましたね」


 思い出された会話は、大学二年生の終わりごろだ。この街にある美容室の一角で交わされた、それこそ表面的なところから始まった、他愛もない話。


「それに、大切なものを失った悲しみは、どうであろうと苦しいものです。吐き出したほうがすっきりするかもしれないですよ」


 別にあなたに話したところでなんになるんだ。鼻先でため息を吐きながら、詳しく話さないわけにもいかないかと続けた。どう話したのかという部分に関しては、一言一句覚えているわけでもないが。


 私はその冬、春休みに入ったばかりの二月に、飼っていたハムスターを亡くした。灰色なジャンガリアンで、小屋で冷たく丸まっている遺体は多摩川に流した。特に涙は出なかったけれど、不思議とその日から、なにもする気が起きなくなった。この日、放っておいて伸びきってしまった髪の毛を整えるために、行きつけの美容室へとやってきたわけだ。

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