体重と健康と体重への配慮

「その通り、世界史を教えられる先生がいないのなら、誰かが教えられるようにならないといけないのと同じだよ」


 並んだ私たちへ投げかけられた言葉は、いろんな意味でため息が出る内容だった。特に待ち合わせ時間に遅れてやってくるようなやつに言われると、あんたのせいで誰かが背負い込む荷物が増えるのだと返したくなる。


「呼びつけておいていまごろご出勤?」


「やだなー、必要なものを取りにいっていただけだよ。こんなところで巨大な布を広げて、乾きもしなけりゃ持ち帰れないでしょ?」


 オーバーサイズのパーカー姿で登場したマチは、手首を軸にクルクルとプラスチックを回している。言いようからしてコードレスのドライヤーだろう。絵の具の上から吹きかけてもいいものなのかは知らないが、まあどんな出来になっても文句を言われる筋合いはない。少なくとも私はそう思ってしまう。


「マチさん、ありがとう」


 わざわざ向きなおってお辞儀しなくてもいいと思うよ。


「構わないよ。ぼくは必要なものがあったらなんでも調達するよ。便利屋みたいなものなんだ、情報、物資、金、身体、欲しけりゃぼくに相談を」


 それで格好つけているつもりか。


「ふふっありがとう」


 笑いごとじゃないんだよ~。こいつは一発芸みたいなノリで、六桁値段のハサミを買ってくるくらいにはバカげたことをしでかすんだ。今日雨が降っていても、ヘキサタープでも持ってきて作業を続けようとするんじゃないだろうか。


「今日は天気で良かったね。いろいろ持ってくる手間が省けたよ」


「んー? そうなんだ」


 なんのことだか分からんが、とりあえずという返事だ。どうやら本当にチカさんはマチとの交友関係が深いわけではないらしい。それはある意味では喜ばしいことでもあるのだが、逆に考えれば毒牙に対する警戒心も薄いということになるんじゃなかろうか。狼でもあり赤ずきんでもあるマチを相手取るなら、少なくとも助言くらいはしておくべきだろうか。


「お、四流画家の先生でもこんな奇麗にエンブレムが描けるんだ。関心」


「うっさい。ほれ、ベタ塗り交代。こっからはあんたがやりなさいよ」


「えー、ぼく汚れるのやだなー」


「体操着で来なかった自分を恨め、この馬鹿」


 ジャージ姿でしゃがみ込んでいたチカさんは、私たちのやり取りを愉快そうに眺めている。塾でもこんな調子だから、よくほかの生徒にもからかわれたりもする。しかし、仕事中ならともかくいまの時間は、こいつの相手をすることに一〇〇パーセントの面倒臭さしか感じない。なんだって休日の二日両方をこいつとのコミュニケーションに割かなければならないのだ。


「分かった分かったよ。じゃあ先生、その代わりひとつ頼まれてよ」


「嫌だね」


「あっちのベンチにマックの袋置いてあるから持ってきて。アップルパイとか買ってきたからさ。差し入れだよ」


「行ってくる」即答だ。


 なんだって休日の二日両方でマクドナルドを食わなくてはならないのだ。私の体重と健康と体重への配慮はないのかあいつは。つくづく他人を思いやれない人間だ。腹が立つ、とっとと歩いてあいつの分のアップルパイも口に放り込んでやらねば気が済まない。

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