USBメモリ
「一夜城を作ったのは誰って問題で、豊臣秀吉って書いたら不正解だったんですけど……」
「墨俣城のこと? だったら木下藤吉郎って書くべきなのでは? とりあえず、問題文見せて」
チカさんとマチが受けた模試の結果が返ってきたころ、世間は一〇月に突入していた。古くはローマ教皇グレゴリオウス一三世が定めた数字一つで、人々は口々に二〇二〇年の残り時間を嘆いている。こうしてみると、彼はなんと罪深いのだろう。地獄に落ちていないといいが。
テストの振り返りというものは、担当しているこっちの負担が重い授業になる。ひとつずつの問題形式、生徒がどう考えたのか、どこまでの知識は正しくてどこからは間違って覚えているのか。あるいは完全に覚えていないのか。彼女がテストを解き始めてから終えるまでで歩んだ道のりを、具体的にどう変更していればよかったのかということを解説しなければ意味がない。もちろんこんな補習塾では、解答用紙をそのまま朗読しているような講師だって少なくない。しかし、こんなところで大学受験をしようとする無謀者たちにせめてもの捧げものをと思えばこそ、こうやって険しい山を登っているんじゃないか。
「この文章で一九二五年のことへ言及しているんだって分かるには、普通選挙法と治安維持法のふたつの知識じゃ足りないの。同じ年にラジオ放送が始まっているってところまで覚えていないといけなくて……」
そして授業が終われば生田の、正確には枡形山というらしいが、ともかくはこの多摩丘陵の一端を下っていく。時間内にどうにか解説をこなし、勝利の美酒としてミネラルウォーターをがぶりと飲んだ。年がら年中喋り通している仕事だから、喉が渇いてしまうのがもっぱらの悩みなのだ。
「ところでなんですけど、先生にお渡しした台本原稿のクリアファイルに、USBメモリって入っていませんでした?」
「へ? いや……なかったと思うけど……どうしたの?」
「USBメモリに台本のデータ入れていたんですけど、それを紛失しちゃったんですよね……。某鹿島がセリフの変更とかを申し出てきて、いちおう変更した分を印刷しようとしたら発覚っていう感じで……」
いやお恥ずかしいと頭を掻いたチカさん。とはいっても全員が赤ペンかなにかで書き直しておけばいいだけらしく、失くなっていたとしても致命的な問題ではないそうだ。しかしながらそう説明している彼女は、必死で自分にそう言い聞かせているようにしか見えなかった。
「分かった。私も探してみるね」
演劇部にいる鹿島という男の子との関係については、あまり詳しい話を聞いているわけじゃない。愚痴として、彼女と衝突してきた局面については聞いている。おそらくは今回のUSB紛失についても文句を言ってきているだろう。チカさんの瑕疵にいちいち突っかかってくるのも結構だが、並行して実行委員の仕事もやってみろと言い返してやればいい。正当な理由ではないのは百も承知だが、外野としてはそうやってマウンティングを取って黙らせてしまえと提案したくなる。
「すみません」
お辞儀をする制服姿に構わないよと笑いかける。それと同時に、少しでも彼女の負担を和らげる方法を考えた。私にできることなんてあるはずがない、基本的にいつだってそう思ってきた。子供たちにできることなんて、せいぜい勉強を教えることくらい。助けることなんてできないし、そういう立場に私はいない。
「大丈夫、なんとかするから」
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